文/中国の大法弟子 悠然
【明慧日本2014年1月10日】
二、資料点の純正さを保つ
資料点は中国でとても重要なプロジェクトなので、資料点の純正さを保つことはとても重要です。
隣接の区の協調人Eさんは、何度も常人の資料を持って来て、私に編集と製作(彼らは編集の能力を持たない)を依頼してきますが、私は厳正に断り、その問題の重大さも指摘しました。そして、私は現地の複数の資料点の同修たちと交流しました。資料点が資料の数量と品質を保証すること以上に重要なのは、原則を守ることです。同修の間では情を挟まず、大法を守ることが根本です。大法に符合しない資料はたとえ紙1枚、DVD1枚でも作ってはいけない、などの共通の認識を得ました。数年来、法を乱す資料は現地の資料点に一度も現れたことがありません。
一時、某資料点の同修Fさんはもう一人の協調人との間にトラブルが起きて、協調人から依頼された仕事に対しても反発して、よく不平をこぼしながら仕事をしていました。私はFさんに、「相手が依頼してきた仕事が大法に符合しているならば、相手がどんなに心性が低そうに見えても、相手と対立があってもその仕事を応援すべきです。一方、相手が依頼してきた仕事が大法に背くものであれば、その人が普段どんなに修煉がよくできていると見えても、彼とどれほど仲が良くてもその仕事を手伝ってはいけないのです。また、沈黙をしても駄目で、指摘してあげないといけない」と言いました。
資料点は金と物品を一切預からないという原則を、私たちは厳格に守っています。給与収入がない1人の同修を除いて、すべての資料点は同修の寄付を受け取らずに、自分の給与収入で資料点の運営を維持しています。ある日、某同修が「夢の中で師父からご啓示を受けたので、資料点に2万元(約30万円)を寄付したい」と言ってきたのですが、私は断りました。またある日、某同修は2万元を持ってきて、「これは自分が常人の中で心性を守れなかった時に手に入れたお金なので、自分はどうしても安心して使うことができないので、資料点に寄付する方法で、金銭に対する自分の貪欲を抑制したい」と言いました。私は受け取らず、彼女に「第一、現在資料点の資金は足りている。第二、多額の現金を取り出すと、あなたの家庭内でトラブルを引き起こす。第三、金銭に対する執着を除去するには、必ずしもこのような方法を使わなくても良いのではないか」と返答しました。資料点にお金を寄付したい同修は多くいます。普通、私はすべて断って、本人にお金を返します。第三者に依頼してお金が転々としてやっと私のところに届けられた場合、もしくは本人が断固としてどうしても寄付したい場合を除いて、すべて本人に返しています。受け取っても、厳格に全額を資料の製作に用いて、節約して使い、本の表紙を作る時に裁断した切れ端を、私はしおりやお守りカードに作製しました。
同修たちが資料や大法書籍を多く、急いで必要とする時も、私たちは直ちに同修の要求を満足させて、一度も遅らせたことがありません。私たちが夜遅くまで資料を作っているのを見て、同修は「ご苦労さま、これ以上あなたたちに資料を要求すると、恥ずかしくなる」と言うこともありますが、私は「そう思わないでください。私とあなたの分業は異なっており、資料を作るのは私の本分です。作る人もいて、配る人もいて、それでこそ一つの全体を形成しています。あなたたちが多く配るほど、救う人も多くなるので、それは私が最も喜ぶことです。あなたたちのように最前線で頑張っている同修こそご苦労さまです」と話しました。
三、大法の事はつまりあなたの、私の事だ
大法の事については、やりたいかやりたくないか、能力があるかないかの問題が存在せず、どのようにやり遂げるかの問題だけだと私は思います。大法の事をする時、自分の趣味よりも、まず責任を考えるべきです。
去年、現地のとても威信が高い協調人が連行された後、現地の『明慧週刊』も中断しました。私と彼はいかなる連絡をしたこともなく、どの同修が現地の『明慧週刊』を作っているかも知りませんでした。2週間経って、現地の『明慧週刊』は依然として姿が現れず、私はとても焦りました。現地の『明慧週刊』の作り方とデータのアップロードの方法は知りませんが、一方的に待って他の同修に頼ってはいけない、誰かがすぐに立ち上がって、現地の『明慧週刊』を作る作業を引き受けなければならないということだけは分かっていました。実は、ふだん私の仕事はとても忙しくて、家に帰ったら大法の事もあって、新しい仕事を引き受ける余裕がない状態でした。しかし、大法の需要は私の努力の方向だという信念を抱いて、今日から私が現地の『明慧週刊』を作ろうと決意しました。
私は直ちに明慧ネットの「天地行技術フォーラム」と連絡を取って『明慧週刊』を作る技術を学び始めました。しかし1週間経ちましたが、肝心な部分を攻略できず、周囲にその技術が分かる同修もいません。突然、人脈の広い某同修を思い出して、彼に聞くと、彼は「現地の『明慧週刊』が2週間も出ていないことに、私も気付いた。しかしきっと誰かが作ってくれるでしょう」と言いました。私は「このまま待たないでください。誰かがきっとやると思わずに、自分が何をすべきかを考えるべきではないですか。そちらの技術が分かる人に連絡して、現地の週刊を作ってもらいましょう」と彼に頼みました。彼は「技術が分かる人を知っているので、彼らは週刊を作ることを引き受けるかどうか、聞いてみるね」と言いました。私は「彼らにこの件を充分重視してもらってください。作らなかったら、私に技術を教えてください、私が作ります」と言いました。数日後、現地の週刊が出てきたのを見て、私はやっと安心しました。
(続く)
(明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/12/143589.html)