一切の妨害要素を否定し 煉功を続ける
■ 印刷版
 

文/中国武漢市の大法弟子

 【明慧日本2015年3月14日】私の修煉環境はとてもシンプルで、いかなる妨害もありません。ただ自分自身がとても怠けていて、安逸を求め、煉功をしようとせず、煉功はあまり重要ではなく三つのことさえしっかり行えばよいと思っていました。

 この考え方が正しくないと分かってはいましたが、精進していませんでした。毎日座禅だけを行い、動功はめったに行いませんでした。

 ある晩、私は夢を見ました。たくさんの人が川を渡ろうとして、船を待っていました。私もその中の一人でした。しばらくして、船が来ました。一部の人は争って船に乗ろうとしていました。私はこれほど人が多いので、彼らが船に乗り終わってから乗ろうと思い、他のことをやっていました(常人のことでしたが、具体的などんなことかは覚えていません)。しばらくして周りを見ると、人々はみな船に乗っていて、船はゆっくりと離れて行ってしまいました。私一人だけが、その場にそのまま立っていました。目覚めた後、私は師父が私を悟らせてくださったのだと分かりました。他の人はみな精進しているのに、私は精進しておらず、みんな圓満成就して離れていったのに、私は元のところにいました。

 私は自分が三つのことをもやっていて、ただ煉功だけしっかりしていなかったので、これから煉功をしっかりやろうと決心しました。しかし、私が煉功しようと思い立つたびに、煉功をしたくないという強烈な考えが浮かんできて、それによって煉功したくなくなりました。

 その後、私はまたこんな夢を見ました。8階建てのビルがありましたが、私が7階まで上ったら、階段が無くなりました。私は階段がどこにあるか分からず、7階でずっとウロウロしていました。目覚めた後、私は苦を嘗めることを恐れ、怠けていて安逸を求める心がとても重く、自分を修めておらず、次元が向上できておらず、依然として元の次元にとどまっているのだと悟りました。

 私はやはりしっかり煉功しようと決心しました。しかし、毎回私が煉功しようと思うと、また煉功したくないという考えが浮かんできて、かつ自分の主意識が強くなかったため、また煉功しなくなりました。

 その後、私は繰り返し上に述べた夢を何回も見ました。最後の夢の中で、私はとても高いところまで、階段を上って行き、私の周りは雲に覆われていて果てしなく、とてもきれいでした。振り返ってみると、後ろは玉(ぎょく)で作られた階段でとても長かったのです。階段の周りも雲に覆われていて階段の両側には花と草がありました。最も高い階段の上に立って、空を仰ぎ見ると、天がとても近かったのですが、私の前には階段がありませんでした。階段が無ければ私はどうやって天に上れるのか、と思いました。

 その後、悟りました。私は仕事をすることを修煉とみなし、煉功を重視していませんでした。師父は「法を学び心を修め、圓満成就の手段─煉功を加えて、確実に本質から自分を改め、心性を高め、次元を向上させることこそ、真の修煉なのです」[1] 「大法の無辺の内涵に、補助的な手段である煉功を加えれば、皆さんを圓満成就させることができます」[2] と説かれました。階段が無ければ、8階に上ることが出来ず、階段が無ければ、天にも上れません。足りないのはやはり、補助的な手段である煉功でした。

 私が思うには、煉功も法の一部分であり、修もして煉もしてこそ、完璧な修煉となり、片方が足りなければいけません。私は必ず煉功を続けることを決心しました。しかし、毎回私が煉功をしようとすると、煉功をしたくないという考えが、やはり強く浮かんできました。煉功をしようと思うのに、どうして同時にまた煉功をしたくないのか、と思いました。私は自分に2つの思想意識があることに気づきました。

 私がちょうど迷っていた時、師父の説かれた「思想業力は直接人間の脳を妨害することができる」[3]を思い出しました。私はすぐ悟りました。これは思想業力による妨害で、私はその煉功をしたくないという思想業力を自分とみなし、それに苦を嘗めることを恐れ、怠惰、安逸を求める心など、これらの良くない物質を修めきれていなかったため、旧勢力に隙に乗じられ、妨害を強くさせたと気づきました。煉功をしたくないのは私ではなく、私の煉功を妨害するそれらの邪悪な生命と要素なので、それらを認めず、緩まず取り除かなければなりません。こうして、毎回、煉功をしたくないという考えが浮かんできた時、私はそれを排斥し、煉功しました。法輪を抱く動作をした時、煉功をしたくないという心が私に手を下ろさせようとしましたが、私は手を下ろしませんでした。同時に正念を発し、最後まで煉功を行いました。こうして、私は毎日煉功を続けました。師父は私のこの確固たる心を見て数日後、私を助けてくださり、それらの良くない要素をきれいにしてくださいました。再び煉功をしたくないという考えは無くなりました。今までずっと毎日煉功を続け、上で述べたような夢は二度と見ませんでした。

 今はどんどん寒くなり、時には手足が氷のように冷たくなりますが、私はやはり煉功を続けています。煉功をする時、機制や法輪が回っていて、自分が出した功から発せられるエネルギーで手足も素早く暖かくなり、体も暖かくなります。布団をかぶったり電気ヒーターを使ったりするよりも気持ち良いです。寒いことが苦手な同修は、試してみてはいかがでしょうか。

 私はこの体験談を書く時に自分がみた夢を思い出す過程において、はっと悟りました。階段が無いということは私が勇猛精進していないことを指し、どこに階段が無いか分からなかったのは、自分が勇猛精進すべきということを理解していなかったことであり、勇猛精進というのは、階段を指していました。勇猛精進してこそ次元を向上させることができます。勇猛精進というのは、ただ煉功だけを指すものではありません。私にはまだ取り除かれていない執着心がたくさんあります。ただ着実に自らを修め、各方面において絶えず向上し、勇猛精進してこそ天に上る(圓満成就する)ことができます。

 個人の次元での悟りであり、適切でないところは同修のご指摘を願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「修煉とは何か」
 [2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/7/304143.html)
 
関連文章