甘粛省涇川県の学習者・趙永生さん迫害死
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 【明慧日本2016年11月22日】甘粛省涇川県の法輪功学習者・趙永生さん(52)は、昨年の旧暦おおみそかの夜、留置場で突然死亡した。

 趙さんは法輪功の真相を伝えたという理由で、昨年5月に不当に連行され、涇川県留置場に拘禁された。同12月22日、涇川県裁判所に秘密裏で懲役6年の判決を下され、今年2月7日(昨年旧暦のおおみそか)に留置場で死亡した。

 趙さんは独身で、家族に兄と甥がいる。家族は2月11日に留置場から知らせを受けて、当日の夜に遺体を運んで帰り埋葬した。

 趙さんの友人達を訪ねて取材し、本文を書いた。この「真・善・忍」を修する学習者を追憶し、江沢民の虚言に騙されて法輪功に対して恨みを抱き迫害する人たちを目覚めさせ、未だに「仕事」 「生活に関わっている」 「上の命令」を口実にして学習者を迫害する公安局の人員、検察官、裁判所と610弁公室の人員および各層の指導者の方々に警告を与える! 趙さんは、あなた方を救うために、あなた方の手によって殺されたのだ! こんな理不尽な事があっても良いものだろうか!

 苦難の人生

 趙さんの母親は5人の息子がおり、趙さんは4番目の子供である。1960年代の中国は衣食が足りない時代だった。趙さんの父親が早死したため、生活が維持できないので、母親は幼い趙さんと末っ子を連れて再婚した。連れ子の趙さんは、幼ないころから軽蔑され、いじめられて育った。

 義理の父が亡くなった後、趙さんは家族の生計のため、裁縫技術を学んで、弟を大学卒業までいかせた。趙さんは腕が良いだけではなく、性格が優しく、価格も正当で評判が良かった。趙さんは涇川県で縫製店を経営していた時、田舎の親戚の子供に無料で食事と宿泊を提供し、大学へ進学させた。

 小さい頃から苦労した趙さんは、深刻な胃病、不眠症、脳神経衰弱など病気を患った。

 法輪功との出会い

 1997年8月、かかりつけの医者は趙さんに法輪功を紹介した。法輪功は法輪大法とも呼ばれ、中国社会で1992年に李洪志先生によって公に伝え出された佛家修煉大法で、宇宙の特性「真・善・忍」を原則とし、緩やか、優美な5式の功法の動作を修めるものである。法輪功は学習者をよい人になるように「真・善・忍」の基準に従って道徳レベルの向上を要求するものである。法輪功を学ぶと健康になるだけではなく、修めた人たちは誠実になり、善良になり、寛容になり、そして、穏やかになることができる優れた功法である。

 趙さんは法輪功を学んでから、以前の病気がいつの間にか消え、性格も楽観的になり、喫煙と飲酒をやめた。そして、縫製業から運転手に転職した。内心から法輪功が好きで、法輪功の先生に感謝している趙さんは、喜んで周囲の人々に法輪功を紹介した。

 陳情に行った際に殴打される

 1999年7月、元国家主席の江沢民が法輪功を迫害し始めた。趙さんは法輪功に対しての中傷と虚言を見ていられなく、1人で上京して法輪功の素晴らしさや、テレビと新聞の宣伝が捏造されたものであることを伝えたが、北京の警官に連行され、地下室に拘禁され殴打された。

 当時の目撃者の話によると、北京の警官は趙さんに対して殴ったり蹴ったりし、また体を持ち上げて落としたりして、繰り返し暴行を加えていたという。迎えに行った涇川県の警官の王鳳岐でさえ見ていられず「私に任せて、もう殴らないで」と言ったほど殴打されていた。

 ひどく殴られたため趙さんの体は負傷し、意識もぼんやりした。ある警官は「もともとの瘋癲者だ」と言い、実情を知っている地元の警官は「もし瘋癲者なら、どのように甘粛省涇川県から北京へ来たのか。また『法輪大法は素晴らしい』を叫んでいる。あなた達は人をここまで殴って、連れて帰ったら家族にどう説明するのか!」と反論した。

 当時、趙さん本人の話によると、北京の警官は足で蹴ったり、拳で頭と顔を激しく打ったりした。打倒した後に足で蹴り、頭を踏みつけ、殴りながら罵り、数人で同時に手を下した。趙さんは巨大なショックを受けた。北京で5日間拘禁され、5回ひどい暴行を受けた。

 地元の警官は手錠をして趙さんを連れて帰った。、肉体と精神が大きな打撃を受けた趙さんを見て、問題を起こさないように、家族に連れ帰らせ休養させた。数日後、北京から「北京に陳情に行ったことがある学習者を、全員拘禁しなければならない」との命令があったので、趙さんは涇川県留置場に拘禁され、4カ月後ようやく帰宅した。

 留置場で、趙さんは体罰を加えられ、様々な人身の攻撃をされ、法輪功を中傷する映像を強制的に見させられ、食事も与えられず、法輪功を放棄するように強要され、さらに「反省文」 「保証書」を書くことを強要された。

 同じ監室の受刑者は、趙さんがそこまで迫害されるので早く脱出させたいと思って、こっそりと趙さんの名義で「保証書」を書いて警官に渡した。趙さんはこのことを知り「保証書」を取り戻して破ったという。

 絶え間ない嫌がらせと監視

 涇川県610弁公室と公安局の人員は、趙さん本人の同意を得ずに、勝手に趙さんの戸籍住所を移転し、監視役を配置した。

 趙さんは法輪功を通じて健康を取り戻し、生活のため、銀川市へアルバイトをしに行った。村の幹部は情報を聞いて銀川市に駆けつけ、趙さんを地元に戻るように強制し、それ以来ずっと厳密に監視した。

 本来、趙さんのように事情のある50歳を過ぎた独身者は、国から最低限の生活困難補助金が支給されるはずだが、趙さんは16年来、逆に警告を受け、中傷され、監視され、絶えず嫌がらせを受けた。

 普通の人ならもう生きる力がなくなるかも知れない。人生の意義が分かっていた趙さんは、後悔もせず恨みもせず、引き続き「真・善・忍」の基準で自分を律し、さらによい人になるように努力し、野菜を植えスイカを育て、生活を維持していた。同時に、法輪大法の素晴らしさ、迫害の真相を同郷の人達によく伝えた。

 昨年5月、虚言に騙された警官に真相を知ってほしくて、趙さんは法輪功の資料を郷派出所の警官に渡した。この警官は理解するどころか、他の2人の警官と一緒に趙さんを派出所まで連行した。その後、涇川県公安局の警官は趙さんの家財を押収し、法輪功の書籍を奪い取り、趙さんを病院で健康診断を受けさせた後に、涇川県留置場に拘禁した。

 無残に迫害され死亡

 昨年の旧暦の大晦日の夜、人々は家族団らんで忙しくし、1年の最後の日を祝っていた。しかし、涇川県留置場で8カ月余り拘禁された趙さんは、突然死亡した。留置場で何が起きていたのか、誰も知らない。

 趙さんが死亡した4日後、留置場は家族に知らせた。趙さんは脳溢血で死亡したと言って、家族に6万5千元の賠償金を支払った。趙さんの兄と甥は遺体を引き取りに行った時、問い詰めたところ、警察側は「以前に、趙さんに病気があったのが原因だ」と言い、それを口実にして責任を逃れようとした。

 趙さんの家族はおとなしい中国の農民で、反抗することもできず、当日の夜に遺体を運んで帰り、埋葬した。

 趙さんは一体何の原因で死亡したのか? 8カ月前の昨年5月、健康診断を受けてから拘禁されたので、病気の原因ではないはずだ。大晦日の夜、留置場の中でなぜ脳溢血の発作が起ったのか? 家族は納得できないでいる。

 数多くの迫害事件

 趙さんの一生は、苦難に満ちた中国の農民たちの縮図とも言える。趙さんの迫害された経歴は、中国大陸の法輪功学習者の真実な反映である。趙さんの迫害死は、17年来の江沢民グループが国民を騙し、迫害し、殺戮した事件の氷山の一角である。周りにさらに多くの冤罪事件が数々あり、これらの歴史はそれらの事件を物語っており、とうてい忘れることはできない!

 涇川県の羅漢的郷に在住の魏俊仁さんは、2005年、江沢民が法輪功を中傷するため作り出した「天安門焼身自殺事件」の分析映像をテレビ番組に挿し込んで放送したため、蘭州市公安警察に連行され暴力を振るわれた後、22年の懲役を宣告された。2006年、魏さんの妻は無念の中で病死した。2人の未成年の息子が残された。

 孟才さんは、平涼市の四十里舗製紙工場のマネージャーを務めていた。人となりは正直者で、温厚で、法輪功を学んでからさらに優しくなった。2003年、孟さんは法輪功の真相を伝えたため、3年の労働教養を強いられ、給料を停止され、冤罪が晴れずに死亡した。

 朱芝蘭さんは、平涼市四十里舗の農民で、法輪功が迫害されている真相を人々に伝えたため、平涼610弁公室に2年の労働教養を科された。苦しみを受け尽くし、帰宅して間もなく亡くなった。

 曹璽さんは、平涼市電力局幹部を退職した人で、法輪功の真相を伝えたとの理由で罪に陥れられ、懲役7年の判決を下された。刑務所の中で、70代の曹さんは冬の厳しい寒さの中、手錠で軒先に吊し上げられ侮辱された。息子の曹建平さんは、二度判決を下され、給料を停止されてやむを得ず妻と離婚した。幸せな家庭は、散り散りばらばらに分散し、崩壊した。

 80代の薛ぺイ東さんは、法輪功を学んでいるという理由で1999年7月22日から、幾度となく610弁公室の人員に嫌がらせをされ、法輪功を放棄するように強制された。2008年のオリンピックの前に、涇川県の610弁公室は、決められた迫害人数を達成するため、国保大隊の警官と共同して、薛さんの家に盗聴器を設置した。盗聴したものを証拠として、薛さんに対して7年の執行猶予判決を下した。薛さんの刑期満了後、警官と町内の役人は何度も嫌がらせに来た。

 楊宗霖さんは、1999年7月22日、平涼市広場で煉功した時に連行された。その後、平涼市610弁公室に1年の労働教養を強いられ、甘粛省平安台労働教養所に拘禁された。刑期の期間中、刑務所の独房に閉じ込めるなど様々な迫害を受け、満期になって家に帰る直前に、また鉄の門に数日間、吊し上げられた。師走の季節、手錠は皮膚に食い込んで腕がぼろぼろになった。2008年、また2年の労働教養を強いられ、重病のため一時出所した。今年3月1日、楊さんは平涼市610弁公室に家財を押収され、留置場に拘禁された。

 康尚文さんは、法輪功の真相を伝えたという理由で、2年の労働教養を強いられたことがある。昨年8月、北京最高人民検察院と国務院総理の李克強氏宛に、江沢民が法輪功の迫害を発動したことによって自分が受けた迫害を告訴した。告訴状は涇川県公安局に遮られ、康さんは涇川県公安局に15日間の行政拘留を科された。

 呂慧玲さんは、法輪功の真相を伝えたため、3年の労働教養を強いられた。甘粛女子労働教養所で、呂さんは吊し上げられ、刑務所の独房に閉じ込められるなどの拷問を受け、歯がすべて抜け落ちた。昨年8月、最高人民法院と最高人民検察院に江沢民を告訴したが、告訴状は公安局に差し止められ、呂さんは15日間の行政拘留を科された。

 魏海軍さんは、法輪功学習者であることを理由に、逮捕令状を出された。2003年、涇川県公安局は魏さんを連行した時に、2万元の褒賞金をもらった。魏さんは3年の労働教養を強いられた。

 王福農さんは、2000年に法輪功の潔白を実証し正義を取り戻すため、 北京へ陳情に行き、1年間の労働教養を強いられた。2012年に法輪功の真相を人々に伝えたため、平涼市610弁公室に懲役4年の判決を下された。

 路保良さんは、法輪功を学んでいるという理由で3年の労働教養を強いられたことがある。江沢民は甘粛省蘭州市コン家湾で「金盾プロジェクト」を建設した。それを利用してネットを封鎖をし、監視して、個人情報を収集した。平涼610弁公室は、路さんが「明慧ネット」を見ていることを理由にして、懲役7年の判決を下した。蘭州刑務所で路さんは苦しみを嘗め尽くし、病気になり、今なお歩行が困難である。

 昨年10月、平涼610弁公室が江沢民を告訴する大潮流を抑えるため、張小勇さんを連行し、平涼市留置場に拘禁した。現在、610弁公室は逮捕令状をすでに下達し、張さんを罪に陥れようとしている。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/1/337091.html)
 
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