救援の電話を掛ける中で体験したこと
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文/マレーシアの大法弟子

 【明慧日本2014年7月29日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は中国からマレーシアに来た大法弟子です。1年来、RTCチームで緊急救援電話をかける中で体験したことを皆さんと分かち合いたいと思います。お気づきのところがあればご指摘をお願いします。

 一、プロジェクト参加の目的を明確にする

 法輪功に対して直接迫害を加える部門に真相を伝えることは、中国の同修に協力して邪悪を暴露して取り除き、そこの衆生を救うことであり、同時に中国の同修のプレッシャーを軽減させることもできます。つまり、海外の安全な環境において、中国の同修にとって難しいこと――警察・検察・裁判所などの部門に真相を伝えることをするのです。それを起点に、私はRTCチームの緊急救援電話チームに参加しました。

 私は中国で迫害に遭った時、良知がまだ残っている警官が法輪功修煉者を同情の目で見る光景を目撃したことがあります。また、ある派出所の警官は同僚がいないうちにテーブルに置いた法輪功の真相小冊子を取ってとても真面目に読んで、扉の外の足音が聞こえたらすぐ小冊子をテーブルに戻した光景も私は見ました。あの一瞬、私は内心から彼に同情して、加害者に対する対立の気持ちがすっかり無くなりました。加害者に直面して、もし私たちの側に本当に恨みを抱えなければ、彼らも凶悪になったりしません。他の囚人に怒ったばかりの警官が次の瞬間、とても尊敬する態度になって大法弟子に話す光景も私は見たことがあります。だから、もし私たちが警官らに対立の気持ちを持たず、彼らも迷いの中の命で、他空間の邪悪に迫害されている命だと考えれば、多くの警官の良知を呼び起こすことができ、同時に中国で起きている迫害を軽減させることもできるでしょう。

 そのような出発点を抱いてRTCチームに上がったため、電話をかける中で、難関に遭った時でも、人心が湧いてきた時でも、ここに上がった初志を忘れずに、根気よく続けてここでの使命を果たそう、と私は自分に言い聞かせています。

 二、電話をかける中で人心を取り除く

 中国の警察・検察・裁判所関係の人は、長年、中国共産党に洗脳されているため、多くの人は考え方と行為がおかしくなっています。また、彼らの大半は法輪功修煉者の迫害に携わったため、本能的に真相を拒みます。そのため、彼らは真相電話を受ける際にさまざまな反応をします。罵る、皮肉を言う、わざと遠まわしに言う、偽善の態度を取る、自分の板ばさみの立場を私に訴える、などなど。彼らに電話をする中で私の観念と執着心も時々生じてくるので、私は絶えず執着を取り除き、自分を清めます。師父は『精進要旨二・最後の執着を取り除こう』で「それらは何十人、何百人の人間のくず、人を騙すものを使って茶番劇を演じてはいますが、一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」とおっしゃいました。相手の狡猾や下品な態度に動かされたのは自分の人心にほかならず、心が動かされたらちょうど自分にどんな執着があるかを探せば良く、心が純粋であればあるほどはじめて相手を救えるのだ、と私は悟っています。

 自分を罵る人に遭った最初のころは私も腹が立っていたのですが、闘争心、高いプライド、恨む心などを取り除いた後に気持ちが穏やかになって、無知の中で悪事を働く相手をかわいそうに思い、彼のために心配するようになりました。その時、相手の態度もすっかり変わりました。ある刑務所の警官が何度も私の電話を受けて私を罵倒した後、最後に穏やかな態度で「あなたは、何回かけたら気が済むのか? あなたはどこにいるのか」と言いました。「私は千キロも離れているところからあなたに電話をかけて、真相を教えたいのです。しかし、あなたは感謝するどころか、こんなに私を罵倒しています。私がなぜこのようにするのかを冷静に考えていただきたいです」と言いました。そして、彼に中国共産党の邪悪さ、法輪大法の素晴らしさ、加害者を待つ悲惨な結末を話しました。彼は「ええ、ええ」と相づちを打って、最後に今まで悪かった態度のために私に謝りました。私は引き続き、「私はあなたの良くない態度を気にせず、またあなたに自分を救う方法を教えました。李洪志師父の弟子以外、あなたのためにここまでする人はなかなかいないでしょう。私たちの師父に感謝してください」と言うと、彼は、「そうだね、分かった」と言いました。私は「あなたが刑務所で法輪功修煉者を迫害したことがありますか」と聞くと、彼は「それは上からの命令で仕方がない。しかし、私は彼らを殴ったりしていないよ」と答えました。私は「これほど善良な人たちを、殴ってはいけないばかりでなく、あなたはまた陰で彼らを守らなければなりません。あなたの同僚がもし迫害に加担したならば、同僚を止めさせないあなたにも罪があるのです」と言って、神伝文化と因果応報の道理を教えました。彼は厳粛に「ご心配なく、どのようにすべきかを私は知っている」と言って、それから私は彼に、警官がんぜ本当の名前で三退をする必要があるかを話しました。彼は「あなたは電話の最初に私の本名を呼んだではないか。それでは、三退に同意する」と笑って言いました。私たちは40分ほど会話して、彼も私にいくつか質問をして、最後に「海外にいても生活は容易なものではないので、お大事に。何かあれば私に電話をしてください」と暖かい言葉を贈ってくれました。

 電話を切った後、コンピュータの前に座った私は涙がこぼれました。私は心の中で師父に「師父、ありがとうございました! もしも大法の指導と師父のご加持がなければ、今日、私はそのような心理状態で見知らぬ警官とそのような会話もできませんでしたし、彼がこれほど変わることもありえません」と報告しました。

 師父は『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』で「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます。これは以前釈迦牟尼もほかの修煉者も話したことのないことです。善の最大の現れは慈悲であり、慈悲は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」と教えてくださいました。

 私は毎回、そのように正念を強くもって衆生に対応できるとは限らず、良くできていない時もたくさんあります。ある日、ある警官と電話で話す時、彼はとても温和な態度で私の言ったことに「そうだね」と返事をして、中国共産党が必ず滅亡するとか、自分は法輪功修煉者を虐待していないと言って、私はとても嬉しかったのです。しかし、他の同修から彼が法輪功に迫害を加えていると聞きました。私はもう一度、彼に電話をして彼の悪行を暴露したら、彼は本当にむっとして激怒し、暴言ないし下品な言葉を吐きました。修煉にはいかなる偶然の事もないので、どうしてこんなことになったかを内に向けて探したら、自分の歓喜心と顕示心(彼が私の言ったことを受け入れた時)、恨む心(彼が法輪功を迫害していると知った時)、一種の復讐のような心理(矢も盾もたまらなくて彼に電話を入れて彼を責めた)が見つかりました。その時の自分に全く彼を救いたい善意がなくなっており、ただ自分のうっぷんを発散したくて、共産党文化の「悪を悪で制す」をもって彼を責めたのです。複数の執着心の根源は自我に固執するところにあって、彼に軽視されること、騙されることを許せない気持ちが高ぶって、彼を救うことを最優先に置きませんでした。

 私の執着のせいで、彼に理性を失わせて、彼を救うどころか、かえって彼を悪い側に一押しをしました。それから私はまた電話をかけましたが、彼は出てくれませんでした。師父に謝罪をして、彼が他の同修に救われるようにと祈りました。しかし、この電話のことは私の記憶に焼きつきました。自分の多くの人心を暴露したほか、今後電話をかけて真相を伝える時に必ず冷静に相手の立場に立って考えてあげて、慈悲をもって相手の良知を呼び覚まさなければならないと教えてくれました。

 それから電話をかけた後に、真相がちゃんと伝わったか、自分の頭に良くない念がないかをチェックして、絶えず自分を浄化させました。人心を取り除いた後に向上した感覚は本当に玄妙で、私は修煉の神聖さが分かりました。それから、電話をかける状態はだんだん良くなって、時にはコンピュータの前に座ったら、自分が慈悲で威厳な場に包まれていると感じ、それは比類のない神聖さです。当然、清浄で法に溶け込んだ時こそそのような体験を味わうことができ、仕事そのものに固執する心、焦る心を混ぜた時、そのような状態は現れません。

 電話をかける中で自分の多くの良くない念に気づくこともできました。では、どうすれば良いでしょうか。自分の念を正し、修煉者のあるべき状態をもって電話をかけ続けるしかありません。

 例えば、中国のどこかで迫害事件が発生した情報を知った時、加害者部門の電話番号がとても必要となりますが、すぐに提供されない時、私たち自身で番号を探さないといけません。多くの場合、現地の警察・検察・裁判所などに直接聞くしかありません。skypeで電話をかける時に私の番号は非通知となります。相手は発信者番号非通知と見たら、海外の法輪功修煉者からの電話だと分かってしまい、すぐ警戒して、私たちに番号を提供してくれるのか、と以前の私はいつもそのような観念を持っていました。学法を通じて、それはやはり人心で物事を考えていると分かりました。師父は『ロサンゼルス市法会での説法』で「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。貴方は修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」とおっしゃいました。すべては師父が按排してくださるので、自分の正念が強ければ強いほど、常人の観念を打ち破ることができるのだ、と私は自分に言い聞かせました。

 実践の中で、一部ほとんど入手不可能な情報でも私たちは手に入れました。つい先日、中国の某裁判官の電話番号を探してくださいと依頼が来て、私は何の観念も抱かずに同修が教えてくれた番号に電話をかけて、「重要なファイルを○○裁判官に送信する必要があります」と言って、もともと裁判官の事務室の電話番号とファックス番号を聞き出せば良いのですが、なんと電話の相手は念のために裁判官の携帯電話番号も教えてくれました。衆生の分かった一面は本当に法を正すことの手伝いをしようとしています! 私は心の中でもう一度師父に感謝しました!

 RTCで一年余り電話をかけて、褒める言葉もよく耳に入りました。一時、顕示心、他人を軽蔑する心、自分自身を証明する心が全部生じました。時にはラインで同修が電話をかける声を聞こえたら、心の中で「この件はこのように話したほうが良い、あの件はあのような話し方で勢いが足りない」と批評して、まるで自分が誰よりも話し方が上手のようで、すべての実績は師父が加持してくださったおかげだと忘れてしまいました。自分自身を証明する心は自分を害して全体も害し、師父に対する不敬でもあります。師父と大法に頼って、私は必ずそれを徹底的に取り除くことができると思います。

 三、RTCで同修に協力する

 以前、私は一心不乱に電話をかけて、RTCの運営についての配慮がありませんでした。ある日、某同修は「RTCの当番は人手が不足して、あなたも当番に入りませんか」と言ってきて、私は承諾しました。それから、協調人からも「新人のフォローをしてほしい」と要望を言ってきて、私は引き受けました。文句なしにみんなに協力する自分は無私だと喜んだ時に、心性の試練が襲ってきました。まず、自分は前のように一心不乱に電話をかけることができなくなって、多くの時間をかけて電話番号の配分や、電話後の交流とフィードバックの段取りをしないといけなくて、そんな時間は無駄だと思いました。また、修煉状態がまちまちな多くの同修と付き合わなければならず、自分の人心がだんだん出てきました。そして、RTCの運営に対して自分の考えを持つようになって、協調人と意見の相違も出て、交流を行ったが相手を変えたい心を抱いたために、意思疎通できませんでした。一時、意気消沈して、内に向けて自分を探すことをすっかり忘れて、目に見えたのはすべて相手の問題でした。最後に私は逃げることを選び、協調人に今後は静かに電話をかけたいため、当番の仕事を辞めたいと告げました。

 それから半月ほど私はRTCに上がりませんでした。ある日、某同修が私と交流して、彼女の「私たち全体が恐らく妨害をされていると思う。近頃、RTCでは公安・裁判所部門にかける電話が減っているから」という一言が、棒喝のように私に自分の過ちに気づかせてくれました。私たちが一体になることを邪悪は恐れており、八方手を尽くしてそれを破壊させようとしています。RTCの一員として、私が逃げたことはちょうど邪悪の罠にはめられたのではありませんか? 同修の言葉は私に自分の問題を気づかせてくれて、つまり自己を放下できない、自分の好みで大法の仕事をしたくて、他人のために代価を払う時(例えば全体に円融するために自分の不慣れな仕事をする)になると本能的に拒む、という問題です。

 師父は『各地での説法二・二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』で「自分を強調することに執着している時、あなたは即ち一途に思い込んでいます。神は天上でそれを見てたまらなく思いますのです。あなたはそれが大法のためだとか、私の方法が良いとか、何かの目的に達成することができると一点張りで言っても、本当にそうかもしれませんが、あまりに常人化しすぎた執着があってはいけません。本当にこれができれば、神たちもこの人は素晴らしいと言うのです。神はあなたの方法が役立ったのを見て次元を上げるのではなく、あなたがこの問題に対する認識を高めたのを見て次元を上げるのです。これが即ち正法の理です」とおっしゃいました。

 今、私はRTCチームに復帰して毎日のように真相電話をかけています。当番を担当しておらず、協調人に「RTCの運営に手伝う」とも約束していません。しかし、今後自分はきっとRTCの運営に関心を持って、気づきいたことがあれば協調人に声をかけられなくても進んで改善策を取ると思います。私はすでにその全体に入ったからです。

 師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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