サンフランシスコの修煉者:真に修煉を始めてからの些細な体得(三)
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文/サンフランシスコ東ベイエリアの大法弟子

 【明慧日本2012年10月21日】

 三、嫉妬心を取り除く

 自分には嫉妬心があまりなく、道徳は高尚だとずっと自惚れていましたが、実は持っていないのでなく、どこかに隠れているだけでした。

 嫉妬心がはじめて暴露されたのは2009年の神韻宣伝の時です。当時、ある同修が神韻のチケットを1枚売りました。「一つの生命が救われた」と、本来私は喜ぶべきなのに「彼女が立っていた場所が良かったために売れたのだ」という考えが頭に浮かびました。これこそ嫉妬心です。

 気が付いて私はびっくりしました。自分の考えを浄化するために、私はその場を離れて、発正念をしに行きました。2回目は会社で同僚に煉功動作を教えた時、同僚はとても良い感じでしたが、それで私も嫉妬心が生じました。このような自分を見て、『転法輪』の「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」を思い出しました。私の嫉妬心を暴露してくださった師父に感謝します。絶対それを無くすよう頑張ります。

 四、交流会の原稿を書く中での収穫

 2週間前、車を運転している時に他の車と接触しました。その一瞬、二つの念が頭に浮かびました、一つは「これは相手のミスだ」、もう一つは「よし、修理する時、以前のすり傷も一緒に修理できる」です。降りてみたら、自分の車の後部に2カ所のすり傷を発見しました。しかし、接触した責任はバックした私にある、と相手は主張しました。

 その場を離れた後、内に向けて探さなければとわかっていましたが、各種の人心、金を惜しむ利益心、心配などがすべて湧いてきました。夫に怒られるのを避けたくて、親戚から預かった買い物の現金をまず使って、相手の車を修理しようと決めました。結局、目的地に着いてもう一度見たら、車の後部には何の傷跡もありませんでした。自分の目を疑うほど、何回見ても、傷一つありません! 後日、相手からも「傷はない」との連絡が来ました。

 ここまで書いて、私はふと悟りました。今まで、家庭内の難関に遭うと、私はいつも修煉が難しいと嘆いて、夫の言葉と行為を責めてきましたが、夫のために考えたことはありませんでした。彼が大法に不敬な言葉を言うのは、私がしっかり出来ていないからなのに、どうして彼を責められるでしょうか? 自分を高めるべきではないでしょうか?  

 師父、ありがとうございます! 同修のみなさん、ありがとうございます!

 (完)

 (2012年サンフランシスコ法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/22/263005.html)
 
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