法を師にして、平坦な道を歩む(一)
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 【明慧日本20131116日】私は1996年に大法修煉の道を歩み始めました。10数年の修煉を通して、私が得た結論は「師と法を信じさえすれば、正念を持って正しく行動さえすれば、突破できない関門はない」という事でした。本日、自分はいかに法を師にして、師尊のご加護のもとで魔難を突破したかについて書き出し、皆と分かち合い、師父の慈悲深さと偉大さをともに証言したいと思います。

 一、正念を持って巣窟を破壊する

 20028月、私は真相資料を配ったという理由で、3年間の労働教養を科され、馬三家労動教養所で33カ月の迫害を受けました。師父がおっしゃった通り、「中国の強制労働所は邪悪な勢力の巣窟です」[1]。そこでは信仰を放棄しない大法弟子に対して、強制的に「転向」させるため、残酷な体罰と残虐な拷問が行われました。私は2002年の年末と2003年の年末に、2回にわたって、きわめて邪悪で、狂気に満ちた迫害、いわゆる「堡塁攻略戦」の迫害を受けました。また、一年の間に何回も「強制転向」を強いる迫害を受けました。何度も連続10数日、20数日間、立たされ、しゃがまされるという体罰を加えられ、また睡眠の禁止、吊るし上げ、長時間両足を縛る、凍えさせるなどの残虐な刑を科せられました。

 あのひどい苦難の日々、私は常に師尊が弟子のために耐えて下さった事を感じ取りました。家で煉功する時、一時間の座禅もようやくできるのに、その時、両足をぐるぐる巻かれ、縛られ、最も長い時は一週間も続けられました。それでも耐えてきました。冬、服一枚で室外に45日も出され、私を監視する人は1時間ごとに交代しました。しかもダウンジャケットを着ていても、寒くて風邪を引くぐらいでした。それなのに、私は何ともありませんでした。度重なる苦難は私を目覚めさせました。ひたすら耐えることは迫害を解体することができません。法に基づいて法を理解しなければならないことに気付きました。

 そこで、師父が説かれた「大法弟子が法を正す中では、今までの個人修煉とは違います。理不尽に危害を加えられることに直面し、大法への迫害に直面して、わたしたちに強いられた不公平に直面するとき、これまでの個人修煉のようにすべてを受け入れてはなりません。それは大法弟子が今、法を正す時期にあるからです。」[2]の内容に照らし合わせて、私は邪悪の迫害をそのまま甘受してはいけないと理解しました。私は法の指導のもとで、迫害に反対する道を歩み始めました。何度かの反迫害の経験から、私は「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」[3]をこの身をもって体験させていただきました。

  一、正念で「精神病」の迫害を打破する

 20044月頃、自分は信仰を堅持するため、邪悪は精神病で私を陥れ、大法に泥を塗り、私への迫害をさらに強めようとしました。警官らは私が精神病になったと広く宣伝し、私の家族に電話をかけ、私が精神病になったと告げました。私の家族に治療費を送らせました。彼らは本当に悪辣で、私を迫害するだけではなく、私の家族まで苦しめようとしました。長い時間、私は家族と顔を合わせることを許されず、家族は私に会えない苦しみに加え、さらに精神病になったと知らされて、どれだけ心配したでしょうか。

 警官は私を精神病院に連れて行こうとしました。私は行くべきかどうか迷っていました。最後に、邪悪の陰謀を徹底的に打破するため、私は相手の策を逆手にとることにしました。私はただ精神病院に行くのではなく、更に理性的に、明確に医者に向かって真相を伝え、迫害を暴き出し、専門家から、私が精神病ではないという権威ある証明を手に入れようとしました。

 考えをしっかり決めました。警官らは私を精神病院に連れて行きました。専門家の前で、私は労働教養所で受けた残虐な拷問の苦難を暴き出しました。また、長く隔離され、家族と面会できないという精神的な迫害を受けたこと、心が辛い時、歌を歌うと精神病になったと密告されたこと、全部診察する専門家に言いました。私は自分が病気ではない、それを証明したいと言う正念があって、また師父の法に基づいて真相を伝え、さらに迫害を暴いて人を済度したいという心があったから、師父からの加持が得られました。その日、私は頭が冴え、考えも素早かったのです。最後に、私は「私はあなたの証明が欲しいです。私は病気ではない権威のある証明が欲しいです」と頼みました。迫害の真相を分かった専門家は「心理テストを受けてください。私はあなたに公正な診断を下しますから」と言いました。

 師父のご加護のもとで、心理テストを早くしかも正確に答えました。間もなく、診断書が出ました。病気ではありません。彼らの嘘は私が反撃しなくても自ら崩れ去りました。この権威のある証明により、邪悪は私を迫害する口実がなくなりました。

 二、応接室で正念で迫害を暴き出す

 「精神病」と中傷されたことで私は、どんな悪事でもやれるという邪悪の本質を更に見抜きました。そこで私は一念が生じました。私はここで受けた迫害を身内の親族に教え、彼らに邪悪が私たちに犯した犯罪を知ってもらおうと思いました。以前、接見の時、私はいつも家族に心配をかけないため、ここで受けた迫害について言いませんでした。今、私はその考えが間違っていたと分かりました。私はここの邪悪の手口を暴露して、世間の人に知らせ、師父の法に基づいて「迫害を暴き出す」、そうすべきだと思いました。

 そこで、私は言いたい事をよく考えました。そして「私を迫害する2人の室長に来てもらって、その場で彼女たちを厳しく非難しよう」と思いました。私は心の中で「師父の按排にお任せします」と考えました。翌日、半年以上も顔をあわせてもらえなかったのに、突然、接見が許されました。その上、警官の隊長が突然高熱を出して来られなくなり、ちょうどあの2人の室長が付き添いで来ることになりました。物事は完全に私の考え通りに展開しました。2人の室長が口をはさんだことで、私が用意した話を引き出してくれました。私は立ち上がって大声で叱責しました、「私はただ真・善・忍を信仰しているだけではありませんか? それなのに、あなた達はしゃがませ、立たせ、眠らせないことで私を罰して、私に手錠をかけ、私を吊るし上げ、冬、外に雪が降っている時、私を凍らせて……」、私が大声で話したため、応接室にいる他の警官も慌てました。数人が上がってきて、私をぐっと引っ張りました。応接室の他の家族もみんな立ち上がってやじ馬見物をしました。私は頑張って引き続き言いました。「もし私が馬三家で死んだら、あなた達は真相を暴露して、私のために復讐してください」。それから私は、心の底から「大法は素晴らしいです」と叫びました。私は応接室の扉を押し開け、外に飛び出しました。このすべては、師父が私の一念に応じて按排してくださいました。最後の「大法は素晴らしい」以外は、すべて私が考えた通りに演じました。師父の神通力は無限です! すべて師父がおっしゃったその通りになりました。

 私の後について帰ってきた2人の警官は「今回、あなたは正念が十分でしたね。あなたを迫害する人はいなくなったね」と言いました。私は心の中ではよくわかっていました。これは師父が彼女たちの口を通して私に教えているのです。師父は邪悪に再び私を迫害することを許さないのです。応接室で大暴れしたことで、私はそれから迫害を受けることはありませんでした。それだけではなく、応接室から帰って来たとき、私は体が軽く、足元も軽快でした。夜に隔離室に座って、両耳の上に法輪がひっきりなしに回転しているのを感じました。体もとても高くて大きく感じ、馬三家は自分の足もとにあるように感じました。気持ちもすうっと落ち着き、かつて無い見事な体験をしました。これは師父が私を励ましてくださったのです!

 三、邪悪に協力せず、一体となって迫害を反対する

 2004年の下半期、法を正す進展に伴い、また繰り返し師父の経文を学んだ結果、さらに同修との交流によって、反迫害に対する認識は高まりました。

 師父はおっしゃいました、「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください。皆さんがみな、このようにすれば、環境はこのようなものではなくなります。」[4]

 私と同修は、邪悪な命令や要求に服従して、奴隷労働に参加することは迫害を承諾し、迫害に協力することと同じだと理解しました。奴隷労働を拒否することは、本当に協力しないことになります。無罪を求め、釈放を求め、拘禁を停止させ、巣窟を解体することは、本当に迫害に反対し、衆生を済度することになることは分かりました。

 法理が明確になりました。「労動教養所は私達のようないい人を拘禁する場所ではありません。真・善・忍を信仰することは無罪です。私はここに拘置されるべきではありません。彼らこそ犯罪者です」との正念のもとで、私たちは「労働拒否」を始め、釈放を求めました。間もなくして、全体の分隊、大隊、その他の2つの分隊の中のすべての大法弟子はみな「正念法力妖穴を搗く」 [5]、労働拒否、囚人服着用拒否の反迫害運動に参加しました。

 邪悪がどんなに狂気に駆られて迫害し、恐喝しても、わたし達を動揺させることはありませんでした。最後にわたし達は労動教養所がすべての注文書(訳者注:労働教養所が請け負った受注商品の注文書のこと。労働教養所は、受刑者を強制的に働かせることで安く商品を生産し、利益を得ている)を返すまで追い込みました。しかし、彼らはすべての働かない、囚人服を着ない大法弟子をそれぞれ第1大隊、第2大隊に拘禁しました。第1、第2大隊は厳しい管理チームとなりました。それぞれの大隊は6つの分隊を設け、それぞれの分隊には2人の女性警官と1人の男性警官が付いていました。各分隊は私達大法弟子を40人程、2つの部屋に分けて拘禁しました。彼らは私達に食事を与えない、室内で動かさない、話をさせないという新たな邪悪な迫害を始めました。

 迫害を反対する中で、私は囚人服の着用を拒否したため独房に拘禁され、拘禁に反対する断食の中で、野蛮な「灌食」の拷問と暴行を受けました。私達の部屋にいた20数人は座布団も与えられず、れんがの上に座るしかありませんでした。しかもこの邪悪の迫害は半年も続きました。しかし、邪悪はどんな手口を使っても、私達の労働教養所を解体するという正念を揺るがすことがありませんでした。

 師父は説かれました。「修煉だから、困難に圧倒されないでください。どんなことがあっても、いくら難しくても、師父があなたに与えた道をあなたはきっと歩んでくることができます。(拍手) 心性さえ向上すれば、乗り越えることができます。」 [6]

 私と大法弟子は労動教養所で迫害に抗議すると同時に、同修である母は外で迫害を暴き始め、私を救援しました。彼女は私が労動教養所で受けた残虐な拷問などの苦難を手紙に書いて、関連部門に郵送しました。また何度も省の検察院に出向いて、労動教養所が刑法を違反した犯罪行為を暴き出しました。省の検察院はそれを受理し、私のところに事実確認の調査に来ました。私も私が受けた迫害のすべてをありのままに暴き出しました。私達は法に基づいて迫害を反対し、師父の加持のもとで、検察院は立件しました。そして、彼らの私に対する報復案、すなわち刑を延長するという計画が阻止されました。200511月、私は正念をもって、ついにこの巣窟から出てきました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/2/282115.html)
 
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