学校に行っていない82歳の老母、全大法書籍を通読
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文/中国・湖北の大法弟子が代筆

 【明慧日本2016年7月14日】12歳の時、私の家庭は地主と区分され、中国共産党から迫害を受けました。そのため、家族全員が逃げ出して、漢陽市のある尼寺に放浪してたどり着きました。そこの住職は私達が真面目そうな人たちだと思い、引き留めてくれ、私達は寺の片隅にある小屋にしばらく泊まらせてもらいました。

 尼寺の尼僧たちは立ち居振る舞いがしとやかで、毎日お香を焚き、佛様を拝み、読経していました。彼女たちの煩わしさのない、のんびりとした生活を垣間見て、私は尼僧になりたいと思いました。両親と相談しましたが、父は断固として反対しました。心にむなしさを感じながら、私は普通に結婚し、出産し、数十年間必死に生きてきました。

 今、私にはもう心残りはありません。なぜなら、59歳の時、幸運にも法輪大法と出会え、師父が自ら行われた講習会に参加でき、学校に一度も通ったことのない私が、『轉法輪』を通読できるようになったからです。

 私は今年82歳です。1994年1月12日に法輪大法の修煉を始めました。22年間の艱難辛苦の中、よちよち歩きの赤ん坊のような私が、偉大な師尊に連れられ、見守られ、今日まで歩んで来ました。その感謝の気持ちは、世の中のどんな言葉でも言い表すことができません。

 修煉する前の私は、多くの病気をもち、産後、心臓病になり、また悪性乳腺腫瘍を患い、めまい、頭痛、だるさを覚え、体のむくみなど多くの疾病があり、死んだほうがましだと思いました。薬を飲み、注射をし、このような生活が続きました。苦しさのあまり、私は生きる自信を失っていました。

 大法修煉をしてから、私は薬瓶を手放し、注射も入院もやめ、体が軽快になりました。生活の中で、師父がおっしゃった真・善・忍に基づき、いい人、さらにいい人になるように努め、修煉に励みました。学校に1日も通ったことのない私が、師父の「論語」を数回熟読できるようになり、さらに『轉法輪』と師父の各地での説法も通読できるようになりました。

 1994年当時、私達の小さな町には、法輪功煉功する人がとても多かったのです。お正月の12日、ある人から、「県の貿易会社で、李先生の武漢での説法の録音テープを流しているから、一緒に聞きに行きませんか」と誘われました。私は2晩も連続で聞きに行きました。師父のお言葉は、まるで雷が鳴り響くかのように、私を震撼させました。そこで、私は五式の功法を習いました。

 その年の6月、私は家族と一緒に、河南省鄭州市で開催された師父の講習会に参加しました。翌日、その場で、師父は私の体を浄化してくださいました。3日目、部屋を掃除している女性が、「おばあちゃん、2日前まであれだけ熱を出して、飲まず食わずの状態だったのに、どうしてこんなに元気になれたのですか?」と聞きました。私は、大餅を食べながら水を一口飲んで、「師父が全部治してくださいました。本当に師父に感謝します」と嬉しそうに答えました。

 9日間の講習会が終わり、学習者たちは皆師父と握手していましたが、人が多すぎて私は近寄れず、遠いところから師父のとても高くて大きなお姿を眺めていました。寺にも山にも入る必要がなく、家で修煉ができると師父がおっしゃいました。これで、私の長年の夢が実現でき、長年の謎も解けました。師父の直伝の弟子になれたことは、私の最高の幸せです。わが人生に悔いはありません。「必ずや最後までやり遂げ、修めます」と心から誓いました。

師父は、私の生命を延長された

 修煉前、占い師から、あなたは70歳まで生きれば、いい方だと言われました。修煉後、私は「大法は素晴らしい」と固く信じ、法を師にし、三つの事をしっかり行い、生命判断や人相、手相等は一切信じず、師父と法だけを心に留めて、家で学法グループを作り、法を学びました。

 72歳のある日の夜、うつらうつらとしていると、自分が白衣を身につけ白い布団をかけ、ベッドに横たわっている夢を見ました。1人の白衣を着た人が、私のベッドの前に立ち止まり服を引っ張って、「あなたはもう行く時がきました」と言われ、私はすぐに、「あなたについて行きません。私は法輪大法を修めています。私には師父がおられます」と言ってさらに大声で、「師父、助けてください。私はまだ果たさなければならない使命があります。衆生は私の済度を待っています。魔について行きません。師父について行きます」と叫びました。それから、私は次第に目が覚め、寝汗で服がびしょり濡れ、体がぶるぶると震えていました。私は頑張って起き上がって、洗面し、口をゆすぎ、急いで足を組み、師父にご加持をお願いしました。「これは魔の妨害です。古い勢力の迫害です。私はそれを一切認めません。師父が按排された道しか歩みません」と発正念をしました。

 その後、私はすぐに座禅をし、五式の功法を煉り、自分を病人と見なさず、頑張って朝ごはんを作りました。朝ごはんを食べた後、私は連れ合いに、昨夜、魔に妨害されたことを話しました。そして、「この事を言うのは、今後、もし私の身に何か起きた場合、病院に送らないでほしいからです。息子と娘が帰ってきても、責任を持ってそう説得してください。私の命は師父が救ってくださったもので、師父のおっしゃる通りにします」と伝えました。連れ合いは、うなずいて承知しました。私はさらに、「家にはいつも十数人の人が出入りしていますが、彼らはすべて同修です。私の部屋のこの箱の中には数千元、およそ7千元が入っていますが、それは同修達が生活を切り詰めて、真相資料を作るために節約したお金です。私のものではありませんので、決して使ってはいけません。あなたからもらった200元の生活費だけでは、こんなに貯金できません」と言いました。

 2年後の10月1日、息子と娘は休みで家に帰ってきました。連れ合いは、自分の部屋を子供たちに譲り、私の部屋で寝ていました。この日の夜、眠りについた後、突然1本の大きな縄が私の首を絞め、引っ張り出そうとする夢を見ました。私は恐ろしくなって手足をバタバタさせ、ベッドを叩いたり蹴ったりしてもがきました。びっくりして目を覚ました連れ合いは、電気をつけて、大声で私の名前を呼びました。意識がちょっと戻ってきた私は、「早く師父にお願いして、私を助けてください」と言いました。彼は驚いて体を震わせながら涙をボロボロと流し床に跪いて、ひたすら師父に叩頭して、「妻を助けてください。師父、お願いします、お願いします」と何度も言いました。その瞬間、私は大きく息を吹き返し、意識が戻り、玉のような汗が体から滴り落ちました。

 師父は再び私を死の瀬戸際から救ってくださいました。連れ合いも息子と娘も、大法の超常的で神秘的な力を目撃しました。それから、修煉をしていない家族も、私の真相を伝えることに手助けをしてくれるようになりました。

修煉が私を変え、家族にも福の報いが

 修煉後、私は大法の真・善・忍を基準に自分を律するようにしました。以前、私は気性が荒く、他人に言われると、必ず言い返していました。家でも、連れ合いとよく口けんかをして、負けると何日もベッドに寝込んで起きようとせず、彼を無視して家事もしませんでした。修煉後、私は内に向けて自分の不足を探し、他人に優しくし、家事を進んでやりました。連れ合いは同僚たちに、「この法輪功は本当に素晴らしい。家内はまるで別人のように変わった。私と口論しなくなったし、美味しいものは、全部私に譲ってくれる」と言いました。

 2人の娘と娘婿も修煉をするようになり、2人の孫も大法を受け入れ、娘家族はとても幸せに暮らしています。一方、息子は結婚して10年間も子宝に恵まれず、悩んでいましたが、2001年、息子の嫁は順調に健康な赤ちゃんを出産しました。退院して家に帰った後、息子は孫を抱いて私の前に来て、嬉しそうに、「お母さん! お母さん! この子は、お母さんが大法を修めて得られた子ですよ」と言いました。それから、孫が風邪などを引いたら、息子も嫁も、「おばあちゃんと座禅しなさい、煉功して、師父の説法を聞きなさい。そして『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じれば、元気になるから」と我が子にいつも教えました。孫は今年15歳になり中学校に通っています。身長は178センチで、とても正直者で人に好かれ、健康で良い子です。

 連れ合いも福の報いが得られました。病院で肝硬変があると診断されましたが、大法を認めてから、十年も寿命が延長されています。

 私は今年82歳になりましたが、目もかすまず、耳も遠くなく、足腰はしゃんとしていて、顔はつやつやして白く、赤みがさしています。そして、師父の四十数冊の大法書籍を今も全部通読できるのです。毎日、師父が求められた三つの事をしっかり行い、とても幸せで充実しています。これらの話をするのは、もっと多くの人に「法輪大法は素晴らしい」と分かってもらいたいからです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/6/330890.html)
 
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