文/山東省の大法弟子
【明慧日本2015年1月26日】私の職業は教師です。私の身近にいる大法弟子たちが衆生のことを常に思い、微笑をたやさず衆生を救うことに駆け回っているのを見て、私は深く感銘を受けました。そして自分も様々な機会を利用して衆生を救いたいと願いを持ちました。
私は市場へ行くとき、歩くとき、ご飯を食べるときも、また同期と集まったり、友達を訪ねたりする時、そして結婚披露宴やお葬式に参加する時をも利用し、衆生に真相を伝えました。私は資料を配り、シールを貼り、手で書いたりし、または面と向かって真相を伝えます。そして、師父が「理智をもって法を実証し、智慧をもってはっきりと真相を伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」[1]とおっしゃっている通り、私は慈悲や理智を持って実行しました。師父は、私たちの心に常に法があれば、必ず加持され、救われるべき縁のある人を按配して下さいます。
夏休みに、私は同修と手当たり次第に市場に行くことにしました。そこには様々な人が集まります。私は笑顔で人々に接し、たとえ真相を伝えなくても、慈悲を相手に残すようにしています。縁のある人に会えば、私は様々な角度から話題を切り出して相手と交流し、智慧をもって真相を伝え、たとえ相手が理解できなくても、私は祝福を相手に残すようにしていました。中には挑発的に接してくる人もいますが、私は心を動じさせません。そのような場面を多く経験しているうちに、私は本当に淡々と対応できるようになりました。
何回か市場に行くうちに、私達はここにいつも出店している業者のスタッフと知り合いになりました。彼らは自らお守りや真相資料を求め、分からない事があれば聞いてきます。ある日、服を売る業者が私にこう言いました。「法輪功は病気を治してくれるのは確かです。しかし、党には反対すべきではありません」。私は「他の事はさておいても、法輪功学習者たちに対し、生きたままの状態で臓器を収奪しているというこの一件だけでも、中国共産党は滅亡されるべきです」と言いました。「本当にそんなことを・・・?」と彼女は聞き、私は「本当です。今度、私は『共産党についての九つの論評』という本を持ってきます。それを読めば全てが分かります。中国共産党がなぜこんなに残忍で悪いのかは、共産党というものが、私たち中国人のルーツではないからです。共産党とはマルクスやレーニンなどという西洋から来ている幽霊で、私たち中国の文明を壊しに来ているのです」と答えました。彼女は、「そう、そう、中国共産党は私たちと同じルーツではないですね」と言いました。その後、私は本を彼女に渡し、彼女は喜んで受け取りました。そのとき私は彼女を褒めました。「やはりあなたは聡明ですね。善悪の分別ができているのですから」。このようにして多くの人が啓発され、褒められているうちに真相を知りました。
また、私は真相を伝える際、オートバイを道具として使うようにしています。毎回、歩いている人が見えると、私は時間の余裕があるときは、バイクを一旦止め「オートバイに乗せてあげましょうか」と提案しています。ある日、私が声を掛けると女の子は「なぜ私をバイクに乗せようとするのですか?」と聞きました。私は彼女が警戒しているのを察し、こう言いました。「私は良いことをしたいのです。良いことをすれば、あなたは喜ぶし、私も嬉しくなるでしょう。それに、善徳を積めます」。すると彼女は喜んでオートバイに乗りました。私はオートバイを走らせながら彼女に真相を伝え、私が良い人として生きていること、真善忍を実行する喜び、そして法輪功を修煉して得たメリットを教えました。私が優しく振る舞うので、正直さと善良さを感じて、感性そして理性的に法輪功を知り、彼らはきっぱりと中国共産党から脱退しました。こうしてまた一人の命が救われました。
真相を伝える中で、修煉を放棄した人々にも逢いました。私は本当に修煉を放棄してよいのかを彼らと一緒に分析し、将来後悔しないよう、早く修煉に戻るよう促しました。そして師父がずっと待っていることを伝え、彼らに祝福を与えました。
時々、一言の挨拶、一つの微笑み、一言の暗示だけでも彼らの善の念を誘い、彼らは私の提案を喜んで受け入れてくれます。ある夏、あるお母さんは4、5歳の子供をオートバイに残したままで、果物を買いに行きました。通りかかった私は日傘を持っていません。余計な事を考えず、私は子供に近寄ると自分の体で子供へ差す強烈な日差しを遮りました。こうして子供の弱い肌は保護されましたが、私は暑い日差しに晒されました。買い物を終えたお母さんは遠くから私をみて、戻ってからずっと感謝の言葉を述べました。私は「私は真善忍を重んじる法輪功修煉者です。私は自分がやるべきことをやっただけです」と言い、彼女に三退を勧めました。彼女は喜んで三退しました。しばらく日差しに晒されただけで、衆生が救われました。日光に晒された甲斐がありました!
いま私はオートバイに乗れば、常に周辺の縁のある人に気を配り、たとええ真相を理解できなくても、私は黙々と彼らに祝福を送り、一日も早く真相が分かるよう願っています。それが習慣を形成し、私が時々刻々考えているのは、いかに多くの衆生を救えるかということです。
大法弟子としての私たちの言動は非常に重要です。師父は『精進要旨』「聖者」の中で「大志を懐きながら細かいことに配慮し」[2] とおっしゃいました。私たちの言動の一つ一つが大法を代表します。人々は大法を深く理解できないので、私たちの言動を通じて大法を認識するしかありません。真相を伝える過程において、私はこの点について特に注意しています。普段私は他人の事や出来事を悪く言ったりしません。しかし、私の率直な性格からトラブルを招いたこともあります。真相を伝える中で、私は穏やかさ、清らかさ、そして慈悲を人々にもたらし、法輪大法を正しく理解してもらい、三退してもらうよう心掛けています。真相を伝える前、私はまず挨拶をきちんとし、微笑みを浮かべながら言葉をゆっくりと優しく述べ、相手にどんな反応があっても、衆生を救う心が動じず、最後に彼らに平安と祝福の言葉を送ります。
口を修める以外に、私は特に自分の外見と行動に気を遣うようにしています。50歳を過ぎた私はいつも40代だと思われています。一つの善の行いは、時にたくさんの人を救えます。一度、ある学生が病気になり、私は彼女をわが子のように思い、麺をゆでてあげたり、飲み物を作ったりしました。忙しくしている私の行動はそのクラスの担任まで感動させました。このような例は多くあります。実際、これは私にとっては非常に簡単なことで、ごく普通のことですが、しかし、道徳が退廃してきた今日の社会において、一般の人々はこれが高尚な行為だと感じています。
学校で、私が常に思っているのは、私は大法の一つの粒子であることです。真善忍を修める大法弟子の真の姿を人々に見せるべきです。そしていつでも無私無我で、他人を優先に考えるべきです。ある同僚に私はこう言われたことがあります。「あなたが他人と喧嘩し、何かを争うのを見たことがありません」と言われ、また学校の上司の家族には「あなたは非常にいい人だと聞いています」と言われ、上司には「あなたの仕事は徹底しています」と言われました。彼らは皆、私が法輪功修煉者であることを知っています。もちろん精進している同修に比べれば私はまだまだですが、しかし、大法修煉の中で、これからも私は必ず更なる精進を追及していきます。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『理性
』
[2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「聖者」