14歳の大法弟子「大法が僕を変えた」
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文/ロサンゼルスの大法弟子

 【明慧日本2014年4月3日】師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 今回僕がみなさんと交流するテーマは、大法が僕を変えたことについてです。人間一人を変えるのは難しいことですが、大法のおかげで僕は変わりました。

 昔の自分はアイデンティティを全く持っていませんでした。すべきことと、してはいけないことを区別できず、思いやりもありませんでした。また、体も弱く、つらい思いをたくさんしましたし、僕の面倒を見ていた母も苦労し、優しくしなさいと、常に僕の心配をしていました。

 アメリカに来た最初の年は、公立の学校に通い、学校でクラスメイト達と悪い道に走り、毎日ゲームに夢中で、成績は下がっていき、母に大きな心配をかけました。

 大法を修煉し、トラブルの中で内に向けて探す

 ある偶然な機会に、僕はカリフォルニア州の飛天芸術学院に入りました。ここの生徒や先生たちはとても優しく、他の学校とは違っていました。夏休みに僕は男子寮に入り、幸運にもここで大法の修煉を始めました。修煉が僕の目標となり、それからは心も落ち着きました。以前の自分は是非をわきまえず、して良いことと悪いことを区別できませんでした。しかし、今は、何をするにも「真、善、忍」を基準にし、心が明るくなった気がします。以前の自分は矛盾や衝突に遭うと自分の面子や好き嫌いを重んじて、すぐに他人と喧嘩し、顔に笑みを浮かべたことなどありません。修煉後は、自分の内に向けて探すという法理を理解し、他人との衝突の中で、難しいと分かっていても、「一笑に付する」[1]ことが出来るように努力したいと思いました。師父は『洪吟三』の「誰が是誰が非」で、次のように説かれました

 修煉する人

 自らの過ちを探し

 各種の人心取り去ること多し

 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず

 正しきは彼

 過ちは私

 何を争ふものか

 修煉者はたとえどのような衝突や困難に遭っても自分の内に向けて深く探すべきであり、何をするにも他人のことを考えるという思いやりが大事であり、「正しきは彼 過ちは私[2]とあるように、自分に注意することが修煉者であるということを僕は悟りました。

 大法は僕を変え、母をも変えた

 母は僕の変化に気づき、前より明るくなったと学校の先生も言いました。そうです、大法が僕の心と知恵を開いてくれたのです。師父に感謝いたします。時に母は僕に悩みや嫌なことを言います。僕はそんな母を導き、他人の状況を考えて、損得をあまり気にしないようにと教えます。14歳の子供がこのような言葉を口にするとき、母は僕の変化にますます驚きました。男子寮に入ったばかりの時、先生は母に真相を伝えました。当時の母は『大紀元新聞』を一目も見もしませんでしたが、今はすっかり変わりました。大法が僕を変え、そして母をも変えたのです。

 「真善忍美術展」を見て、僕の絵は「黒」から「明るい色」に変化

 飛天芸術学院で、僕は美術を勉強しています。以前の自分が描いた絵は強い闘争心や魔性を帯びており、黒いペンで殴り合いが続く漫画を3冊も描きました。かつて、おばあちゃんが、「このような絵がよいと思っているの?」と僕に聞きました。その時の僕は理解できず、「いけないの?」と、おばあちゃんに聞き返しました。後に、師父の『美術創作研究会での説法』を学んで驚きました。また、おばあちゃんに「真善忍美術展」を勧められて見ると、非常に美しくその素晴らしさに感動して涙を流しました。その感動はとても言葉に表すことができません。それから、僕の画風はすっかり変わり、心の底にある清らかで、穏やかで、美しいものを描いた作品こそが最高の芸術作品なのだと悟ることができました。そして、その時から、作品を描くときの僕の心は穏やかになり、色も変わり、金色や黄色を用いるようになり、先生や生徒たち、母までも僕の絵を前と違って、とてもきれいだと言ってくれました。

 正念の力を初体験

 今年の3月、神韻芸術団がロサンゼルスにやってきて、僕はとても興奮しました。家族全員に見てほしくて、家族も真相を知り、中国の正統な文化を分かってもらいたいと思いました。しかし、心配事がありました。それは、母たちが見に行くかどうかということです。なぜなら、以前、母は一度神韻の公演を見に行ったことがありますが、その時、母は特に何かを感じたわけではないと言ったのです。男子寮の皆は、「正念を持って、正しく行うように」と励ましてくれ、僕も自分の正念がますます強くなったと感じました。そして、ある日曜日の夜に、家族全員に見に行ってほしいと母に電話を掛けましたが、母は「お金がない、時間が合わない、帰りが遅くなる」などと、行かない理由をたくさんあげて、とにかく行かないと言いました。電話を切り、僕は失望しました。どうすればよいのか分かりませんでした。その時、男子寮の生徒と先生方は、「あきらめないで。正念を強くして、師父の按排を信じ、奇跡が起きると信じるのだ」と僕を励ましてくれました。非常に失望しながらもぼくは正念を強めました。すると、すぐに母から兄以外は全員見に行くというメールが届きました。それを見た僕は喜び、思わず、「奇跡だ! 本当に素晴らしい! 奇跡だ!」と大声を上げてしまいました。夜遅くにもかかわらず、僕はこのうれしいニュースを皆に教え、みなとともにこの素晴らしさと喜びを分かち合いました。そうなのです。正念を持って正しく行うことです。僕は初めて正念の力を強く感じました。この経験があったからこそ、これからも家族に真相を伝え続けていかなければならないと感じました。

 神韻を鑑賞し、内向的な父が他人に挨拶するようになった

 家に帰ると、僕は神韻を紹介する英語の新聞を父に見せると、真剣に見て、兄とともに神韻を見に行くように発正念をしました。父は真剣に読み、そして、「なるほど、そういうことだったのか」と感嘆しました。もう夜の10時過ぎでしたが、父は直ちに兄に神韻を見に行こうと電話をしました。そして、兄も快く頷き、友達もつれていくと言いました。父はすぐに兄たちにもチケットの予約を取るよう母に伝えました。翌日に神韻を鑑賞しているとき、父が力強く拍手しているところを見ました。一つ一つの演目が終わると猛烈な拍手をし、とてもうれしそうでした。内向的で物静かな父がこのように情熱的な反応をして、自分の感情を素直に表しているところを、そう簡単には見られません。その日の公演の後、感動している父は地下鉄を待っているときでさえ上機嫌で、自ら他人とあいさつし、握手をしていました。普段の父とは全くの別人のようで、僕に再び大法の素晴らしい力を見せてくれました。

 思いやりの心と正念があれば、脱退を勧めることは困難ではない

 大法を学んでから、真相を伝えることと脱退を勧めることが非常に重要なことだと気づきました。大法の素晴らしさを知り、人々が良くなることを望んでいます。7月の夏休みに、上海から学生が1人来ました。夏休み期間のクラスに入るため、男子寮に入りました。彼はとても大きく、太っていて、彼と友達になりたいと思いました。夜になり、僕と同室だと言われ、うれしかったです。友達が増えるし真相を伝える機会も増えると思いました。就寝の時、僕から口を開き、話し始めました。あれこれ話していると、お互いのことを知るようになり、この機会を利用して、僕は浅いところから彼に真相を伝え始め、中共の悪いところも話しました。それから、「道徳の教科書にさえ法輪功の悪口を書かせている中共は卑劣すぎるもので、そのようなものに付いて行ったらよいことなど一つもない、脱退したほうがいいよ」と勧めました。彼はとてもおとなしい人で、僕とは友達なので、快く頷き、大法に対し、新たな認識をして脱退しました。衆生を救う過程で、思いやりの心と正念があれば、相手は受け入れてくれることを悟りました。

 結び

 修煉の過程で、僕は正念の力を体験し、この正念は学法を続けることで生まれることを知りました。そして、いったん集団で法を学ぶ環境から離れてしまうと、正念を持って正しく行うことを維持するのはとても困難であることも体験しました。ですから、みんなと法を学び、交流し合うこの環境を僕は大事にしています。男子寮では、我々は学法し、皆で煉功することを毎日続けて、週一回の交流で切磋琢磨しています。この1年以上の修煉で、自分が内から変わり、自分はもう何も知らない子供ではなくなり、ゲームに対する執着も少しずつ無くなっていき、成績は上がり、体調も良くなっていきました。以前のような弱い子供ではなくなり、もちろん母も喜んでくれました。大法の素晴らしさと師父の慈悲が僕に家に帰る喜びと幸運を感じされてくれました。

 師父に感謝いたします! 同修のみなさんに感謝いたします。

 注:

 [1]李洪志師父の著作『転法輪』

 [2]李洪志師父の詩 『洪吟三』「誰が是誰が非

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/3/282166.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/8/143077.html)
 
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