内に向けて探し 着実に自分を修めれば皆と一体になれる
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2014年12月13日】私は修煉における少しの体験を書き出して、同修の皆さんと交流したいと思います。同修の指摘をお願いします。

 一、闘争心と、自分の意見に執着する心を取り除く

 私には闘争心と自我に執着する心が強烈に現れる時があります。その時、いかにも自分が正しく、他人より良く出来て、他人にどうすべきかを指図したがる傾向があります。もし相手が自分の意見に従わず、あるいは自分と相反する意見を持っている場合、心がすっきりせず、どうしてもチャンスを見つけて、相手を説得しようとします。時には、一言で言い争いになり、どうしても相手を説得したいのです。このような人心や執着は物事を運ぶときの大きな妨害となっています。学法するときは集中できず、発正念をするときは上の空になり、煉功するときは心が落ち着きませんでした。このことは私の大きな困惑と悩みになっていました。特に姉(同修)との間で、一度2人で言い争いになり、互いに譲歩せず、喧嘩別れになってしまいました。帰宅途中、私は「二度とあなたの家に行かない」と思いました。家に着いてからもイライラして眠れませんでしたが、突然師父の説法を思い出しました。「大法弟子の間に法を弘めることや、法を正すなどのことのために議論したりしますが、全て正常なことだと思います。しかし、止むことなく議論して、譲歩せず長いこと対峙していれば、それは問題があります。なぜでしょうか? きっとあなたは自分自身を反省していません」(『米国フロリダ法会での説法』)

 私は『精進要旨』を取り出して真面目に学法を始めました。法を学べば学ぶほど私は自分の間違いに気づき始めました。途中、外に向けて探したり、あるいは他人の良くない部分を考え、自己弁明の念もありましたが、『精進要旨』の「再認識」を学んではっきり分かりました。師父は次のように説かれています。

 「佛性と魔性の問題について、私がした説明ほど明白なものはありません。実は、皆さんが乗り越える関はほかでもなく、皆さんの魔性を取り去っているのです! しかし、皆さんはその都度各種の口実をもって、或は大法をもってそれを覆い隠し、心性を向上させることができず、機会をその都度に逸しています。

 皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです。皆さんの向上こそが、最も重要だからです。

 真にこのように向上することができるのであれば、皆さんが純粋で清らかな心の状態の下で行うことこそ、最も良いことで、最も神聖なのです」

 繰り返して何回も読んだ後に、自分にこれだけ大きな魔性と良くない心があり、法から遙かに遠く、私は大法弟子と称されて良いのだろうか? どうやって三つの事を実行し、衆生を救うのかと深く反省したとき、私には姉を見下す心があることに気づきました。姉は教育をあまり受けておらず、私は自分の見識が姉より高く、顕示心や闘争心、自分の意見を堅持する心などが、大法の前に徹底的に暴露されました。更に、後天的に形成された観念や執着などに私の心がひどく汚染されたことも明らかになりました。

 私は驚いて後悔し、師父の法像の前で泣き崩れました。私は泣きながら師父の法像に向かって言いました。「弟子は間違いました。師父! どうかこの出来の悪い弟子をお救い下さい。どうか私の体に付いているこの世の汚いものを取り除いて下さい。師父の慈悲なる済度に合わせる顔がありません。私は師父により地獄から救い上げられ、この歴史的危機から救い出されました。これ以上師父のご恩に背き、衆生から寄託された期待に背くことはできません」

 私は座禅し立掌して発正念をしました。旧勢力による一切の按排を徹底的に否定し、自分の空間場にある一切の法に符合しない邪悪な生命と要素を排除しました。その後、私は体が軽くなったのを感じました。まるで何百キロもの重荷を下ろしたようでした。

 振り返ってみると、誰もが自分より良く修めており、以前の自分の行為を恥ずかしく思いました。

 二、大法に照らし合わせて修煉して、初めて皆と一体になる

 ある日の午後、60歳の同修に半身不随の病業の虚像が現れました。協調人は彼に私を訪ねて一緒に発正念をするよう勧めました。彼は足をひきずりながら歩いてきて、言葉も遅いようでした。私は彼に「今日の午後は急いで帰らず、私たちの学法グループで一緒に学法と煉功をして発正念をしましょう」と言いました。

 その日の午後、私たちは交流しながら、一緒に彼の執着心を探しました。多くの執着心を見つけ出しましたが、特に学法や発正念の回数が少ないことが目立ちました。彼は1年経っても『轉法輪』を一通り読み終えることなく、三つのこともきちんと行っていませんでした。これらの漏れを指摘されたとき、彼は年を取ったとか、目がはっきり見えないとか、同修の法を読む速度に付いていけないなどの言い訳をしました。そして、交流の最中も、彼はうとうとして目もあけられないほど眠そうでした。こうして交流、学法、発正念を続けましたが、夜中の12時になってもあまり効果が見られませんでした。途中で、この同修の母親が電話で息子を家に帰らせるようにと言ってきましたが、私達は彼を帰らせず、翌日続けて一体になって協力してみることに決めました。

 翌日、皆が原因を探し始めました。学法や交流を通じて私たちは内に向けて探し、以下の点を見つけました。一、真に一体になっておらず、心から他人の事を自分の事のように考えていません。二、彼の精進しない様子や執着心を見た時、自分自身を枠の外や高い位置に置きながら、彼に対して不満を言いました。本当なら、漢方医のように、患者の状況をしっかり把握してから処方すべきです。三、同修の状態を見た時、法に照らして自分自身を見ていませんでした。

 学法や交流を通じてこれだけ多くの問題点を見つけ、同修を助けるどころか、実際は旧勢力の按排で物事が運ばれていたのです。皆は問題に気づいてから心構えを調整し、正念を強め、学法を続けました。しかし、問題の同修は未だ意識がはっきりせず、法を読んでもすぐに忘れ、どもりました。皆の心はそれに影響されず、面倒がらずに、彼に一句一句教えました。彼に教える過程は自分を修煉する過程でもありました。その間、様々な良くない念がありました。例えば、このような学法は遅すぎて、半日かけても2~3ページしか学ぶことができず、最も煩わしいのは、彼が法を読むときにどもることでした。

 この時、同修の母親が再び電話を掛けてきて、同修を家に帰らせるように言いました。私達は一切の妨害を排除し、一体となる強い正念を発しました。同修のどもりもだいぶ良くなって、主意識が目覚め、法理が分かるようになってきました。一段落を読み終えて、その同修は心から言いました。「師父は私の事を言っておられるように思います。私は分かってきました。今後三つのことをきちんと行います」

 発正念の時、同修は体がいつも片方へ倒れていき、手も一緒に倒れることを、私は彼に気づかせました。最初の5分間、彼は何回も倒れました。突然私はあることに気づきました。これは同修の問題ではなく、彼の背後にいる邪悪が彼を利用して私たちの発正念を妨害しようとしたのです。私はさっそく彼の背後にいる邪悪に向けて「法を正す師に手伝い、衆生を救う大法弟子への一切の妨害を徹底的に解体します! 滅!」と強い正念を発すると、同修は倒れなくなり、手もまっすぐになりました。

 発正念を終えた時、同修は普通に歩けるようになり、半身不随の虚像がなくなりました。血色も大分良くなりました。発正念に参加し、天目が開いている同修の話では、グループで発正念をした際、同修の体から一塊の黒い気が出て行き、一つの黒いものが解体されたそうです。

 今回のグループ学法、発正念を通じて、皆が向上し、一体となることの真意が分かるようになりました。それは着実に法に照らして自分を修めてこそ、初めて師父が要求される「大法弟子は一つの全体を成している」(『二〇〇四年米国西部法会での説法』)、「集まれば形になりますが、散ってしまえば粒になります」(『二〇〇三年元宵節での説法』)になります。師父は『精進要旨』「警告の言葉」の中で次のように説かれました。「もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現でありー強大なる佛法のこの世での再現なのです!」

 師父の洪大なる慈悲に感謝致します!

 妥当ではない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/30/274678.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/8/20/141622.html)
 
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