明慧法会|三つのことをしっかり行う事が一番の幸せ(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月4日】慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は中国の大法弟子で、1996年に法輪功を学び始めて以来、師父について18年間歩んできました。困難で紆余曲折の日々が多かったのですが、師父の量り知れない慈悲と、法輪大法の博大で奥深さを実証しました。

 十数年間が経過し、季節は移り変わり、私たちは真相を伝えて、この都市の東西南北、中国本土の数多くの名所旧跡、名山や大河を巡り、足跡を残しました。「その過程は苦ではなかったか?」と、自分自身に問いかけると、答えは「苦ではない」です。これはスローガンではなく、真実です。悪くなってしまった今の世の中では、三つのことをしっかり行ってこそ、最も幸せで、最も着実で、最も明るくて、身体も楽になるのです。真相を伝える道を歩めば、道がどんなに長くて険しかろうと、私は永遠にツバメの如く体が軽く、健脚は飛ぶが如しです。それは、この過程で私たちの一歩ずつの僅かな進歩を師父がさらに大きく、さらに素晴らしく、さらに意義を与えてくださり、この過程で私たちの未来を成就させてくださっているのだと私は思います。それに反して、様々な執着につられて時間を無駄に過ごし、安逸をむさぼると、心の中は最も苦痛で、最もさいなまれ、その時の身体はいくら休んでも重くてくたくたに疲れて、焦りを感じます。

 「衆生は今か今かと待っており、救われるのを待ちわびている」ということを、最近の一時期、よく感じました。私はある時、庭園に水やりのためのホースがあるのを見かけ、ホースの先をたどって行ってみると、小さな松の木の傍へやって来ました。私は「水をやる庭師は必ずホースを取りに来るので、庭師に真相を伝えることができる」と思いました。私が真相資料を梢に載せたばかりの時、すぐさま2人の庭師がやって来て、嬉しそうに読み始めました。2人の庭師が今か今かと待ち望んでいたのはこの時だったかのようでした。ある時、真相資料を目立たない岩の上に置いたところ、男性がすぐさまそこで一休みする準備を始めました。その後、その男性は大切そうに真相資料を手に取って読み、読み終えた後、また丁寧に元に戻しました。また、資料を配っていた時、道路工事中の質素な出稼ぎ農民たちを見たのですが、その人たちも大法が救い済度する対象です…。

 1992年5月13日、恩師である李洪志先生が正式に法輪大法を世に公開され、洪大な天空と全世界、天地の万物が遍く佛光を浴びる中、衆生が壊滅される時、新しい命の希望が待ちうけています。その頃、私は青春のど真ん中で、大学のキャンパスで学ぶと同時に、とても早くから密かに「真法」、「真道」を長年追い求め、いろいろな書籍を読みました。しかし、ずっと何も得ることはできませんでした。夜、私はよく静かに座禅をしましたが、知らず知らずのうちに何かを待っているかのような状態になりました。1995~96年の冬のある日、私は新聞を裏返して見たところ、『北京晩報』の「ベストセラーランキング」で、第1位『轉法輪』、この3文字が刃物で刻まれたかのように目に飛び込んできました。「これは修煉の本に違いない」と私は驚き、「自分はどうして知らなかったのか? 読む機会があればいいのに」と、ひそかに考えました。ある日、普段は全く行くことのない、ある小さな書店へ行き、入るやいなや、私は驚き、茫然としました。目の前の2列の棚一杯に『轉法輪』が並んでいたのです。私はむさぼるように何回も何回も繰り返し見て、家に帰って、読んではまた読み返しました。私はこんなにも幸運に、『轉法輪』が今生で二度と手放せない貴重な書籍になりました。

 修煉を始める前の数カ月間、私は『轉法輪』の中で説かれている「肉食の問題」が起きました、「肉を食べられなくなり、匂いも生臭く感じ、食べたら吐きたくなる」[1]。私は幼い頃から肉がとても好きだったのですが、この状態が3カ月間続いてやっと止まりました。『轉法輪』を読んだ後「どこへ行けば法輪功の功法を学べるのだろうか?」と焦りました。会社の同僚が胸に小さな法輪バッジを付けているのを見ました。その小さな法輪バッジは日光の下で、私に向かって静かに微笑んでいました。

 1996年4月21日、私の居住地にも煉功が正式に設立され、私は幸運にも法輪大法の修煉を始めました。私はこの広大な青海原の中の一粟になり、世の中の栄辱(えいじょく:栄誉と恥辱)にかかわらず、荒波が山のように高くても、初心を貫きます。

 身体の面では、私も多くの大法弟子と同様に、修煉の道に入って以来、無病で全身が軽く、大法は修煉者の身体に超常的な奇跡をもたらします。師父は弟子と世の人々のために心血を注がれ、報いを求めず犠牲を払ってださっています。一度、師父が私のために体を清めてくださった不思議な体験を、私は今でもはっきりと覚えています。

 その日、私は自転車で出勤している途中で、いつもと同じようにイヤホンをつけて、師父の説法を聞いていました。師父のその説法の現場にいた修煉者たちが自分と同じような病気だと聞き、そして一斉に足を踏み鳴らしたその時、私は急いで自転車を止めて道の端に立ちました。少年時代から長年苦しめられた不整脈のことを考えると同時に、師父の号令に従って足を踏み鳴らしました。ドスンと踏み鳴らすと、長年の病気が瞬時に消えてしまいました。誰でも知っていますが、世間での出来事は何のいわれもなくあるでしょうか? 慈悲で偉大なる師父はあなたに修煉したいという願望があるからこそ、あなたのために引き受け、あなたのために犠牲を払っておられますが、この洪大な慈悲を誰が想像できるでしょうか?

 私は大法の「真・善・忍」の教えに従って自分を律し、心性が修煉の中で速やかに向上しています。まさに師父のおっしゃる通り、私は多くの修煉の機会と試練に遭遇しました。ある時、自転車に乗っていると、真正面から見知らぬ人が近づいて来て、訳もなく私の顔に唾を吐きましたが、私は淡々としていました。ある時はバスの中で、車掌がみんなの前で、「足りない距離の切符を買った」と、無実の罪を着せましたが、私は争いませんでした。またある時、同僚が聞き苦しい話をして私を困らせましたが、私はただ必要な説明をしただけで、平然としていました。雪が降る冬の朝、大法弟子たちは梅の花の如く、寒風の中で静かに煉功し、一陣の暖かい流れが全身を貫きました。じめじめした蒸し暑い夏の夜、蚊やハエが刺す中で、煉功している大法弟子は微動だにしません。大法の法理が分かり、私はいつも心性をしっかりと守り、苦痛に耐えて精進し、師父のご加護の下、一つひとつの難関を乗り越え、混沌としたこの世の中で、大法の超常的な素晴らしさが現われました。

 1994年4.25の前に、天津市の修煉者が警官に不当に連行されたと聞き、それは信じがたいことでした。というのは、法輪大法は素晴らしい功法で、ただ「真・善・忍」の教えに従って良い人になるよう人に教えているだけであり、さらに、5式の動作は簡単で、病気治療と健康保持に達することができ、さらに、もっと高い次元に向けて絶えず向上するからです。政府は何のために良い人間を逮捕する必要があるのでしょうか?

 4月25日の朝、私は府右街の国務院陳情事務所に行き、法輪大法の修煉を通じて恩恵を受けた修煉者の1人として、心の声を政府に伝えました。合法的に公開された環境下で、学法し煉功することができるよう希望し、無実の大法弟子をなんとかして解放させたいと思いました。

 大法弟子が大勢やって来ましたが、秩序よく整然としており、道の端に立っているので、交通や通行人に影響を及ぼさず、通りすがりの人が若干、好奇心から傍観していましたが、修煉者は積極的に秩序を保ち、人の流れをスムーズにして、すべてがこのように静かで穏やかで、自然体でした。当時の首相が大法弟子の代表と会い、さらに、これらの問題を円満に解決する意を表明したことを覚えています。夜、大法弟子は自分の周囲をきれいに片づけて帰りました。周辺地域ははとてもきれいでした。

 大法弟子は清純で、意外にも人徳の低い人を嫉妬させました。夜に煉功していた時、数カ月間、こそこそと誰かが暗がりで写真を撮っていました。ある時、座禅を組んで静功を煉功していると、フラッシュがパチッと一瞬光ったのを感じました。大法弟子は泰山の如く安定しており、ただ師父のおっしゃることだけを聞いて、入静を続けました。

 1999年7月、フランスの預言者・ノストラダムスの「恐怖の大王が天から降りてきた」の予言のように、宇宙の大法に対する、中共(中国共産党)当局による誹謗中傷と迫害が始まりました。大法弟子たちは出て行きました。私は再度、陳情事務所へと向かいました。そこは名目上、庶民が真実を訴えるところです。府右街に着くと、街中至る所に警官を見かけましたが、大法弟子は道義上後へは引けず、自分の経験を用いて大法のために公正な話をしなければなりません。私は不当に拘束されました。警官は大法弟子の目の前で、テレビで繰り返し放送していた大法に対する濡れ衣やデマや偽りの宣伝を放送しようとしましたが、放送できず、他のチャンネルは大丈夫でしたが、このチャンネルの画面は雪が舞っているかのようにちらつき、騒音がひどく、警官でさえ自分たちでもおかしいと思っていたので、見知らぬ同修たちは笑い合っていました。

 警官から横暴で筋の通らない威嚇や嘲笑を受け、怒鳴り散らされて、私も涙が流れましたが、すぐさま師父の詩を心の中で繰り返し暗唱しました。「生きて求める所無く 死して留まるを惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは難しからず」[2]。1回また1回、何度も繰り返しました。師父は私に言い聞かせ、私を加護し、私の正念を加持してくださいました。

 私が家に帰った日の昼ごろ、母が「少し前から、あなたの部屋の窓の外に、全身の羽がとても鮮やかできれいな小鳥が1羽飛んで来て、鳴いてばかりいて、立ち去ろうとしなかった」と教えてくれました。母はその小鳥を見て、私がもうすぐ帰って来ると思ったと言いました。私が部屋に行って見ると確かに、その小鳥はまだいましたが、北方の街でこういう不思議な小鳥を見たこともなく、羽毛は赤、黄、青、緑で、とても美しかったです。私が戻って来たのを見ると、その小鳥は安心したかのように飛び去っていきました。

 邪悪の迫害は天地を覆い隠すかのように見え、天が落ちてきたかのような勢いでしたが、実際、本当に正念が十分な大法弟子の前では、邪悪な連中は何者でもありません。しかし、この迫害の中で本当に危険なのは虚言を鵜呑みにしてしまった人々で、宇宙のすべてを造成した大法がほしいままに虚言にまみれ、それは世の人々にとって危険極まりなく、世の人々が虚言を鵜呑みにすれば、その生命の根本を造成した大法に対して善くない心を抱くのであれば、この生命の未来をどこに置くことができるでしょうか? 師父は衆生を憐れみ、膨大な生命群が淘汰されるのを目にしたくなく、師父の願望はつまり、弟子たちの責任です。大法弟子は、大法のこの世の生命として現れ、真相を伝え衆生を救うという師父が導いてくださった道を歩んでいます。

 (続く)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 注:

 [1] 李洪志先生の著作:『轉法輪』

 [2] 李洪志先生の詩:『洪吟』「無存」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/10/281579.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/21/143338.html)
 
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