「あなたは私を呼び覚ますために来た」
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 文/遼寧省大連の大法弟子

  明慧日本2013年6月23日】

  一、分かった、「あなたは私を呼び覚ますために来てくれたんだ」

 去年10月、私は久しぶりに故郷に戻り、高校の同窓会に参加しました。男性の同級生の1人が、この集まりのために色々と世話をして、大変苦労されたようでした。散会する前に、会場を後にしようとした彼の疲れ果てた後ろ姿を見て、私は下の階まで見送り、今回の集まりのために尽力した彼に感謝の言葉を贈りました。別れを告げた後、私は思わず泣き出しました。それは、彼に真相を伝える機会がもう二度と訪れないだろうと思ったからです。彼は感動して、私の彼に対する理解に感謝しました。彼は「今回のことは結構大変だったが、この集まりのために精一杯したので、少し疲れた。ちょっと早めに退場することにしたが、これから予定もないので、あなたと少し話ができる」と言いました。

 会話の中で、彼は自分の今までの経歴、私生活、事業の挫折など、いろいろなことを話し出しました。私は法理をもって彼の疑問に答えました。また、彼の大法についての多くの理解できない問題に対しても説明しました。彼の理解力は私の想像以上でした。彼は次から次へと質問し、私はそれらの一つ一つに誠心誠意にできる限り答えました。ある質問に対し、答えを半分話しただけで、彼はもう理解して、また次の質問へと続けました。彼はなぜもっと早く教えてくれなかったのかと不平を言いました。  いました

 帰り道、私たちは歩きながら話し続けました。彼の質問はだんだんと難しくなり、私はもはやこれ以上、答えられないほどでした。突然、彼は立ち止まり、「分かった。本来、われわれは皆、神だったが、この世に迷い込んで、そして、あなたが私を呼び覚ましに来てくれたんだ」と言いました。私は彼の言葉に心を激しく揺り動かされ、唖然としました。黄昏時の薄明りの中、痩せこけている一つの人影が涙を流し、私も泣きました。ここまではっきり理解した生命は初めてでした。私は師父の慈悲を感じました。彼は当時、仕事上の様々な圧力ですでに心身は崩壊寸前の状態で、夜は寝つきが悪く、孤独で貧しく、とても恐怖感をもっていました。私は彼に「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」と、しっかり念じるようにと言いました。

 次の日、この同級生は『転法輪』の本を読んでみたいと連絡してきました。残念なことに、今回の里帰りは、本を持参してきませんでした。何年か前に、私から本を一冊もらったことがあると家族が一冊の『転法輪』を持ってきました。この本を同級生に渡し、「師父が苦心して按排してくださったこのご縁を大切にするように」と彼に話しました。

 あの同級生と私は故郷を遠く離れ、また、私たちの間も遠く離れていました。慈悲なる師父は縁ある人は一人も落とさないように、苦心して今回のすべてを按排してくださったのです!

 あの同級生のことを思い出し、あの同級生の涙をたたえた目を思い出すと、自分の責任がいかに大きいか、私は強く認識しました。どれほどの生命がまだ首を長くして待っているのでしょうか。師父は最大限に衆生を救い済度するために、どれほどの按排をされなければならないのでしょうか。もしも、私たちが師父の按排に従わなければ、自分の使命を引き受けなければ、どれほど多くの生命が失われてしまうのでしょうか。

  二、「心想事成」

 里帰りする前に、中学校の時の友人を思い出し、今回もしその友人に会うことができれば、必ず神韻公演のDVDをプレゼントしようと考えていました。この友人とは20数年も会ったことがなく、連絡もしていませんでした。しかし心の中で、彼に会いたい気持ちがありました。しかも、きっと彼に会えるような気がしていました。

 ある日、私は一人で親戚の家に出かけました。すでに数年が経過し、町の様子が変わり、私は迷子になってしまいました。一回りして、やっと交差点を探し当てたその時、その友人 ggが  がg突然バイクに乗って、私の目の前を通りかかったのです。私は大声で彼を呼びました。彼はすぐにバイクを止めました。彼は私を見てとても驚きました。しかし、私はまるで自然な流れのように彼に挨拶をし、神韻のDVDを渡しました。彼は快く受け取ってくれました。得難いチャンスだと思い、私は続けて真相を伝え、彼に三退を勧めました。しかし、彼は賛成しませんでした。私も無理強いはしませんでした。今日の話をよく考えて、いつかきっと三退する機会がやってくると伝えました。

 自分が修煉して到達した次元が、真相を伝える効果に影響を及ぼしたのだと分かりました。弟子は真相を伝えて衆生を救い済度する願望さえあれば、どんな困難があっても師父はこの縁を結びつけて下さいます。20数年も会っていない2人が、偶然に故郷で、この1、2秒で通過するような交差点でばったり会えたのは、佛法の威力ではないでしょうか。師父の慈悲ではないでしょうか。事前にこの友人を思い出し、会ったらDVDを贈ることだけを考えていましたが、強い正念をもって彼に真相を伝え、三退を勧めるまでの願望がなかったため、彼はDVDしか受け取らない結果となりました。

 このことから、「心想事成(しんそうじせい)」とは、法に符合する正念でさえあれば、師父はこのことを成功するようにうまく按排して下さるということです。固い正念、強い願望さえあれば、どんなに大きなことでも成し遂げられます。常人の「心想事成」は、ただの願いに過ぎませんが、大法弟子は法の下で、思うままにできるのです。なぜならば、私たちには最も偉大な師父がいらっしゃるからです

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/13/275277.html)
 
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