【明慧日本2013年8月28日】遼寧省撫順市の法輪功修煉者・盧広林さんと妻・盖秀琴さん(62)は2005年3月21日、ともに中共(中国共産党)当局の警官に不当連行された。その後、裁判所は盧さんに懲役13年、盖さんに懲役8年の実刑判決を宣告し、それぞれ営口刑務所と瀋陽女子刑務所に拘禁した。
営口刑務所から盤錦刑務所に移された盧さんは、残酷な拷問を受け、2009年2月に死亡した。盖さんは現在、解放されたが、女子刑務所でさまざまな迫害を受けたため、いまだに背中や肩が酷く痛み、指を曲げることも伸ばすこともできず、基本的な労働能力を喪失した。
盧さん夫婦は法輪功を学んでいるとして、1999年7.20以降、中共当局から嫌がらせ、監視、脅迫、拘禁などの迫害を受けた。
生前の盧広林さん |
盧さんは不当判決を宣告されて営口刑務所に拘禁されたが、2007年12月、盤錦刑務所に移送され、毎日、長時間、奴隷のような重労働を強制された。2008年4月1日と3日、大隊長・張国林などの警官らは、重労働をさせられたことに抗議した盧さんと13人の法輪功修煉者に拷問を加えた。修煉者たちは両腕を背中に回されて手錠をかけられ、身体は足で踏まれ、7、8本のスタンガンで頭、首、胸、背中、手のひら、足の裏、内股などに電気ショックを加えられた。
拷問の実演:電気ショックを加えられる |
2009年2月下旬、盧さんは刑務所の迫害に対して、断食で抗議を行ったが、病人の監区に送られ、塩水を灌食された。病人の監区で、受刑者らは熱いお湯を盧さんの体に浴びせて火傷を負わせ、盧さんを殴打して歯を殴り落とすなど暴力を振るった。盧さんはさまざまな迫害により、3度も危篤に陥ったことがある。最後に、盤錦市第2病院に搬送されて応急手当を受けたが、死亡した。
盖さんは判決後、瀋陽女子刑務所7大隊に送られた。盖さんは刑務所に拘禁されてすぐに、受刑者2人によって24時間、監視された。
刑務所側は盖さんを「転向」させるため、真冬に盖さんを拷問の専用部屋に閉じ込めた。1日目は、監視役が盖さんに裸足のまま、しゃがむ姿勢を1日中させ、木の板で盖さんの足を殴ったりして、2時間しか睡眠を許さなかった。その後は多くの人から暴行された。水を頭から浴びせられ、服やズボンがすべて濡れて凍ってしまい、寒くて震えが止まらなかったが、夜になると受刑者らに両手の指先を針で刺された。そのような迫害を数日間続けられ、盖さんは耐え切れずに本心と違う「転向書」を書いてしまい、とても苦しんだ。
盖さんは「転向」させられた後、毎日、朝4時に起こされて6時に仕事場へ行き、労働を科された。その後にやっと朝食をとることができた。
刑務所は大隊ごとに加工工場があり、暴利をむさぼり取っている。7大隊の工場は4階建てで輸出用のスーツを縫製している。発注書が来ると、受刑者はノルマを決められ、完成できない者は就寝時間になっても、未完成のものを部屋に持ち帰って完成させなければならない。それでも終わらない場合は「反省書」を書かされ、拷問を受けることもあるという。
盖さんは毎日、両手を機械のように動かしても、ノルマをやっと達成できる状態だった。それにより、盖さんは手に障害を負ってしまったという。