文/中国の大法弟子 福縁
【明慧日本2016年10月25日】母は若い時から、ヘルニア、偏頭痛、十二指腸潰瘍、ノイローゼなどの病気を患っていました。
一、「このおばさんは、なぜ年を取れば取るほど元気になるの?」
人民公社の時代、働いたら点数を稼ぎ、労働点数の多寡(たか・多いいかすくないか)によって食糧が配分されるシステムでした。当時、私達姉妹兄弟はまだ幼く、母は病弱な体で無理して農作業をし一年働いても、あまり労働点数を稼げませんでした。農作業をしながら、家族の衣食住の面倒を見なければならないため、体が弱く病気がちの母は生活の重圧に潰されそうになりました。母がよく病気でベッドから起きられず、薬を飲み、注射をし、入院するのは日常茶飯事でした。机の上に薬の瓶がいつも山積みされていて、父はよく、「俺まで病気に詳しくなり、他の人は薬局で薬を買うが、かあさんの薬は問屋から直接買わなければならないほど多い」とこぼしていました。その頃私は、学校から帰って来て、母がベッドに寝ていなければ、気分が軽く、嬉しかったのを今でも覚えています。
1996年のある日、弟は母に『轉法輪』という気功の修煉の本を紹介し、それから、母は法を学び、功を煉り始め、体が日に日によくなり、今までの病症も消えてなくなりました。私達は皆とても不思議に思いました。母は薬を止め、以前服用していた薬を全部処分しました。薬の瓶だけでも山ほどありましたが、全部処分しました。母は元気になって、顔の血色もよくなりました。当時60代になった母はいつも弟の家の農作業の手伝いをし、畑仕事の殆どをいつも母一人でやっており、若い頃よりも元気に働けるようになりました。村人は皆驚いて、「このおばさんは、年を取れば取るほど元気になるね」と噂しました。母は人々に、「法輪大法を修煉したから、体がこんなに元気になったのよ」といつも教えていました。母の大きな変化を見て、親族の中の十数人の人たちも次々と法輪大法を修煉し始め、その多くの人が法輪大法の殊勝さと神秘さを自分の目で見、体験しました。
二、泥沼から抜け出した私は、明るい未来を予感
私も小さい時から体が弱く病気がちで、自分の記憶の中では、よく薬を飲んで、注射をしていました。大人になってからも、よく夜勤に就き、食事も睡眠も規則正しくなく、他にもいろんな原因があって、慢性胃病、胆嚢炎、腎臓結石、頭痛などの病気を持つようになりました。ご飯も、暖かいもの、消化しやすいものしか食べられず、冷たいものや、梨やスイカなどの果物はほとんど食べられませんでした。胃病を治療するのに様々な薬を試しましたが、顕著な効果がありませんでした。親戚の人は新疆から、わざわざよく効く薬を買ってきてくれました。大豆ぐらいの大きさの丸薬は一粒だけで二十数元もして、痛い出費でしたが、病気を治療するために、出し惜しみしながらも買っていました。しかし、高価な薬を飲んでも効き目があらわれませんでした。自分の病気はもう治療できないと失望していました。毎日病気に苦しみ、私の性格もだんだんと悪くなり、心も狭くなり何事も気に入らず、いつも夫と子供にかんしゃくを起こして、生きていることは実に辛くて、つまらないと思っていました。
1997年のお正月に、実家に帰ってきた私に母は、「あなたも早く煉功しましょう。この功法は素晴らしいですよ。病気治療だけではなく、人に真・善・忍に基づいていい人になるように教えてくださるのです。師父は人を救い済度するために来られたのです」と言いました。それを聞いた私は、すぐ煉功したいとの一念が生じました。
法輪大法を修煉した後、私の世界観も大きく変わりました。「すべてのことには因果関係があり、善悪には報いがあり、何もかも自分がもたらした結果なのだ」と分かりました。大法の法理は私を感服させました。それからの私は、できるだけ師父の説かれた法に基づいて行動し、「真・善・忍」の基準でいい人になるように自分を律しました。トラブルに遇えば、内に向けて探し、自分のどこが間違っていたのかを探し、それをできるだけ改善するように努めました。すると、いつの間にか以前の病気は消えてなくなり、長年悩まされた胃病も治り、その年の夏、私はスイカや果物も食べられるようになりました。それは人から見ればごくごく普通のことですが、私にとっては本当に奇跡としか言いようがありません。私は初めて無病の素晴らしさを味わいました。その時の気持ちは本当にどんな言葉でも表現できず、師父のご恩に対する感謝の気持ちは、どんな言葉でも表現し切れません。師父は私を泥沼から救われ、明るい未来を与えてくださいました。
体が健康になっただけではなく、考え方や心性にも天地を覆(くつがえ・ひっくり返す)すほどの変化が起きました。以前、私は心が狭く、損得にとらわれ、怒りっぽくて、小さな事で一喜一憂をしていました。煉功をしてから、大法からたくさんの道理が分かり、心は晴れ晴れとして明るくなり、穏やかになり、こまごましたことに悩まなくなりました。
三、幸せな大家族
嫁ぎ先は大家族です。結婚をした後もずっと同居生活をしていました。義理の父と母、弟とその嫁、義理の姉(姉の夫は地方で仕事をしているため、いつも実家にいる)と一緒に暮らしていました。姉には子供が3人、私には2人、弟には1人いて、十数人が一緒に生活するとても賑やかな大家族です。
修煉する前、私は不平不満が多く、舅と姑がえこひいきしているとよく愚痴を言っていました。修煉後、自分は修煉者として物事を考え、悩み事があれば、大法の法理で考え、「自分が損をしても、人を優先にする」との大きな気持ちで、損得を言い争わないようにしました。それで、大家族との関係はますます打ち解けるようになりました。今では、姉、弟の嫁との間に隠し事がないほど良い関係となり、金銭に関しても、家事労働の分担においても何一つ、トラブルを起こしたことがありません。
2年前に、弟の子供が婚約し、舅と姑はようやく別居することを決めました。当時、二つの家があって、一軒は新築で、一軒は古い建物でした。姑は新築の家を私たちにと言いましたが、夫は私と相談して、「俺は長男だから、新築の家を弟に譲ろうと思う」と言い出し、私は快く「賛成ですよ、弟に先に選んでもらいましょう」と言いました。夫はとても喜んでいました。私は家のことで困らせたことがないため、夫も私の修煉をとても応援してくれました。夫に、「修煉をしていなければ、私はここまでできませんでしたよ」と言いました。なぜなら、以前、私は、「別のことはなんでも譲りますが、家と土地のような大きなことは、絶対に譲りません」と断言していました。田舎では、多くの家庭は財産分与の為に、大喧嘩をして、甚だしきに至っては、兄弟姉妹は仲が悪くなり、法廷で争うことも多々ありました。しかし、私たちは仲介者も頼まず弟に新築の家を譲り、私たちは古い家をもらってとても平和に解決しました。村人たちに、「この家族は本当に仲むつまじくて素晴らしい、今、このような家庭はめったにないよ」と羨ましがられています。
私達は商売をしているため、家の土地は弟に貸しているのです。私たち夫婦は何もいらないから、ただ、両親の食いぶちを出してほしいと弟に言いました。田舎では、土地があれば、かなりの収入になるため、弟の嫁は済まないと思って、時々、トウモロコシの粉や油などのお礼を持って来てくれます。そして、何より嬉しいことは、弟の嫁も大法を学び始めました。あまり精進しているとは言えませんが、しかし、自ら大法と縁を結びました。姉はとても感激して、「法輪大法を修煉する人は、皆いい人だ」と言いました。今、この大家族に、また家族が増えました。子供達は結婚して、赤ちゃんが生まれ、時には、子供たちが、婿さんや嫁さんが子供を連れて帰ってくると家中で笑い声が絶えません。すべて大法からもたらされた恩沢(おんたく・人や物に利益や幸いをもたらすこと)です。師父の慈悲なる済度による幸せです。もし修煉をしていなければ、私は恐らくまだ泥沼の中で苦しんでいるに違いありません。
修煉した後に起きたわずかな出来事をお話ししました。もっと多くの素晴らしい修煉体得がありますが、とてもこの紙面だけではお話しできません。この人生で法輪大法と出会い修煉できたことは、私にとって最も喜ばしく、最高の最高の選択でした!