文/中国の大法弟子 清蓮
【明慧日本2016年5月10日】私は1996年から法輪大法の修煉を始めました。これから今までの私自身の修煉体験について交流したいと思います。
2人の子供と共に修煉し、病の苦痛から抜け出す
私は中国の田舎に住んでいます。昔はよく重度の眩暈におそわれ、いつもくらくらして頭がはっきりせず、時々親戚が畑仕事を手伝いに来てくれます。本当はとても喜ばしい事ですが、家が貧しいため、人数が多くなると何を食べればよいのか分からなくなり、焦ると突然眩暈におそわれてしまい、何もできなくなることがよく起こりました。また、妊娠していた時に患ったリウマチにも苦しめられてきました。常に冷たい風が両足に突き刺さるような痛みを感じ、夏でも自ら作った綿を詰め込んだ厚いズボンを着用して両足を守っていましたが、それでも寒いと感じてしまい、長年様々な薬を飲んでも一向に治りませんでした。
私自身、内向的な性格をしている上、軽い鬱もあるため、家族のためにあれこれと心配してのぼせ、唇はいつもひび割れました。学校に通っていた時は成績は良かったものの、時代が時代だけに農民になってしまい、よく自分の運命を恨んでいましたし、生活の楽しさを感じたことは一度もありません。
しかし、法輪功を修煉してから長年苦しめられ続けてきた病は全癒しました。その上、生命の意味をも理解し、運命の不公平などと恨むこともなく、積極的に物事を考えるようになり、気分も明るくなりました。
長男と長女は気管支炎の持病を持っている上に喘息も患っています。呼吸するたび、年季が入った扇風機のようにギーギーという音を出すので、聞いている方も呼吸が苦しくなります。様々な民間の処方や漢方薬を飲ませましたが、治りませんでした。前世に何か悪いことをしたから、持病もちの子供を産んだのかと考えたり、時には、2人の子供の苦しみを自分が引き受けるからと天に祈ることもありました。長男は結婚して子をもうけるまで病が治らなかったので、娘に病気が遺伝してしまい、1人っ子政策がなくなっても、2人目をもとうとしません。
長女は生まれながらにして病弱で、点滴や薬から離れられず、中学に上がるまで時々通院のため学校を休んでいました。そして2年間に2回ほど器官手術を行ったのです。1週間に6日の授業ですが、すべての授業に欠かさず出席したことは一度もありません。このような体を持つ長女の小さいころからの夢はきちんと呼吸がしたいということでした。
私が大法を修煉してから身に起こった変化を見た2人の子供もすぐに修煉を始めました。そして、間もなく、子供たちの病がきれいさっぱり消え失せ、痩せていた長男の体つきもがっしりし、その上、短気だった性格も直りました。よく実家に帰ってくるようになり、父親に大法に関する物語を話したり、家事を手伝ったりしてくれるようになったのです。長女も持病が治り、どこに行っても明るくて笑顔をもたらしてくれます。私自身と2人の子供を見た夫も私たちの修煉を支持してくれるようになり、師父の慈悲の下で、家族全員が楽しい毎日を過ごしています。
長女が投獄されたことにより、子供に対する情を取り除く
2012年、娘は会社で不当に警官に連行された上、判決を下されました。すぐに公安局に向かったところ、目の前で娘が無理矢理パトカーに押し込まれているところを見て、何があっても真・善・忍を守らなければならないと娘に伝えました。家に帰り、窓際に立って空を見上げながら涙を流しました。「これは一体どういうことなのか。娘には何の罪もないのに、どうしてこのようなことになったのか」と心の中で叫びました。しかし、私にはどうすることもできず、結局一晩中ずっと泣いていました。
翌日、何人かの同修が家に来て、気持ちが沈んでいる私をみて、衆生を救いに出かけた方がいいと言いました。大法を修煉することは間違っておらず、旧勢力に負けてはいけないと自分自身の気持ちを整理しました。そして午前は集団学法に参加し、午後は同修と共に真相を伝えに行きました。それからは強い風に吹かれても、雨に打たれても真相を伝えることを怠らずに、同修と共にしっかりと大法弟子としてすべきことをしています。
しかしながら、娘に対する情はなかなか消えず、時々辛く感じてしまいます。娘は小さいころから私と仲が良く、心のよりどころでもあり、何か悩み事があったとき、話せばいつも慰められます。もちろん生活面でも私と夫の世話をまめに焼いてくれて、とても親孝行な娘です。特に修煉の面では、よく交流し合い、不足の所や執着など、時々師父は娘の口を借りて私に気づかせてくださいます。このように娘は家族の中心であり、誰も彼女から離れられません。けれど、この突然の拘禁により、家族全員に悲しみと孤独が押し寄せ、毎日形のない何かに覆われて圧し潰されてしまいそうな苦痛を感じていました。
その日は娘の誕生日で、家にはだれもいないので、私はベッドに座って大声をあげて泣きました。そのとき突然、「泣くな、本を読みなさい」という声が聞こえ、瞬時に「これは師父だ」と気づきました。急いで涙をふいて大法を勉強し、師父と大法を信じてこの状況に対する執着心を取り除こうと決心したのです。それからは毎月の面会日に娘に会っても泣いたりせず、代わりに「師父と大法があるから何も怖くはない」と彼女を励ましました。
迫害を受けた長男がこの世を去り、再び情を取り除く
2011年、長男は当地の警官に連行され、1カ月ほど留置場に拘禁されたのち、不当に1年の労働教養の判決を下されました。しかし、労働教養所に向かう道中、突然高血圧の症状が現れ、師父の加持の下、家に帰ることができました。けれども、長い間公安局と警察に攪乱や脅迫をされてきたことにより、長男の精神状態は緊迫し、常にプレッシャーを感じていたため、結局脳出血を起こしてしまい、妻と娘を残してこの世から去っていきました。その間、娘はまだ刑務所にいたため、このような生死の別れにはとても耐えきれず、それから2週間ほど学法チームに参加することや真相を伝えることはできませんでした。毎日部屋にこもり、昼間は法を勉強し、夜は法を写しました。どのようにこの苦難を超えられるのか師父は常に教えてくださいました。法を勉強していれば、気持ちが楽になり、心性も向上していきます。このことを通じて、師父の慈悲な済度に深く感動し、この上にない感謝の気持ちでいっぱいです。
師父は「六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません。人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます。亡くなった子供がどれほど可愛かったかと言って、どうしても忘れることができない人がいます。あるいは亡くなった母親がどんなにやさしかったかと言って、悲しみに暮れ、残りの人生を捨てて後を追いかねない人もいます。よく考えてみてください。それはまさにあなたを苦しめるためのものではありませんか? そういう形で、あなたを楽に暮らさせないようにしているのです。常人には理解できないかも知れませんが、そういうことに執着すれば、あなたはまったく修煉ができません。ですから佛教にはそのような内容がないのです。修煉したければ、人間の情を捨てなければなりません」[1]と説かれました。
何が修煉なのか、そしてどのように試練や難関を超えていくのかを、法理を通じて理解することができます。また師父のこの詩もよく暗唱しています。「圓満となって佛果を得る、苦を嘗めるをもって楽とす。身を労するを苦と算せず、心を修するはもっとも過ぎ難し。関という関は全て闖えるべし、いたる処すべて是れ魔。百の苦一斉に降る、其の如何に活くかを看る。世上の苦に堪え得れば、世を出ずれば是れ佛陀」[2]
このようにして、少しずつ「情」というものを取り除いていき、師父の教え通りにもっと多くの衆生を救おうと心に決めました。これは世に降りる前の自分自身の願望であり、使命であるので、一刻の猶予もありません。
そして今、娘は魔のアジトから抜け出し、以前と全く異なる今日の修煉環境に改めて対応していかなければなりませんが、常人社会に溺れることなく、かつての大法に対する堅い信念を再び取り戻して皆と共に誓約を果たすべく衆生を救い、しっかりと修煉の道を歩んでいます。
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2]李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」