自我を分析して「名」に対する執着を放下する
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 【明慧日本2014年6月17日】私は十数年修煉してきました。初めのうちは飛躍的に猛進しました。以前からあまり気にとめなかった物に対する執着心は、修煉を通じて直ぐに取り除くことができました。例えば、金銭への執着、子供への情などの執着心を取り除くことは私にとって比較的に容易でした。それは自分自身の根基がその段階まで到達させたと感じましたが、それより高い次元へ上がろうとした時、今までの人生の中で形成した執着が、それまでより頑固でかつ大きな妨害作用をもたらし、名を求める心が非常に強く表れてきました。

 常人社会で私は非常に義理堅く振る舞い、人からの頼まれ事なら、できるできない、やってよいかどうかに関係なく、まず引き受けました。たとえ明らかに実現しがたいことや、理に適っていないことでも、とにかく、受けてしまいました。なぜなら、私は自分の名声をとても大切にしてきましたので、他人に義理堅くないと言われることが怖いからです。

 普段の私は名もなく目立ちません。迫害を受ける前は周りより優れた人間でしたが、迫害を受けてから自分の地位や、収入などで同級生と大きな差をつけられました。同窓会で会社の重鎮や、企業の取締役になっている彼らに会うと劣等感を抱いてしまい、苦痛を感じました。そのため、あれこれ手を尽くして、常に常人社会で頭角を現そうとしました。自分で何か事業を興したいと思った事も十数回ありました。三つのことの実行にも支障をきたしました。自分の一生は修煉の一生だということは、はっきり分かっており、師父が按排された道を歩まなければなりません。気持ちも常に三つのことに集中すべきです。しかし、名を求める心を取り除くことができないため、妨害されてしまい、貴重な時間を無駄にし、毎回悔んでばかりいました。

 常人の社会で前途を絶たれて、悲観的になった私は、大法の中で、何とかして自分を位置づけることを重く見るようになりました。例えば、学法グループの中で、常に学法する傍らで、自分の修煉体験を話し、徐々に自分をリーダー的な存在だと思い込み、初めはその心に気付きませんでしたが、ある日、一人の修煉者が学法グループに現れ、私たちの前で滔々と語るのを見て、平常心を失いそうになりました。なぜなら、彼が私に取って代わって、あたかもリーダーの様だったからです。そのため、私は不満不平な心が現われ、口には出しませんが、心の中で彼のあらを探してばかりいました。後に、冷静になって、嫉妬心にまで至った自分のこの名、地位を求める心がどれほど恐ろしいものか気付きました。

 また、明慧ネットに交流文を提出する際に、自分のこの名を求める心は完全に暴露されました。初めは謙虚な気持ちで試しに書いてみようと書きましたが、提出した交流文が採用されると徐々に有頂天になり、結局、明慧ネットを開く度に自分の交流文が掲載されたかどうかばかりを気にして、最初の謙虚な気持から、うぬぼれるようになりました。当初は、明慧ネットの内容をもっと充実させたい思いで交流文を提出しましたが、今は掲載されたいために書くようになり、純粋な気持ちではなく、自分を実証したいという強い執着心を抱いて書いていました。自分が大法修煉者である事を完全に忘れてしまい、基点が変わってしまいました。実は、修煉者が所持している能力はすべて師父が下さったものですが、往々にして、私たちはそれらの能力を自分自身に備わる才能、能力だと勘違いしてしまいます。

 自分の執着心はもう極限まで膨張していた事に気付きました。実は名利心が生じれば、心性もすでに落ちてしまいました。私利私欲のために交流文を書いているのなら、何も書けません。たとえこのような状態で何かが書けても、きっと文章の内容はどんよりしていて、執着心と自我が満ちているに違いありません。妻と同修が私に「ペンネームを変えた方がいい、執着しすぎていませんか?」と提案してくれました。でも、ペンネームを変えたら、皆はこの文章を私が書いたものだと認識できなくなり、やっと手に入れた知名度を失ってしまうのではないかと心の中で思いました。

 名を求めて不安定な状態に陥る度に、法の中に答えを求めました。この過程はまるで玉ねぎの皮をむいているような感じでした。表面にある多少の不純物は取り除かれても、執着というものは非常に根が深く、自分の現在の能力でははっきり見えません。良くない状態が現れる時に真剣に反省する様子はまるで、玉ねぎの薄い一枚の皮が取り除かれたようで、表面だけは浄化されましたが、芯までは届きませんでした。

 私の執着心が強すぎたため、三つのことの実行に影響が及び、苦痛と悔いの気持ちに陥ってしまいました。この程度のちっぽけな事を、なぜ放って置けないのでしょうか。幾度繰り返しても、なぜこの心を取り除くことができないのかと自分に問いかけました。どう修めれば良いか分からなくなるぐらい、その執着心が増え続けていきました。そして、なぜこうなるのか答えを見つけることができませんでした。

 つい最近まで、この事を考え続けてきましたが、私を惑わし、私の考えを操縦しているのは他でもなく、過去、幾世の人生に形成した「自我」だということに気付きました。この偽物の「自我」はとてもうぬぼれが強く、自分だけが偉い、自分だけが優れてると堅く信じ込んでいるため、他人に自分の非を絶対に言わせないのです。でなければ、この偽物の自我は傷つき、辛くなるからです。根本から自分は特別だという意識を持っているため、どんな場面においても、機会さえあれば自分の事をひけらかしたがるのです。自分の文章が明慧ネットに掲載されると、周りの同修にこの事に気づいて欲しくて、わざとこの文章の作者は自分だという事を巧妙に同修に伝えることもありました。この偽物の自我はいかなる自慢できる機会も逃しませんでした。

 振り返ってみれば、修煉前にせよ、修煉後にせよ、あれこれの手を尽くして、すべては人の上に出て、他人に自分は無能な人間ではなく、相当な腕前を持っている人間だということをただ吹聴したかっただけでした。そのため、我を失い、多くの幼稚な事をしてしまいました。

 師父は「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は自らのため、私のためを根本としたものだったのです、今後何かをする時には、まず他人の事を配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは今後何かを行い、何かを口にする時にも、他の人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法は永遠に変わらないようにするために考えなければなりません!」[1] と説かれました。

 師父がおっしゃったように、過去の生命の本性は私のためのものです。常人社会で養ったたくさんの悪い観念が、まるで玉ねぎの皮が一枚一枚重なるように、私たちの体にも、一層一層、至る次元に、同じ思惟と物質が充満していて、修煉の中で、執着心を取り除くことは非常に難しいと感じました。うわべの執着をなくすことは比較的簡単ですが、それよりもっと深く探ろうとした時に、最も本質な部分に触れた時に、内面から湧き出た抵触がとても大きいのです。なぜならば、真に自我を放下できるのは修煉において本質的に変化が起き、真に昇華するからだと思います。

 旧宇宙から新宇宙に入りたければ、私を放下し、自我を放下しなければなりません、これはすべての旧生命が乗り越えなければならない関です。なぜならば、新宇宙と旧宇宙は本質的な違いがあるからです。旧宇宙の属性は私のためにあって、新宇宙の属性は他人のためにあります。したがって、私たちは修煉している間に、私のためから他人のために物事を考えられるように転換しなければなりません。こうして、やっと新宇宙の生命になれるのです。

 ここまで悟り、お高くとまって、うぬぼれていた偽物の自我を放下してみれば、自分は本当にただ一人の普通の人間であることが分かり、平常心を取り戻すことができました。私たちが有するすべてのものは全部法から与えられたもので、人は偉大な神の前では微々たるものです。もっと高い神の前では神さえも同じだと思います。すべての生命は大法の恩に感謝しなければなりません、大法は私たちに命を与えて下さり、この私たちが生存できる無くてはならない環境を与えて下さったのです。ここまで理解できた私は、もうこれ以上自分の名や自分の得失に振り回されたりはしません。内心に大法への感謝に堪えない気持ちが満ちました。

 修煉して、感じて悟った事はたくさんあります。ここで皆さんに話した事は、まだその中のほんの一部です。他の面においても、「自我」という渦巻きから脱け出し、名への執着を放下できれば、妨害が大幅に減少し、より多くの精力を集中し、より純粋な状態で三つのことを実行できるようになります。時間は待ってくれません。法を正すことは最後の最後に来ていますが、未だにまだたくさんの人が真相を知りません。私たちは自分の損得や、苦楽を気にしている時間などありません。なぜならば、これらは衆生の将来の安否とは比べ物にないからです。従って、より多くの人を救いたければ、まず自分を良く修めなければなりません。真に自我を放下して、身軽になってからこそ、法を正す時期において法が与えて下さった知恵と能力を思うままに運用でき、お互いに力を合わせて、初めて衆生を救い済度する時にもっと大きな威力を発揮することができるのです。

 以上は現段階での私の体験です。同修の慈悲なるご叱正をおねがいします。

 注:
 [1] 李洪志紙扶の著作:『精進要旨』「佛性にもれなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/26/283156.html)
 
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