明慧法会|尋常であり、また尋常ではない法を正す修煉の道(二)
■ 印刷版
 

文/遼寧省瀋陽市の大法弟子

 【明慧日本2014年4月1日】しばらく経ってから、私は娘の家に引き取られ、気を使わなければなりませんでした。娘の家には、娘夫婦と二人の子供に私を加えて5人家族で、35平方メートルの1つの部屋とキッチンの個室の中に住み、娘によって一人用のベッドが2段ベッドに改造されていたので、煉功、座禅、発正念を、私は全部台所でやり、学法は娘夫婦も二人の子供も皆留守の時にするか、あるいは娘夫婦と二人の子供が寝てしまってからしか学法できませんでした。環境的にはやや難しいけれども、私が受けるべき苦がここにはあると私は思ったので、私は住むことにしました。

 当初、場所が狭くても、一家5人は仲良くやっていくことができたのですが、日が経つに連れて、娘の夫との間にトラブルがありました。胸中を吐露すると、娘の結婚の日から、娘の夫が気に入らず、あの頃、私はまだ修煉を始めていなかったので、娘の夫は何もできないと思っていました。私が娘の夫にこのような良くない考えを出したのを、娘の夫も感じていたので、娘の夫は私のあら捜しをしては文句をつけ始め、さらに、娘に陰で私を罵り、トラブルは激化の一途を辿りました。私は修煉者だから、娘の夫と直接は言い争いませんでしたが、心は苦しく、怒りすぎていたので、よく陰で泣いていました。「夫が生きていたら、私たちだけで日々を送っていたはずなのに、こんな酷い目に遭わされて、耐えられるものでしょうか?」と、私は思いました。ある時、「愛情も情であり、恨みも情である」が頭に浮かびあがってきました。

 修煉者として、修煉状態が良くないのですが、修煉者は自分を調節でき、自ら進んで内に向けて探すことができますが、これは師父が私たちに出された試煉なのです。私は学法グループで他の同修と交流し、同修は修煉者の基準に基づいてコメントを出し、この関も越えなければならないことを、私に教えてくれました。私は師父の説法を読み返し、内に向けて探して、自分の中にある多くの良くない心を探し出したのですが、それは例えば、他人を軽蔑する思い上がった心(家の中でも用いていました)、勝手気ままに振るまい優位に立ちたがる心、長い間内心で形成された「男性は一家を養うべきだ」という人の観念。他には、重い情・・・・・・。これらは「私」(たとえば:自分の機嫌がいい、悪い)から生まれ、私の「私」の根は深かったのです。私はこれらの物を取り除かなければなりません。私は宇宙大法の中で修煉する大法の徒ですから、師父と一緒におり、すぐに師父の教えを聞き、いつでも己を正しい道に立ち返らせることができます。

 私はたくさん学法し、『洪吟』と『洪吟二』を覚えました。法が一切の執着を打破できるということを、私はよく知っているので、私は「真、善、忍」の基準で自分に要求し、無私無我となり、大法の徒として他人を先に考慮し自分を後にするようにしました。1年かかりましたが、ほとんどの私心を私が修煉して取り去ると、家庭環境は治りました。娘の夫は私への呼び方は「あなた」から「ご婦人」になり、「お母さん」に変わり、事に当たっては私に相談するようになり、「母親は煉功する人なので、物の考え方が過激ではありません」と、言うようになりました。孫たちが間違ったことをした時に、私が指摘しても、娘と娘の夫も私に逆らわなくなりました。

 今、私たち一家5人は、自分がすべき事を各自が行っていますが、協力しなければならない時はまた協力でき、仲良く、睦まじいです。

 三、真相を伝え、衆生を救う

 法を正す修煉を始めてから、私は直接真相を伝えることを主としてやって来たのですが、脱退した人は大体、私とは見ず知らずの人でした。私は毎日、真相を伝えに出かけ、師父が説かれた「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」(『精進要旨(二)』「理性」)に沿って行っています。2005年下半期から現在まで、私を通じて脱退した人はすでに数万人になりました。毎日、少なくとも20人以上脱退し、多い時は毎日4、50人、時には6、70人に達し、今は毎日40人以上です。今、三退を勧めることに関して、私は一定の数(35人以上)を決め、うまくいかなかったら家に帰らず、時間が早いと(さっさと家に帰って夕食を作り)いつもよりしっかりやります。

 私は真相を伝えるのに人を選ばず、誰かに伝えたければ前に出て伝え、人が多ければ何処でも行き、年齢はばらばらで、様々な業種の様々な人達はどれも、私が済度する相手です。私は同修と外に出て一斉に真相を伝え、10数名の同修と私は協力し、彼女たちを率いて真相を伝えました。

 長い間、真相を伝えている中では、真相が聞き入れられないということが起き、凶悪な人もいました。私は3回にわたって悪人に通報され、一度、私は正念を用いて、警官を動けなくしてから逃走し、2度目は、警官に強制的に警察署に連行されました。警察署では、私は警官のいかなる要求をもまったく無視し、何を聞かれても私は真相を伝え、家が何処にあるかも言わず、「法輪功を迫害することは有罪だ」と言うことだけを話し、私を保護してくださるよう師父にお願いすると、結局ただ警察に何時間か滞在しただけで、堂々と家に帰れました。

 真相を伝える過程で、私の多くの執着心もさらけ出され、例えば、恐れる心、闘争心、歓喜心、物事を取り仕切ろうとする心、便利に楽をしようとする心、面倒なことを嫌がる心など、これらはみな学法と着実な修煉を通して修煉し、少しずつ取り除いて行きました。

 今、私は毎日、大通りと路地裏、繁華街、大きいスーパー、食料品マーケット、市場、駅を走り抜け、和やかな心で、出会った一人一人の縁のある人に話しかけ、法輪大法の素晴らしさを出会った縁のある人たちに与え、出会った縁のある人たちに「真、善、忍」に従って良い人間になるように勧め、「天が中共を滅ぼす定め」と「三退してはじめて平安を保つことができる」ことを、出会った縁のある人たちに知らせ、最後に、本名を用いるか、あるいは仮名を付けて、党、共青団、少年先鋒隊を脱退させ、出会った縁のある人たちを助けています。そういう中で、私が多く感ずるところがあったので、書き上げて同修と分かち合いたいと思います。

 ある暑い「猛暑」の日、炎天下で頭からじりじりと照りつけ、私は日よけ帽子を被っていましたが、汗びっしょりになりました。ある娘が、私と同じ方向に歩いており、その娘は歩きながら手で顔の汗を拭いていて、この時、私はその娘に一言言いました。「そこの娘さん、今日はとても暑いですね」その娘は私を見て話しました。「こんなに暑い日に、あなたはこんなに年を取っているのに、何の用があるのですか?」私は言いました。「いけませんね! 私は重大な任務を帯びているのです」その娘は目を見開いて、当惑の顔で私を見ていたので、私はこれを機会に、貴州省掌布郷の「蔵字石」、中国共産党の腐敗、および法輪功への迫害、世界の人々は「三退」をして初めてこの災難を通り抜けられる理由を、その娘に話しました。その娘は私の言う事が良く分かったので、その後、実名で共青団と少年先鋒隊を脱退しましたが、その娘は党に入ったことはありませんでした。別れる時、その娘は親指を立てて、大声で私に言いました。「法輪功万歳!」その瞬間、私は涙を流し、嬉し涙と汗が入り混じり、私の頬を流れ落ちて行き、私は思いました。そうですね、出会った縁のある人(その娘)たちはみんな、師父の肉親であり、私たちが呼び覚まさなければならないので、この歴史において衆生が自分の生命に対して素晴らしい未来を選択できることを、私は心からお祈りします。

 今年の夏のある日、私はバスに乗ってある土地に行き、真相を伝えました。バスを降りた途端、もともとからりと晴れていた青空から、突然、豆粒のような大雨が落ちてきました。天気予報では晴れという事だったので、私は日傘をひとつ持って来ていただけでした。私は駅の雨除けのひさしの下で雨宿りをしました。雨はますます激しくなり、地面の雨は脚の甲を越え、雨粒が水面に落ちて数限りない水泡を出していました。バスは行き交っていたので、私はバスに乗って家に帰ることもできましたが、今日私はまだ真相を伝えていないと思ったので家に帰りませんでした。そこで、私はプラットホームに立って、バスを待っている人や、雨が強くなって雨具がないので雨宿りをしている人に真相を伝えました。私が一人ずつ真相を伝えると、バスを待っている人(雨具がないので雨宿りをしている人)たちは真相をはっきりと聞き、三退をしました。ある人は乗車して行ってしまい、ある人は雨がいくらか治まった時に離れ離れになって去ってしまい、バスを待っている人は、このように一群また一群と行ったり来たりしていたので、私は続けて真相を伝え、真相を伝えて、さらに、名前を覚えました。雨があがって、私が時計を見ると、もう午後1時過ぎになっており、午前9時から雨がやむまで、もう私はこの駅で4時間以上も立っており、私が三退名簿をもう一度見てみると、名簿の上には、38人の三退した人の名前がちゃんと記されていました。この時、靴(古い北京布靴)は濡れて、ズボンも半分以上濡れていたことにやっと気づき、微風が吹きつけて来ただけで自分の身が冷え冷えしてきましたが、心は嬉しく、ぽかぽかでした。私はバスに乗って帰りました。

 ある冬の雪の日、私は家を出て真相を伝えに行きましたが、雪がだんだんと強くなり、手袋をした手が冷え切ってしまったので、三退した人の名前が書けるように弟子を加持していただくことを師父に求めると、その時、熱いものが体中を巡っていきました。慈悲で偉大な師父はいつも弟子を加護してくださっているのです。この日、私は3つの大きいスーパーと自由市場に行って、全部で42人が脱党しました。

 帰宅途中、大雪がまだ降っており、地面に足跡はとうになく、私は厚い雪を踏みしめ、冷たい風に逆らいながら力強く歩いて行きました。差している傘がますます重くなってきていることに、私は気付いていました。私の家の玄関まで帰ってきた時、その傘をどうしてもすぼめることができなかったのですが、なんと、その傘の上には雪が積もっており、雪解け水が傘をかちかちに凍らせていたのです。私が着ていたダウンジャケットもこちこちに凍っており、体を動かすとガチャガチャ音を立てました。傘を置いた後、私は振り返ってその深い足跡を見ると、とても固くしまっていました。頭を上げて空を見上げると、あ!天空は一面真っ白でした。厚く、厚く、高く、非常に高く、雪がたくさんあり、遠くから見るととてもすごく、パイル織にした白毛の厚い毛布のようで、近くで見ると、白い花のような雪がダンスをしているかのように飛び、風景は一色で、羽毛さながらの雪片がびっしりと綯い交ぜになり、緩やかにひらひら、ひらひらと舞ってきました。きれいで、分厚く…本当に美しすぎました。空中に飛んでいるその厚いパイル織のような雪を通して、小さな地球上の私たちを、広い宇宙の各層の万の神は瞬きもせず注視しており、師父が私を見守り続けながら笑ってらっしゃるのが、私には見えた気がしました。70才代の私は、この大自然の壮観な景色と奇観に初めて出会ったような気がしました。この景色の中で、この神の造化に、私は感嘆しました! 師父は偉大でした! 人の言葉では、大自然の壮観な景色を表現することはできず、人の言葉では、大法弟子の気持ちの大きさを伝えきれませんが、神の造化と大法徒の威徳はこもごも照り映え、永遠に宇宙に存在します。

 師父に感謝申し上げ、宇宙大法を私たちにお伝えくださり、1人の大法徒になることができた事が、とても光栄であることを師父に感謝いたします。

 私の法を正す時期の修煉の道は確かにどこにでもあるものであり、赫々たる大成果は特になく、また、大きな紆余曲折もなく、ただ毎日、穏やかに家を出て(毎日ご飯を食べなければならないかのように)、一人の大法弟子としてやらなければならない事を静かにこなしていました。

 しかし、幾千幾万の大法弟子と同じように、宇宙の中で最も正しくもっとも偉大な事を、私は行っています。師父は正法において、大穹は組み直され、師父は乾坤を再び造られ、弟子たちは師が法を正すことを手伝っており、自分の来世の誓約を、実際の行動をもって実行しながら、衆生を救い済度する歴史的使命を担っています。

 同修の皆さん、師が法を正すことを手伝う路で、自分の着実な修煉によって精進しましょう! 精進! さらに精進しましょう!

 (完)

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/9/264911.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/7/136560.html)
 
関連文章