大連市の若い男性が受けた残酷な迫害の数々
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 【明慧日本2013年9月4日】遼寧省大連市の法輪功修煉者・曲濵さん(40歳男性)は先月2日午前8時ごろ、1年前に同じ刑務所に拘禁されていた修煉者の裁判を傍聴するため、市西崗裁判所へ行った。しかし、裁判所の周りに多くの警官がいるのを見て法廷には入れないと思い、裁判所付近の小さな公園に行った。

 30分後、3人の私服警官が突然、曲さんの目の前に現れ「俺らについて来い」と言ったが、曲さんは「あなたたちのことを知らないので、行きません」と拒否した。しかし、警官2人に腕を掴まれて1人に頭を押さえられ、白い乗用車に押し込まれた。

 車は大連市国保第5大隊の大隊長のもので、曲さんの不当連行は明らかに計画されたものだった。現在、曲さんの拘禁場所は不明である。

曲滨
 曲濵さん 

 昨年7月6日朝8時頃、曲さんがバスを待っていた時、バス停で青泥洼派出所の警官に連行され、大連市刑務所に拘禁された。その後、警官は曲さんの自宅の家宅捜索を行い、1000元を没収した。

 曲さんは刑務所で断食をして抗議を行ったが、警官に灌食された。警官は曲さんに灌食した際、誤ってチューブを気管に挿入したため、曲さんは死ぬほどの痛みで気を失いそうになった。それでも、警官はチューブを挿入し直して灌食を続けた。灌食が終わると、曲さんは瀕死状態だったが、警官に背中を蹴られて手足を手錠で地面に固定され、鉄製の環に繋がれた。

 曲さんは夜10時ごろ危篤に陥り、病院に搬送された。その10日後、曲さんは病院から刑務所に連れ戻されたが、その日の午後に再び灌食された。警官は灌食をしながら「断食しても無駄だ。死んでも釈放しないぞ」と脅迫した。

 翌日の午前、警官は引き続き、曲さんに灌食した。午後5時頃、曲さんは昏睡状態に陥り、瞳孔が開いて再び病院に搬送された。その後、曲さんは解放されたという。

 酷刑示意图:摧残性灌食

拷問のイメージ図:残酷な灌食

 中共(中国共産党)当局が法輪功に対する迫害を開始して14年来、曲さんは法輪功を学んでいるという理由で、様々な迫害を受けてきた。

 2000年4月28日、金州区公安局、竜王廟派出所の警官は待ち伏せをして、法輪功修煉者・曲さん、許志斌さん、姜波さん、劉述春さん、金峰さんの5人を不当に連行し、竜王廟派出所で拷問を加えた。警官は5人の修煉者に対し、両足のつま先が地面につくぐらいの位置で両腕を吊り上げ、そして、約25キロの水が入ったバケツをそれぞれの腕にかけた。5人はあまりの痛みで気を失ったが、目を覚まされて再びバケツの水をかけられ、午後4時~夜12時まで繰り返し続けられた。そのうえ、警官は修煉者5人にヘルメットを被せ、木の棒で猛烈に頭部を叩いたり、ボクシング用のグローブで顔を殴ったりした。

 その後、5人は金州刑務所に拘禁された。曲さん、許さん、金さんの3人は断食をして迫害に抗議して解放されたが、劉さんと姜さんは実刑判決を宣告されて刑務所に送られた。

 2000年12月~2001年8月まで、曲さんは大連市労働教養所に拘禁された。教養所で曲さんは法輪功の修煉を放棄することを強いられ、警官に数本のスタンガンで足の裏、ひざの裏、わきの下、顔、口、生殖器に電気ショックを加えられた。

中共酷刑示意图:吊铐
 拷問のイメージ図:吊るし上げられる

 2003年1月11日、中山区公安局の警官は曲さんの勤務先・印刷工場へ行き、曲さんを不当に連行し、姚家刑務所に拘禁した。曲さんは刑務所で尋問を受け、暴力を振るわれて目を負傷した。その後、警官は証拠を捏造し、曲さんに懲役4年の実刑判決を宣告した。

 曲さんは市刑務所第3監区に拘禁された。刑務所側は、家族が曲さんに生活用品を購入するためのお金を渡すことも許さず、面会も許さなかった。

 刑務所で曲さんは殴打されたり、侮辱されたり、虐待されるなど、心身共に迫害を受けた。

姐姐曲军
 曲軍さん

 曲さんの姉・曲軍さんも法輪功修煉者で、中共当局に繰り返し連行、拘禁された。

 曲さんの父親・曲庭躍さん(70代)は、法輪功の修煉を堅持したため4回、刑務所に拘禁され、1年間、労働教養所に拘禁されたという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/9/277896.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/8/17/141592.html)
 
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