明慧法会|大法弟子は全体である(三)
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文/中国の大法弟子 悠然 

 【明慧日本2014年1月11日】

 四、良い交流環境を作る

 修煉中に出遭ったトラブルや難関を、みんなと交流したい同修もいれば、周囲に知られたくない同修もいます。その時、同修本人の意思を尊重して、公にしたくない同修に対しては個別に交流します。同修たちが私に教えた家庭のこまごました事情や、自分の病業状態や、心性の関にぶつかる時の苦悩を、私は第三者に言わないように自粛しています。まずは言ってくれた同修を尊重するため、そして必要ないトラブルを引き起こさないためです。同修には考える時間が必要で、心性を高めるにも時間がかかります。私はただ静かに聞いてあげて、それから法理を踏まえて彼の言行と考えに法を離れた部分がないか、放下していない執着心がどこにあるか、彼と一緒に分析します。

 誰それが何をしているか、どれぐらいしたか、誰それの修煉状態が良いか悪いかを、私は同修の中で話しません。何かの用事を述べる時も同修の名前を言いません。関係がない第三者に同修の本名、仕事の情況、やっている大法のプロジェクトなどを暴露せず、たとえ親族(同修)でも秘密を厳守します。中国国内の複雑な環境では、口を修めることは同修の安全を守る重要な要素です。口を修めなければ安全を脅かす以外に、同修の執着心を起こして、同修の中で不必要なトラブルを作ってしまいます。同修と交流する時、私はいつも単刀直入で言いまわしをしません。そして、耳障りなことでも本人に話して、陰で議論したりしません。

 同修Gさんは真相を伝えて「三退」を勧めることも、とてもしっかりやり遂げていますが、せっかちな性格、時間を守らない、背後でよく人を議論する、強引、話がくどく、潔癖症など多くの短所も持っています。彼女と一緒に仕事をする同修は、彼女本人に率直に言う勇気がなくて、よく私に文句を言ってきます。一方、Gさんもよく私に誰それの能力が低い、誰それのことを気に食わないとか言ってきます。両方から聞いたことを私は絶対互いに教えたり伝えたりせず、ただ静かに耳を傾けて、陰で人を議論せずに相手と直接に交流して、誤解を解くように提案します。同修たちと頻繁に対立することにGさんも悩んで、「同修と共同作業をしなければトラブルもなくなるので、これから1人でやる」と言ってきました。私は率直に「共同作業のせいでなくて、あなたが相手のために優しく考えていないからです。我々は真・善・忍を修めているが、『善』と『忍』においてあなたはまだまだ足りないのです」と言うと、Gさんも自分の問題点を認めて、それ以来大きな進歩がありました。

 同修Hさんは周囲の人に命令する傾向があり、相手を自分に服従させることが好きで、自分の考えにそぐわない意見を聞くとかんかんに怒りますが、誰も彼に指摘する勇気がありません。ある日、私は進んで彼の家を訪ね、誠意を込めて彼と交流しました。彼も本音を語ってくれて、私たちはとても友好的に交流しました。

 今の中国の人間関係はねじ曲がっており、皆本音を言わず八方美人です。そのような良くない風習が同修の間にも存在しています。他人の問題を見て直接に言う勇気がないのは、やはり情に執着する現れだと私は思います。修煉者の間では、善意のある指摘はとても必要です。特に難関にぶつかり長期にわたって突破できない人に対して、周囲の同修からの助けは大切です。大法を守るため、同修を助ける心を抱いて、正々堂々と同修の間違いを指摘してあげれば、相手の感情を傷つけるとか、相手が受け止めなかったらどうしようとかを心配しなくて良いと思います。もし相手の問題を見ても情に配慮して、言わないで、注意しなければ、後日もっと悪い事が起きた時、その人が損をするだけでなく、私たちの全体も損なわれるに違いありません。

 現地の情報収集、真相資料の編集、全体の問題点などについて、私は直ちに明慧内部のメールアドレスから皆と連絡を取り合います。皆は会うことなく、顔さえ知らないのですが、私たちの心は通じ合っています。全体の修煉状態を向上させるには、どの人にも自分なりの責任があります。

 五、大法を実証できるプロジェクトなら、一つも漏らさない

 私が所在する市に大法弟子を拘禁する場所が3カ所あります。1カ所は市内にあり、近距離発正念をしに行っている同修はわりと多いのですが、2カ所は遠い郊外にあって、ほとんど行く人がいません。郊外の地理に詳しい同修に聞いた後、私は発正念に適する場所を見つけたので、同修たちと相談しました。相談の結果、東の郊外の1カ所は地元の協調人に協調してもらい、西の1カ所は私が協調して、それぞれ参加できる人を探して、今後、不定期でも良いが、3カ所とも長期にわたり発正念を続けていこうと決めました。私が管轄する地区は市の南にあって、西の郊外まで遠いため、私たちは月に2回行くことに決めました。それから、毎回全員に知らせて、時間のある同修が行くようにして、晴雨に関わらず、私たちは3年間堅持しました。最も多い時には9人、最も少ない時は2人が行っています。他の空間で師父は我々を加持してくださり、邪悪を消滅する壮観な光景を、某同修は天目で見ました。

 私が管轄する地区には10数人の同修がいて、真相チラシを配る人、真相小冊子を配る人、真相に関するシールを貼る人、神韻DVDを配る人、真相電話をかける人などに分けています。毎週約100人に「三退」してもらっています。当地区には三つの学法チームと四つの資料点がありますが、どの資料点も単独で運営でき、ネットからファイルをダウンロードすること、週刊、小冊子、DVD、お守り、真相紙幣、大法書籍の製作など、すべて自力でできます。10数人が分業と協力をして、大法を実証できるプロジェクトを漏れなく行っています。

 六、仕事と修煉を両立する

 修煉と仕事、生活は切っても切れない関係にあり、生活と仕事の中で出会った事には修煉の要素があり、1人の修煉状態はまた仕事と生活に反映します。私たちは常人社会で修煉するので、仕事も疎かにしてはならず、修煉もしっかりしないといけません。両者のバランスをうまく整えることは、大法修煉の我々に対する要求でもあると思います。

 仕事の中で、私はいつも上司に指示されたことを立派に完成させています。毎年の業務能力試合でも首位を取って、実績は同僚と上司に認められています。職場で公認されたベテランの中で、私は唯一共産党に加入していない人間です。私がいる職場は共産党に厳密にコントロールされている国営企業なので、政治色の濃い活動やイベントが一年中頻繁に行われています。しかし毎回、私は師父の巧みな按排のおかげで参加せずに済み、同僚たちに不思議に思われています。

 家での私の「職責」は洗濯とご飯を作ることです。修煉者は仕事が忙しい、大法の仕事が多いなどを理由に家庭の中で果たすべき役割を疎かにしてはいけません。大法弟子は常人社会の中でも良い人でないといけません。

 学法について少し話しましょう。協調人になる前、私の自由時間は今より多く、読む回数が多いために一部の経文は暗唱できました。明慧週刊の良く書けた文章も、繰り返し読んだために、一部の段落は暗記できそうになりました。協調人になってから雑用が増えて、自分の自由時間がほとんどなくなり、一日一日が飛ぶように早く過ぎていきます。時には、今日は何月何日の何曜日かさえ思い出せないのですが、ただ今日しなければならない用件は覚えています。しかしどんなに忙しくても、出張、勤め先での夜勤当番、残業などにも関わらず、私は前もって大法の仕事の段取りをよく済ませて、大法と同修のことに支障をきたしたことは一度もありません。

 まとめ

 協調人になってから、学法時間が少なくなり、学法の質もだいぶ落ちました。それで2003年から私は学法の方法を変え、毎日『轉法輪』を5段落暗記し、同時に他の経文も少しずつ読むことにしました。暗記することは、以前の通読より『轉法輪』を深く覚えることができます。今、私は10周目の暗記に入りました。協調人は処理しないといけない用事が多く、心を容易に静めることができません。中国国内の協調人の皆さんに『轉法輪』を暗記する方法を勧めます。暗記すると、通読する時より集中できます。そしていざという時に、不正な念が生じる前に、『轉法輪』の言葉が脳裏から自然に流れ出て、不正な念を防ぐことができます。

 協調人は必ずしも修煉がよくできた人とは限りません。協調人はただ全体の中の1本の糸のように、それぞれの大法の粒子を繋いでいます。粒子が一つの全体を形成すれば、ばらばらの状態よりもっと偉大な役割を果たすことができるのです。

 (完)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/17/281629.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/12/143589.html)
 
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