【明慧日本2013年5月30日】私はある小さな山村に住んでいます。私の祖先はずっとこの村で生活してきました。この村は16世帯で60人しかおらず、四方は山に囲まれています。村の周りの山々には自然に果樹がいっぱい成長していて、村から出るには1本の小さい道しかありません。村の出口の近くに泉があり、その水が私たちの生活用水で、私たちは「天賜の泉」と言っています。村には学校がなく、電気もなく、病院もありません。村人は基本的に村の外へ出ないので、学校教育を受けたことがありません。村人は生、老、病、死の自然に従って、日の出とともに起き、日の入りとともに寝るという生活をして、のんびり過ごしています。
2007年5月のある日、1人の若い女性が突然、私の家に来て水を求めました。私の祖母はとても親切に、その女性をもてなしました。女性の名前は「芳さん」といい、中学校の教師だと分かりました。芳さんの話によると、芳さんは法輪大法を修煉していて、「真、善、忍」の信仰を信じ続けているため、当局に懲役8年の判決を言い渡されたそうです。今日、芳さんは刑務所に送られる日だったですが、護送人員は我が村の周りの山にいっぱいの果物を見て、果物を取りに行きましたので、芳さんはその機に脱走し、小道に沿って走り、私が家に辿りついたそうです。私たち家族8人は芳さんのそばに近寄って、芳さんの話を興味津々に聞きました。
芳さんは「私は元々、幸せな家庭があり、夫は政府の役人なのですが、昇進するにつれ人柄が悪くなり、腐敗の習性や酒食遊楽の悪習に染まり、時々遊び相手の女の人を家まで連れて帰るようになりました。私はただ怒りをこらえてじっと我慢していましたが、精神的な原因で、不眠症になりました。そして、我慢の限界になって、3階から飛び下り、自殺をはかりました。しかし、人に助けられて病院に搬送されました。一命は取りとめたものの、全身が粉砕骨折になってしまい、立つこともできず、車椅子で余生を過ごすしかないと言われました」と自分の遭遇を話しました。
「1995年8月のある日、勤め先の学校の校長が1冊の本をくれて、『天の本です。とても良い本です』と言いました。本の名前は『轉法輪』でした。そして、私は良い本だと聞き、『轉法輪』を一気に読み終えました。読み終えた後、不思議に以前にないほど体がリラックスできました。それに、自分でも分からないのですが、とにかく泣きたくて、子供が久しぶりに別れた親と再会したように甘い幸せを感じました。私は『轉法輪』を2回、3回と繰り返し読み、飲まず食わずで寝ないで泣きながら、30時間読み続けました。3回読み終えて、空腹で食べものを探しに行こうと思って、車椅子を回しているとき、足が地面につきました。その途端、なんと、自分で立つことができて、本当にびっくりしました。『法輪大法の師父が車椅子で2年あまり生活していた私を、一瞬にして正常人に戻してくださった』とその瞬間思いました。それに、私は足が正常になっただけでなく、不眠症、頭痛も治り、病気のない体の軽やかさを味わうことができました。大法の師父が私に新たな命をくださったのです」と幸せそうに話しました。
「その後、私は人々に法輪大法を伝えようと、近隣や、勤め先の学校の教師、学生、親戚、友人などに紹介しました。みんなは、私の身に起きた奇跡的を目の当たりにしたので、多くの人が法輪大法の修煉の道に入りました。そして、私は数百人の「煉功場」を作り、朝になるとみんなと一緒に、1時間の功法を練習しました。煉功した後みんなは、それぞれの職場に出勤しました。「煉功場」の修煉者たちはみんな、『真、善、忍』に従い、より良い人になるように努力し、家族にも、周りの人にもとてもよい関係を持つようになりました。みんな、心身ともに健康になり、道徳が向上して穏やかになったのです」
「しかし、法輪大法は7年の間に、修煉者の人数がすでに共産党員の人数を超えたため、当時の共産党の主席・江沢民は嫉妬のあまり、1999年7.20に法輪大法への弾圧を開始しました。当局は、全国のメディアを一斉に利用し、法輪大法に無実の罪を着せ、『天安門焼身自殺事件』や『精神病者殺人事件』などのデタラメを吹聴し、法輪大法に泥を塗りました。当局の目的は人々に法輪大法と大法弟子を憎ませるためでした。当局はまた、大法修煉者を捕まえて、重刑を言い渡し、刑務所に入れています。私は当局に、大法と大法の師父を罵るように強いられ、『真、善、忍』への信仰を放棄させられましたが、私は彼らの言うことに従わず、『私の命は大法の師父が与えてくださいました。死んでも師父に反逆しません』と言いました。そして、私は捕まえられて拘禁され、懲役8年の判決を言い渡されました」と話してくれました。
芳さんの話を聞いて、私たち家族全員は芳さんのことを敬服しました。それから、私たちは芳さんを受け入れ、芳さんを私たち家族の一員にしました。
それから、私たち一家全員は、法輪大法の修煉の道に入りました。祖母は50数年も患っていた喘息が治り、兄は20数年も患っていた「痙攣」が完全に治りました。私たち一家は法輪大法の修煉ができて、本当に天賜の幸福だと思っています。慈悲なる偉大な師父に感謝いたします。
芳さんは優しくて勤勉で、いろいろなことができます。その後、芳さんは私の村で学校を作り、全村の老若男女に字を教えました。その後、知らないうちに、村人全員が法輪大法を修煉し始め、修煉者になりました。芳さんは村で井戸を掘り、道路を作り、発電機も作りました。たった4年で、小さな山村は完全に変わり、観光地になりました。観光客は私たちの村の果物がとても美味しいと褒め、商売人も村に来てとてもにぎやかになりました。
しかし、数日前に突然、思いもよらない災難が村に降りかかってきました。4台のパトカーが突然村にやって来て、警官は私たちに授業をしていた芳さんを捕まえ、社会の治安を乱す逃亡者だと芳さんを逮捕しました。しかも、警官は「芳さんはいい人です。連れて行かないでください」と、警官に声をかけていた村人10数人も連行しました。その災難の日、村には村人の泣き声、悲惨な叫び声、警察の怒り罵る声などが入り交じり、村は「紅色恐怖」に染められました。
芳さんのような良い人を刑務所に入れるなんて天理が許しません。善悪には必ず応報があります。悪人が善良な人を攻撃するなら、必ず処罰を受けなければなりません。善と悪の間には中立がなく、善を支持すれば、必ず美しい未来があります。