西洋人修煉者―法輪大法は様々な方面で私を変えた
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文/ドイツの学習者 Agnetha

 【明慧日本2014年6月1日】

 入門

 私の父が法輪大法を修煉し始めた時、私はまだ子供でした。その頃、両親は仲が悪く離婚しました。しかし、私は定期的に父に会い、彼からいつも穏やかな感じを受け、母親との間のような喧嘩もなく別世界でした。いつかは覚えていませんが、父親は私に法輪大法のことを伝えようとしましたが、残念ながら私は理解できませんでした。数年後、彼は再び私に大法のことに言及し、1枚のパンフレットを渡してくれました。それを読んだ後も、私はやはり大法の道に入りませんでした。またも数年が経ち、私は様々な視野を開拓する信仰に関する書籍を読んだ後に、初めて法輪大法に興味を持ち始めました。私は父親のことを理解しようと努力し、法輪大法にも興味を持ち始めました。

 父親は一冊の『轉法輪』を私に渡しましたが、しかし読んでも内容をあまり理解できないので、本を横に置きました。その後、姉が修煉し始め、私にドイツ語版の『法輪功』を渡してくれました。私も、姉から五式の功法を習い、そして新版の『轉法輪』を渡してくれました。この新版では、それぞれのページの端に固有名詞の注釈が表示されていました。今回、私は本を読みだして、手放したくなくなりました。『轉法輪』は正に私が人生において探し求めていたものです。その中に、幼少期の私にとって非常に重要な内容が入っていました。人と睦ましく接し、真摯に無私で、他人のために多く考えることなどです。簡単に言えば「真・善・忍」の法理そのものです。

 私は遠回りして法を得ましたが、師父の助けと、父親と姉の助けに感謝します。私はやっと修煉の大道を見つけました。修煉を初めてから今月で9カ月目です。

 『轉法輪』は徹底的に私の人生を変えました。修煉してから、全てが変わりました。

 飲酒

 修煉前、私はよく集まりに参加し、必ずお酒を飲みました。酒がなければ物足りない感じでした。『轉法輪』第七講の煉功と飲酒の関係に関する法を学び、私はお酒を止めることにしました。酒が体をダメにするのは分かっていても、あまり深く考えませんでした。師父の説法によって私は目覚めました。

 金銭

 道端に落ちているお金を懐に入れることをやめました。それは自分のものではなく、自分が拾わなければ、持ち主が戻ってまた見つけることができます。以前、財布を拾った場合、必ず警察に届け、持ち主が分かる場合は必ず本人に返していました。しかし、落ちていたお札はいとも簡単に拾って自分のポケットに入れました。今はお金を見たら、まず『轉法輪』第四講の「失と得」の説法を思い出します。

 金銭は私の一つの大きな執着です。今までずっと多くのお金を所持することを夢見て、絶えず追求しても叶いませんでした。しかも闇雲にたくさんのお金を使ってしまったこともあります。私はケチではなく、金があれば消費し、友達にも食事を奢ります。私の執着は金持ちになって、豪華な生活を送ることです。そして、例え考えだけでも、私は自分のお金をもって人を助け、巨額の献金をし、自分の財産をもって多くの善行をすることも夢見てきました。私はお金を渇望し、この追求を諦めたくありませんでした。『轉法輪』を読んで、私は分かりました。私はこの執着を放下しなければなりません。自分のものであれば必ず来るので、ずっと心配しても意味がなく、自分のものでなければ当然来ないでしょう。

 恐れ

 修煉を通じて、私は自分に理由もなく恐れる心があって、克服すべきだと気づきました。最初、法輪功修煉者たちが世の人々に、法輪功が中国で受けている迫害の実態を伝えるためにチラシを配っていることを聞き、怖くなりました。このような活動に参加するのはまるで他人を訪問して迷惑をかけているか、あるいは何かを売りに回っているように感じ、参加したくありませんでした。しかし大法はこんなに素晴らしく、私は自分の心構えを変えたいとも思いました。こうして、私もチラシ配りをスタートしてみました。その後、私は自分の恐れる心の可笑しさに気づきました。私はチラシを配りながら、相手を邪魔しているという良くない思いが相手に伝わり、相手も嫌気がさしてきます。まずこの考えから改めるべきです。

 署名活動の過程で、私には再び恐れる心が生じました。しかし、私は相手に真相を伝えたいのです。私は同修から署名の用紙をもらい、まず隣人からスタートし、人々に中共による迫害や法輪大法修煉者に起きている臓器狩りの背景真相を伝える訓練をしてみようと思いました。同修は私のアイディアが良いと思い、協力してくれました。こうして、師父はこういう形で私にもう一度恐れる心を取り除くチャンスをくださいました。実際、私は1人ではありません。

 煉功するときも私には恐れる心があります。私は第五式の功法を煉るのを恐れています。以前の私には座禅は簡単なものでした。しかし今は単盤でも辛うじてしかできません。体が硬く、痛みも伴います。ですので、私はいつも第一式から第四式の功法を煉って、第五式は省くことにしています。毎週水曜日、私はいつも姉夫婦と一緒に学法、煉功し、その時は第五式の功法を煉ります。前の四式の功法を煉っている間、私は考えました。後で姉に第五式の功法を煉るかを聞かれたらどう答えようかと。彼女は私が長い間、五式目の功法を煉っていないのを知っているから、必ず聞いてきます。彼女に言い訳を答えれば間違いであり、彼女と私自身に嘘をつくことにもなります。そう思って、私は彼女たちと一緒に座禅することにしました。今の私は毎日座禅していませんが、できるように努力しています。

 私自身もなぜ座禅の痛みに耐えられないのか不思議に思います。本来私は痛みなどを耐えられる質です。以前、私は腰と背中のひどい痛みをよく経験し、いくら痛くても薬を飲まず耐えていました。姉がこう言います。「以前の痛みは自分ではどうしようもありませんが、今はどうするか自分で決められます」私がよく自分に言い聞かせているのは、苦痛を耐えることは業を滅しているということです。

 私は自分を終始支えてくれている父と姉に感謝しています。そして、多くの悟りや試煉を按排して下さる師父に感謝しています。それゆえ今の私は法を学び、法を得ることができました。

 尊重を得る

 今まで、私は他人に尊重されたことがありませんでした。口を開けば他人に嘲笑われ、どこかへ行けば他所に押し除けられ、その時私は思いました。多分、私は皆と違うからでしょう。他人が興味を持つ話題、例えば化粧やセックスなど、私にとっては全く意味がなく、穏やかで、真摯で、人を助けることがもっと大事だと思っていました。しかし、その後の一時、私はよくダンスホールに通い、酒を飲んで皆とハイになり、状況が益々悪化してきました。私の言い方は汚い言葉しか言わない土木作業員のようになり、人と良く喧嘩しました。そして長い間セクハラに悩まされ、安定した生活を送れませんでした。もちろん、男性に対する印象もますます悪くなっていきました。

 『轉法輪』を読み始めてから、私は汚い言葉を口にせず、他人との争いを避け、トラブルに遭った時はできるだけ忍耐するようにしました。そして、私は自分を大事にし、自分を見下すことを止めました。それから、他人から言われるセクハラのような言葉が少なくなり、今の私は他人に尊重され、私の言う言葉に耳を傾け、まじめにそして大事にしてくれるようになりました。これは想像できないことで、以前の私なら適用できないことです。以前私を嘲笑い、利用し、そして激怒させた同級生も、私に汚い言葉を言いません。そうすれば逆に彼ら自身が気持ち悪く感じるようです。

 私にセクハラをする男性も以前よりずっと減りました。ときにはまだいますが、それは私の対応を試煉しているのだと思います。

 私は法輪大法に出会ったことに非常に感謝しています。それによって私の人生が決定的に転換しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/4/290257.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/5/13/947.html)
 
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