大法弟子は、法の基準に近づくように!
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2016年9月8日】私は若い大法弟子です。1996年の初め頃、両親について修煉を始めました。実は、私の魔難は、まだ母親のお腹にいた時からすでに始まりました。母は妊娠してからつわりが酷く、妊娠して2週間目の時、病院で診察してもらいましたが、医者は誤診して、母に30分のバリウム検査を受けさせたうえ、いろんな妊婦が絶対飲んではいけないサルファ剤を処方しました。その後、母の症状が改善されなかったため、再検査をしたところ、初めて妊娠だと分かりました。当時、両親はとても後悔して赤ん坊の私に、何か害を与えたのではないかと心配しました。結局、私は先天性口唇裂となって生まれてきました。生まれて半年後、口唇裂の手術を受けましたが、手術中大出血し、もう少しで命を落とすところだったそうです。

 先天的に虚弱体質だったため、法を得るまで、私はまったく自分で歩くことができず、頭が重たくて歩くとバランスが崩れ、頭から倒れ、200回以上転んでいたと母から聞きました。ある日、私はソファーから頭を下に向けて落ちたため、頭がぱんぱんに腫れ上がり病院に運ばれました。病院で頭から血を抜き、開頭手術を受けるところだったそうです。後で分かったのですが、私の病気は脳性麻痺で、本当は長く生きられない病気だそうです。その後、また心筋炎を患い、当時の私の心臓は豆腐のように弱く、ちょっと衝撃を与えると、ぐちゃぐちゃになってしまいそうで、医者から何度も家族に、「この子は怒ってはいけない、興奮させてはいけない、走っても、跳んでもいけない、激しい運動をしてはけない」と注意されました。法を得るまで、私はほとんど家を出たことがなく、出かけても、両親に抱っこしてもらうか、おんぶしてもらうか、それしか方法がありませんでした。

 1996年の初め頃、家族全員が幸運にも大法修煉を始めました。その後、私の病気は全部消えてなくなり、健康な子供と同じように走り回ったり、飛び上がったりすることができるようになり、幼稚園にも入り、たくさんの友たちができました。その頃の私はとても精進して、修煉を始めたばかりなのに、『轉法輪』を読み、『精進要旨』の「警告の言葉」までのすべての経文を、暗唱できるようになりました。毎日同修と一緒に法を学び、煉功をし、座禅を8時間続けても全く痛みを感じず、何事も師父のご要求通りにし、良い人になるように自分を厳しく律して、修煉の道を勇猛精進しました。師父がいらっしゃらなければ、大法と出会っていなければ、私はとっくにこの世にいない、と分かっていたからです。

 今年6月に、師父のご加護の下で、私は再び死を免れ、二度の大きな交通事故の中で被害を受けず無傷で済みました。事故の後、私は同修の家に運ばれましたが、同修から、「あなたはしっかり内に向けて探さしてください。修煉に、大きな問題があるのではないか」と言われました。しかし、探しても、問題が見つからない状態が、結構長く続きました。どう探せばいいのでしょうか。同修と交流した後、私は心を静めて、自分を見つめ直しました。ふと、今まで、毎日法を学んでいましたが、しかし、心に留めていないことに気づきました。しかし、引き続き、私は間違った方向に考えていました。自分が落ち着いて法を学んだり、煉功をしたり、心を修めたりすることができなかったのは、プロジェクトに参加し過ぎて、忙しすぎるからだと思いました。そこで、私はいくつかのプロジェクトの参加を止めました。しかし、実際の情況は期待した方向へ好転するどころか、ますます怠けてしまい、甚だしきに至っては、朝の煉功にも起きられず、毎朝、8時か9時にならないと、起きられませんでした。私は焦り出し悩み、自分が一体どこで誤っているのか、毎日一緒に法を学んでいる同修に聞いても、明確な答えは帰って来ませんでした。

 万策尽きて手も足も出ない時、師父は私を啓示してくださり、外に向けて探していることに気づかせてくださいました。私は考えました。もし、自分が本当にまじめに修煉をしていれば、たとえ毎日、少しでもいいので真剣に法を読み、心に留めていれば、自分が分かるべきその次元の法理が分かるはずです。しかし、自分はそわそわして落ち着かず、心を静めることもなく、本当に大法を大切にしていませんでした。だから、毎日法をたくさん読んでいても、法の内包を読み取れることができませんでした。まして、心を修めること、内に向けて探す事、それは普段の一思一念を修めることなので、間違った一念があれば、すぐにそれを掴んで修めなければなりません。今、時間がこんなに緊迫している中、のんびりとして、ダラダラしている自分は許されないことに気づきました。

 私はある同修に、忙しいですかと聞きました。同修は、「忙しくない、忙しくすると心が亡くなるのよ」と答えました。私は表面通りの意味を理解して、自分をあまり忙しくさせてはいけないと思いました。しかし、今年のアメリカ中部法会で、私は再びこのことを思い出しました。師父が同修の口を借りて、私に啓示してくださったことが分かりました。それは、「忙しいから、心が亡くなる」という意味ではなく、それは「多くの心を亡くした」という意味でした。つまり、人を救いたい心を亡くし、大法を大切にする心を亡くし、勇猛精進する心を亡くし、内に向けて探す心を亡くし、自分を大法弟子とみなす心を亡くし、本当の自分を見失い、修煉する心を亡くし、残ったのは自分を実証したい心、仕事をしたい心と、忙しさだけが残ったという事に気づきました。

 師父は、「二〇一五年米国西部法会での説法」の中で、「皆さんに教えますが、誰もあなたたちの修煉の成功を望んでおらず、誰もあなたたちの修煉の出来具合を考慮していません。旧勢力は自身が完成させたいことを完成させているだけで、それだけなのです。」とおっしゃいました。私はプロジェクトに参加した時、自分を実証したい、そして仕事をする心を持って、仕事のために仕事をしていると、それは、旧勢力の行動と、どこがどう違うだろうか、と思いました。そして、常人の番組を見る時、本当につまらなくて低俗だと思い見たくないのではなく、怖いから見てはいけないと思って、見ないようにしているのではないかと思いました。なぜ良くないことだと分かっていながら、その欲望を手放したくないのだろうか。内に向けて探してみると、やはり人間の素晴らしい生活に憧れ、男女の情に執着しているのではないかと気づきました。自分は実際に体験できない感情を、テレビドラマの主人公と同じように味わってみたい、彼らと同じ人生の道を歩んでみたいと思っているのではないでしょうか。これはどれだけ強い人心でしょうか、と思いました。私は知らず知らずのうちに、修煉への邪魔と思想業力を強めてしまい、自分を人間の中でどんどん深く落として行き、自分の精進する志を無くしてしまったのです。なのに、全くそれに気付いていませんでした。

 もう一つの問題が見つかりました。それは、毎回、外部環境に刺激され、妨害され、或いは関門を突破できず、落ち込んでいる時、私は、法を学んで問題を解決しようとせず、いつも人間の方法で解決しようとすることでした。例えば、常人のテレビや映画を見て、現実から逃れようとしました。しかし、それは体が悪い時病院に行って、注射をしてもらったり、薬を飲んだりすることと同じではないか、彼らは体に薬を入れ込むのですが、私の場合は良くないものを頭に入れ込んでおり、それは注射や薬よりもっとひどいものではないかと思いました。

 その数日後、明慧で、「修煉体験のまとめ 人間からの脱出」が掲載されました。私は読みながら、自分の根本的な執着は一体何だろうかと考えました。以前、この問題も考えましたが、しかし、毎回それを考えると思考が突然停止し、頭が空っぽとなって何も浮かんできませんでした。しかし、今回、私は必ず自分の根本的な執着を見つけるようと決意しました。師父は、すべての人には根本的な執着があるとおっしゃっていましたから、私にもきっとあると思いました。私は黙々と師父の法像を見て、師父に助けをお願いしました。

 私は目を閉じて、自分に、「なぜ、あなたはここに留まっているのだろうか? もし、常人に戻らせようとしたら、あなたは戻るのか? それとも戻らないのか?」と聞きました。繰り返して聞きました。ようやく、1つの声が、「戻りたくありません。常人になってしまえばすぐに病院に行って薬を飲み、注射をしなければならないでしょう。それに、師父のご按排とご加護がなければ、常人のことを対処しきれないでしょう。また面倒なことが山ほどあり、生活も今のように順調でなくなるでしょう」、と聞こえてきました。なるほど、私の根本的な執着はこれですね。自分の安逸のため、また、大法が自分に居心地の良さと素晴らしさをもたらしてくれているから、自分はここから離れたくないのだと分かりました。

 自分のこの汚い心を見つけた時、その恥ずかしさは言葉で表現できません。汚い多くの自分の根本的な執着が見つかりました。個人的な理解では、修煉の中で心が純粋であればあるほど、単純であればあるほど、執着心と人心を多く捨てることができると考えています。ですので、円満成就のためではなく、自分の修煉状態がどうなのかを求めず、どれだけ高めたかを考えないで、ただひたすら、師父のおっしゃる通りに行い、自分が行うべきことをしっかり行うようにと決意しました。こうすれば、初めて師父のご要求に達することができるのではないかと思いました。それこそ、師父が弟子に対する要求と期待ではないでしょうか。私は決心しました。必ず法の基準にできるだけ近づけるように、自分に厳しく要求し、しっかりと行い、何かの為ではなく、1人の大法弟子として、行うべきことをしっかり行うようにします!

 以上は、最近、修煉して体得したことです。不足があれば、同修の皆さまの慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/3/333913.html )
 
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