文/未名の大法弟子
【明慧日本2014年2月8日】この過程で、1000~2000人の佛の姿の神が、それぞれ自分の前の太鼓を叩いていました。この太鼓は「法鼓」とも呼ばれています。法鼓は形が巨大なだけではなく、その気勢は軍隊の威力を鼓舞する効果があり、更に破魔滅乱の巨大な作用もあります。巨大な「法鼓」の周囲には白い雲が立ち上り、空には霞がさまざまに変化していました。
これだけでなく、私はまた数千人の神が様々なラッパを鳴らしているのを見ました。その音を聞いて、数え切れないほどの神が元気になり、邪悪を一掃する歴史的な戦闘に参加して来ました。以前、人々が熟知している七福神の中の数人の仙人も含まれています。非常に不思議なのは、私が出定した後も、太鼓とラッパの音は依然として私の耳もとで響き渡っていました。
再び神韻を見ました。それは本当に、光千万で瑞気が巻きおこり、神が慈悲に微笑みの風貌を見せ、一挙手一投足で法を実証し、邪悪を一掃して法を輝かせるものでした。表面上では神韻は中国の古典舞踊、民族舞踊、また中国の歴史物語の文化を通してパフォーマンスしているように見えますが、他の空間から見れば、ダンサーの一挙手一投足は純粋で慈悲な巨大な力を発しており、衆生を喚起する作用がとても大きいのです。実は一部の民族舞踊或いは伝説自身は、ももともと神によって作られたもので、神韻はこれらを用いて法を実証することでこれらの舞踊と伝説を作った神に対しても済度していると言えるでしょう。
他の空間から神韻を見れば、それは師父がこの世で知恵と素晴らしさと慈悲で人々を済度されるとても有効な方法です。毎回神韻の公演は「佛光が普く照らせば」[1]でありながら、同時に宇宙の衆生、衆神に大法の博大と繁栄を表していると私は理解しています。
この一幕を見終えた時、私は二つの巨大な「大法」の文字が見えました。しかも「大」という文字は絶え間なく大きくなっていました。私は突然一つの道理が分かりました。大法は宇宙を創造し、宇宙の中のすべての生命と要素が含まれています。それでは、この世で師を手伝う法徒として、私達は「俗世の清潔なる蓮に悪沾たず」[2]をやり遂げ、本当に執着心を放下することができれば、常人の状態に合致した修煉と少しも矛盾することがありません。それが出来るかどうかは修煉者次第だと思います。
この時、再び大法弟子の修め終えた一面を細かく見ると、法を深く理解し、法をよく実証している人の場合、彼(彼女)の世界はとても巨大で多彩になり、とても「豊か」です。一方、極端に走り易く、法に対する理解が足りない人の場合、彼(彼女)の世界は、少し単調です。すべては比類なく素晴らしいのですが、豊かさの程度が違い、次元も異なります。
法が正され中国共産党が一掃された後の最も壮大なシーンを私は見ました。一つの巨大な芝生の上で、各国の各民族の大法弟子と新しい学習者は抱輪の動作をしたり、第四式功法の「随機下走」をしたりしていました。そこにはお年寄りもいれば、子供もいて、若者もいれば、様々な色の服装の人もいて、いろんな顔の人がいました。その場面は気勢が最も大きく、人々はどこまでも果てしなく並んでいました。
この時煙霧が散り、天が清らかになり、空気が透き通って、天には様々な法楽が演奏され、色とりどりの美しい花がゆっくりと舞い落ちて、歴史上の様々な真実が一つ一つ現れて来ました。師父は高い空に座られ、慈悲にこれらの衆生を眺めておられ、多種多様なカラフルな法輪が様々に回転し飛び舞っていました。
以上は私が25分間入定して見たものです。多くのものは一念ですべて知り尽くしていましたが、文章で表現するのは大変でした。これらは私の今の次元で知った僅かなもので、宇宙空間の一定の次元での現れに過ぎません。書き出す目的は私達が誰でもこの最後の時間を大切にし、私達の神の一面を表し、最後に新しい宇宙を守り、衆生を加護する偉大な神になるように願っているからです。
最後に謹んで「大法弟子の神の一面を復活させましょう!」[3] を持って本文を終わらせたいと思います。
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「修煉の形式」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法」