冤罪で刑務所に7年拘禁された法輪功学習者 迫害され半身不随に(写真)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2014年8月8日】法輪功学習者の林沢華さんは、ジャムス刑務所で受けた不法な迫害により入所から4カ月ほどで半身不随にさせられた。林さんは間もなく7年の刑期を満了する予定であり、家族は林さんが一日も早く帰宅できるようよう待ち望んでいる。

健康だった頃の林さん

警官に支えられ下車する林さん

平台に縛り付けられる様子

歩けないにも関わらず足枷をつけられる

 懲役7年の不当判決 迫害され半身不随に

 林さんは、2007年9月12日に双鴨山市の警官に連行され、3カ月後、裁判所に懲役7年を言い渡された。林さんは上訴したが、友誼県裁判所(高等にあたる)に棄却された。

 林さんはジャムス刑務所に送り込まれた。警官は林さんに「『三書』を書かなければならない」と言い、2人の監視役(受刑者)を配置し、買い物カードを没収し、家族との面会を許さず、電話することも許さなかった。林さんは経済的な制限を受け、日用品さえ買うことができなかった。監視役は林さんに「今から私がお前を管理するので、私の視線から出るな。部屋を出る時は報告し、他人と話してはいけない。ベッドの上で座っていろ。私が仕事に行くときは、お前もついて来い」と言った。

 2008年11月、監視役は林さんを強制的に働かせ、動きが遅いという理由をつけて罵り、勢いよく押した。林さんは対応できず、廊下から階段を転げ落ちてしまい、頭、背中、尻を強打した。林さんはそれ以降半身不随になり、歩くことができず、首から下は腕を除いてすべて感覚がなく、自力で生活ができなくなった。

 半身不随になった後、警官は演技だと言って無視した。監視役は食事の提供はするが、トイレの世話はしなかった。監視役は周りに「隊長の指示であいつを助けるな。ベッドの上で大小便を自由にさせてやれ」と言った。林さんは8日間連続でトイレに行けず限界になった。その後、同郷の李財は同情し、見ていられず林さんを背負ってトイレへ行ったため、警官達に余計な世話だと言われた。林さんはなるべく李財に負担をかけないため、毎日の飲食を減らした。その期間中、林さんはすでに7カ月間も入浴していなかった。

 林さんの家族は何度も尋ねたが、関係者は「恐らく長期にわたる栄養失調と関係があるかもしれず、人に押されたのは事実だが、障害があるかどうかは、まだ検査結果が出ていない。刑務所では診察できるが、費用は家族が負担してください」と答えた。家族は何度も費用を前払いで支払ったが、検査結果は教えてもらえなかった。数年来、家族は何度も、治療のための一時出所を求めたが、すべて拒否された。

 正義を取り戻すため告訴 裁判所は受理を拒否

 この苦しい状況を本人・家族・親友は、法律を通して解決しようとした。家族は弁護士に依頼し、双鴨山中級裁判所に訴え、ジャムス合江検察に書類を提出し、ジャムス刑務所での犯罪行為を告訴したが、今なお結果は来ていない。

 2009年8月、林さんは検察宛てに手紙を書き、ジャムス刑務所の指示により、監視役から暴行を受けたことを告訴した。その後、この事情を知る人は脅迫された上、監視役は直ちに刑務所から釈放された。

 2012年7月、家族は弁護士に依頼した。訴状を双鴨山中級裁判所に手渡し、不当判決を改め、林さんの自由を返すことを求めた。規約では、裁判所は15日以内に返答しなければならないとあるが、関係者はずっと休暇中あるいは無人状態で、15日後に家族は何度も裁判所を尋ね、何度も電話をしたが、ほとんど反応がなかった。ある日、家族が裁判長に電話すると「今決めている最中だから待ってくれ」と返答された。

 同年12月、家族が再度電話で尋ねると、裁判長は「法輪功の案件は受理できない。上の指示だから仕方がない」と答えた。家族が5カ月間待った末に得た答えは「受理できない」であった。

 家族は調査を求めたが検察は責任をなすりつける

 昨年の3月、林さんの家族は弁護士に依頼して、ジャムス刑務所の虐待行為を告訴し、関係者の責任を追及するよう求めた。文書を検察に提出してから、家族はずっと調査結果を待っていた。8月末、家族はやっと検察からの返答を得た。結論は「調査により事実を確認したところ、林沢華本人も『ジャムス刑務所では虐待行為は一切なく、親切にしてくれている』と言っている」というものだった。家族はこの調査結果を見て、激怒した。

 同年5月、林さんはもう一通訴状を書いて、家族から検察へ再度提出しようとしたが、検察は受け取らなかった。その理由は「あなた達の事はすでに返答済で、受理できない」であった。

 その後、家族は書簡を副検察長に送った。去年12月、弁護士と家族は検察に行ったが、関係者達は責任を互いになすりつけていた。弁護士が問い詰めた結果、副検察長は弁護士や家族と面会せざるを得なくなった。弁護士は訴状を渡し、前回の調査結果に対して質疑をしたところ、副検察長は「この結論は私が出したのではなく、会議で検討した結果だ」と言った。

 刑務所は病状を隠し、一時出所も許さない

 同年8月、刑務所は家族に知らせず、林さんを病院に連れて行き検査をした。家族は刑務所の610弁公室のメンバーを尋ね、結果を見せてほしいと言ったところ、「今回は刑務所側がやったことだから、私たちとは関係ない。刑務所に聞いてくれ」と言われた。家族は所長を尋ねたが、「大したことはない、血圧が少し不安定なだけ」と言った。

 同年12月、林さんの兄は刑務所に行って責任者を訪ねた。林さんの身体の検査を求めたところ、責任者は「仮病だ」と言って適当にごまかした。林さんの兄は普段から温厚な性格だったが、あまりの怒りで机の上の灰皿を掴み、責任者に向かって投げようとしたが、傍の人に止められた。兄は「私の弟は5年以上歩くことができず、足はすでに萎縮しました。誰が5年間も仮病を装うことができますか! 私があなたに給料を払うので、5年間仮病を装って見せて下さい」と怒りを抑えられなかった。

 家族が強く求める下で、刑務所は今年の1月に林さんを病院へ運んで検査したが、結果は一切伝えられなかった。最近、家族はカルテのコピーを入手した。正常ではない項目が多くあり、周りの神経にも損傷があった。しかも、すべての症状は去年の8月にはすでに分かっていた。また2011年3月には、治療のための一時出所を推奨する証明が出されていた。しかし、刑務所はこのすべてを隠し、治療のタイミングを逃した。

 刑務所はとぼけて家族は激怒

 今年6月23日、林さんの家族は刑務所に行き、責任者らに損害賠償の請求書類を手渡し、林さんの治療を求めた。今回、責任者は、「治療はできるが、費用は家族が負担することになる」と言った。林さんの兄は「弟は5年間寝たきりになって、あなた達はずっと仮病と言っているが、入所当時は健康でした。この責任は誰が負うべきですか?」と論争し、最後に責任者は「今回の費用だけ負担する」と言った。

 6月25日、家族は2時間以上かけてジャムス中央病院に着いた。まず神経内科で受診したが、医者は本人を見ずにカルテを見て、「以前に診断したじゃないか。診る必要はない」と判断した。家族が「診断書に捺印されていない」と言うと、「主任に押してもらいなさい」と医者は答えた。次に、心電図室に連れていかれ、当番医は以前の資料を見て、「これは肋骨が2本折れることよりもひどい」と言った。その後やはり何の診察もなく、午前11時、警官は急いで林さんを刑務所に連れて帰った。 

 午後、家族は神経内科の主任を探したが、依然として不在だった。ちょうど午前の医者がおり、家族は診断書について聞いた。医者は「半身不随の件だろう? 外科に行ってくれ。こことは関係ない」と手を振りながら、「主任は探さなくていい、診てくれないと思う」と言葉を加えた。家族が「これはあなたが言い出したことです」というと、「そうですね、私が言ったのです」と医者は言った。家族が「何かあったらあなたは責任を負わなければならない」と言うと、医者は「好きなように訴えてみなさい」と答えた。家族は仕方なく病院を離れた。

 善人が迫害され、同郷の人々は声援を送る

 林さんは法輪功を学んで健康になっただけではなく、「真善忍」の基準で自分を厳しく要求し道徳の高い人になった。林さんは商売をしている時、隣近所の人は「あなたの家の商品は安心ですね」と言っていた。タクシーの運転手をしていた時、同業者と乗客を奪い合わず、乗客にはいつも親切に対応した。林さんが不当に拘禁されている間、未払い代金を家まで払いに来る乗客もいた。

 林さんの85歳の母は街頭で、半身不随になった息子を帰宅させるよう呼びかけ、1週間も経たないうちに1005人が署名拇印して応援した。

 林さんは7年の冤罪を受け、間もなく刑期が満了となり、家族は林さんが一日も早く、刑務所から出られることを待ち望んでいる。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/13/294662.html)
 
関連文章