新しい修煉者:海を超えて初めて大法の修煉を始める
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文/カナダの新しい修煉者

 【明慧日本2013年9月26日】大法の修煉を始めて一年になりました。この一年を振り返ってみると私はまるで生まれ変わったようです。どんな長い文章でも師父に対する恩恵を表すことはできません。ただ感謝の言葉だけです!

 一、大法に出会う

 法を得るまでは私は多くのことに疑問を感じていて、いろいろな本を読んで回答を探していました。中国国内の大学を卒業して地元で仕事に就いたので、このまま一生をここで終わらせるのだろうと思っていました。普通の生活を送っていましたが、一年たらず心身共に疲れ始めました。生活の目標を失っていたのです。周りの同僚達はみんな生きるために必死ですが、自分は何のためにここで時間を潰しているのか分からなくなりました。他の人の話を聞くと、皆一生懸命に働いているのはもっと良い生活をするためだと言います。しかし、私はそれにあまり興味がありません。もっと良い生活をするのは何のためですか? 他の人より良い生活を送るのは何のためか分からなくて悩んでいました。

 両親も私が元気もなく毎日を送っているのを気にして、海外留学を薦めました。前は英語に自信がなく諦めていましたが、両親の薦めもあってトロントに渡りました。初日、学校の宿舎に入居が決まりました。空気も空も綺麗なカナダの大地で、私の留学生活が始まりました。

 疲れたら、よくインターネットを見ていました。大紀元のウェブサイトから、国内では絶対に見られない様々な情報を得ることができました。毎日どんなに忙しくても必ず大紀元のニュースをチェックしました。その後、新唐人のテレビ番組を見るようになり、ますます面白くなりました。去年の夏休みに新唐人の法輪功真相という番組を見ました。自分とは関係がないと思いながら、番組を見ました。

 去年9月2日、新唐人の中国語番組『人生を語る(細語人生)』の番組の中の「予言と人生」を見ました。今までは、マヤの予言である2012年12月21日、人類は新しい時代(新紀元)に突入すると信じていました。人々はお互いに尊敬し、愛してみんなで幸せな人生を送ると信じていました。しかし、番組を見て大きなショックを受けました。自分が今まで待っていた、探していた、望んでいたのは法輪大法であることに間違いありません。すぐ傍にありながら法輪功を知らなくて機会を逃していました。私の人生はこうして、海の向こう側に来て大法を知ることになりました。

 私は、たった一日で『轉法輪』を読み終えました。読み終わった時、非常に感動していました。まるで、『今朝法を得られ、夕方に死んでも悔しくない』気分でした。今までの、人生は何のためなのかという疑問が消えました。そして、人生の回答を得られたような充実感が胸にいっぱい広がりました。そして、自分の師父が見つかりとても幸せでした。

 二、修煉当初

 法を得てからわずか三カ月で私はあらゆる余暇を利用して、師父の20年間の説法の経文を全部一度読み終えました。また、ビデオを見て法の動作を学びました。非常に充実した日々を送っていました。毎日新たに法の深い中身を悟ったように感じ、まるで夢の世界にいる気分でした。座禅を組んで煉功をしたら体にも様々な今までにない奇跡を感じ取るようになり、すべてが不思議でした。まるで師父が傍におられるように感じました。

 当初は時間に対して大きな執着心があり、マヤの予言が近づくにつれて、その日は大法の法が人間世界を正す日であると思っていました。2012年12月21日までに必ず師父のすべての説法の経文を読まなくてはならないと努力しました。大法弟子は必ず三つのことをしなければならないと知りながら、まずは自分の修煉を第一にしていました。わずかに周りの同級生やインターネットを使って国内の親戚達に真相を伝える程度でしたが、数カ月集中して発正念をする事ができませんでした。

 2012年12月21日の日、私はとても不安でした。夜もあまり眠れませんでした。何かが変わると思っていたのです。しかし、夜が明けて太陽が出て来ましたが、何も起こりませんでした。マヤ文明の予言は外れました。同時に、私の心は軽くなりました。これはきっと師父がこれらを変えられたに違いありません。師父に対する尊敬の気持ちが非常に大きくなり、目から涙がこぼれ出ました。これで時間に対する執着はなくなりました。

 三、法を正す修煉

 今年一月のある日、私は発正念をしたくなりました。しかし、雑念が多くて途中で諦めました。修煉をしばらくしてからやろうと自分に言い聞かせました。パソコンの画面に突然、「あなたは400兆以上のゴミファイルを削除する事ができました」というウィルスソフトウェアの掲示が現れました。私はウィルスソフトウエアにコメントを出した事もなく、これはきっと師父は私に発正念をしなさいという激励のメッセージであるに間違いないと悟りました。その日をきっかけに、私は毎日四つの時間帯に合わせて発正念を必ずするようになりました。

 学期が始まっても私は相変わらず法を読む事と修煉を続けた。明慧ネットで同修たちの交流文章をよく読みましたが、ほかの同修との直接的な交流はしませんでした。しかし、同修達の姿を心の中から尊敬し、羨ましく思い、自分もそのようになりたいと思いました。明慧ネットの文章はすべてが私の心に大きい衝撃を与えました。誰かが私に質問をしているように感じました。「あなたは大法弟子ですか? そうならばなぜ出て来て真相を伝えないのですか?」と自分に問いかけられているように感じていました。私は自分に対して、法を得たばかりなのでまだまだ時間が必要だと弁護をしていました。実はやはり恐怖心が大きかったのです。面子を大切にするとか、恥ずかしいとか様々な心がありました。

 法を学ぶにつれてますます分かりました。誰もが法のためにこの世に来たに違いありません。しかし、人間社会に来てから泥沼に入ってしまい、名誉・利益・情のために生きるようになってしまいました。神も信じなくなり、大法を信じなくなりました。彼らは可哀想な存在なので早く真相を伝えて彼らにも人生の目標を見つかるきっかけを作らなければならけないと思いました。大法弟子は彼らを救う唯一の希望であり、神の使者でもあると悟りました。やっと自分は「出て行った」のです。でも誰が大法弟子なのでしょうか? 町に行ってもなかなか会えませんでした。

 ちょうど悩んでいた時、大紀元新聞で法輪功の学習会九日間のコースの広告がありました。2月のトレーニング体験クラスに申し込みました。様々な難関と邪魔を乗り越えて、私は自分だけで修煉する世界から歩み出しました。怖れるのは我々ではなく、邪悪の旧勢力です。九日間の修煉体験コースが終了すると、同修の叔母が私をチャイナタウンに連れて来て一緒に真相を伝え始めました。私はドキドキしながら、自分もやっと三つのことができるようになったことに興奮していた。これらは簡単に手に入れたものではなく、必ず大切にしなければならないと思いました。

 四、終わりに

 師父は、『洪吟(実修)』で「すべての事で法に照らしてみて、できたら修煉になれる」とおっしゃいました。この一年、師父の私に対する要求はますます厳しくなり高くなったと感じています。すべての出来事で内に向かって探して自分の是非を問います。他人の是非を問う前に自分の是非を問います。正念は十分あって、法を信じて、自分を信じて前へと前進するのです。三つのことをやり遂げ、師父の恩恵を必ず返します。師父の期待を裏切りません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/9/14/279472.html)
 
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