明慧法会|私の修煉
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月10日】明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の開催で、気持ちが高ぶっています。1年に1度のこの大型のインターネット交流法会は、慈悲で偉大なる師父が特殊な環境下にいる中国の弟子のために開かれ、お互いに学び合い修め合う環境であり、中国の大法弟子たちもまた毎年待ち望んでいます。この得難い機縁を絶対に逃すわけにはいかないので、修煉を始めてから今に至るまでの自分の体験を、偉大で慈悲なる師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 1995年、友人から私に法輪功を紹介された時、気功に対する認識は病気治療と健康保持という底の浅い認識に留まっていました。しかし、師父の済南での説法の録音テープを聞いた後、法輪功に対する認識に大変革が起き、本当の気功は歴史が古く、博大な奥深さがあることがわかりました。病気治療と健康保持にとどまらず、気功は修煉であり、神になる道であり、返本帰真することが人が存在する本当の目的であることを知り、今後どのように正しい人間になればよいのかがわかりました。

 修煉して間もなく天目が開き、他の空間の人、物、映像が見えるようになり、特に第2式の功法で抱輪をしている時に、法輪が両腕の所で回転するのをはっきりと感じました。体の変化がとても大きく、師父が法の中で説かれた「あなたは身体が軽やかになり、風を切って歩くように感じることになるでしょう。以前はちょっと歩くと疲れましたが、今はいくら歩いても平気で、自転車に乗っても誰かに押されているかのように感じ、ビルの階段をいくら高く上のぼっても疲れを感じません。絶対そうなります」[1]のようでした。

 修煉する時間の推移に伴って、認識は絶えず向上し、その後、こんなにすばらしい師父、こんなにすばらしい功法を、自分1人で恩恵を被るわけにはいかず、すべての人が恩恵を被らなければならないと思い、まず親戚や友人、同僚から法輪功を広め始めました。自分自身で大法の素晴らしさの恩恵を受けた実感を人々に伝えたところ、多くの縁のある人が法輪功の修煉を始め、修煉を通じてそれぞれの次元で大法の恩恵を受けました。はっきりと覚えているのは、当時、末期がんの病人が、法輪功の修煉を通じてすぐに健康を取り戻したのですが、家族は安心できず病院でもう一度検査してもらったところ、すべてが正常だったことでした。この一つの実例は、当時、法輪功を紹介することに対して、法輪功が超常的な科学であることをさらに力強く実証することに積極的な役割を果たしました。

 主任は「私たちの製品の品質は、どうして良いのか」と尋ねた。

 仕事、家庭、社会の各環境の中で、「真・善・忍」の基準に基づいた生き方をし、仕事をしました。たとえば日常生活では、何を買うにしてもあれこれと選り好みをせず、人と優劣を争わず、いつも相手の立場に立って問題を考え、人に接しました。職場では、汚い仕事やきつい仕事も積極的に行い、上司がどんな仕事を割り振ろうとつべこべ言ったことはなく、同僚や上司と口論したこともありませんでした。トラブルが起きれば自分を探し、上司がいようがいまいが同様に自分の職責を果たし、以前職場から持って帰った品物を職場に返しました。これは以前ならとても出来なかった事で、私を知る人は、以前は私のことを「口が悪く、人を許すことができない人だ」と言っていましたが、今はみなこう言います。私は法輪功を修煉してから別人のように変わり、体が健康的に若返ったばかりでなく、さらに主要なことは心の内側が変わった事だ、と言います。

 私たちは国有企業の職場におり、従業員は約千人で、作業場が五つあり、私がいる作業場は鋳造場で、従業員は100人以上おり、現在のにせものが横行する時代に、材質を保証することはとても難しく、歩留まり率は思いのままにならないので、同業の企業は頭を抱えていましたが、私たちの作業場の製品の品質はいつも80%から90%を保持していたので、賃金も高く、ボーナスも多かったので、みんな仕事に力を入れ楽しく仕事をしていました。なぜ歩留まり率が高いのか、みんな不思議に思っていましたが、誰も明瞭に答えることはできませんでした。ある日、休憩時間に話をしていた時、突然、作業場の主任が嬉しそうに「おい、誰か知っているか? 私たちの製品品質がなぜ良いのかを?」と聞きました。みんなすぐには説明できませんでした。すると主任が「教えてやろう、xxとxxが法輪功を修煉しているおかげだ」と言いました。主任が何を言い出したのかを理解すると、みんなハハハと大笑いし、私たち2人(私ともう1人の同修)に同意を求めました。私と同修も、主任が何を言ったのかすぐには理解できず、みんなと一緒に笑っていました。後になって、どうして主任があのような話をしたのか考えてみると「慈悲深い師父が主任の口を借りて、私と同修が真に修め着実に修め勇猛果敢に精進できるよう励まし、法輪功が素晴らしいことを衆生に認めさせ、福報を得させたのだ」と感じました。

 その後、工場内で改革が行われ、一部の人は家に帰って自活の道を探さなければなりませんでした。工場長と話をした人は、みんな真っ赤になって抵抗し、誰も工場を離れたくはなく、その後、工場長が私と話をした時、工場長に話す暇を与えずに話しました。工場長に「今日、話そうとしている内容は知っています、私が法輪功を修煉していることをご存知ですが、師父は『真・善・忍』に基づいて良い人間になり、何かあったらまず他人のことを考え、他人を大切にするよう教えられています。私に自活の道を探ってほしくないと思っていることは理解しますが、これはどうしようもないことで、これから工場では、やることが少ないのに人が多いことを改革しなければなりません。ですから、明日から私は工場に出勤しませんが、それは工場のためにも、工場長であるあなたのためにも、負担を軽減したいからです」と言いました。私の話に、工場長は感動して何度も「ありがとう、私のために、工場のために考えてくれて、大変感謝します」と言いました。この私の行動は、工場内に大きな影響を与えました。

 1999年「7.20」、私は北京へ陳情に行き、法輪功の真実の情況を説明しましたが、北京の公安局に不当に連行され拘禁されました。工場のリーダーは何度も公安局へ行って引き渡しを要求しました。そのため、工場長は上からの圧力を受けましたが、どのような環境にいようと自信を持って「法輪功を習っているからといって、それがどうしたというのですか、法輪功を習っている人はとても良く働き、工場の従業員はみな法輪功を習っているので、私の仕事はとてもやりやすくなりました」と言いました。しかしその後、私は3年間の労働教養処分を科されましたが、工場のリーダーは労働教養所に会いに来て、刑期を終えて家に帰ると、工場ではすぐに退職の手続きを行い、労働教養機関にレイオフされていたすべての福利待遇が一つも落とされることなく私に支払われました。ある従業員が冗談で「誰かさんは刑務所に入れられて帰って来てからも、手柄を立てた」と言いました。しかしこのすべては師父の弟子に対するご加護だとはっきりとわかっていました。師父のご恩に対する感謝の気持ちはどれだけ多くの言葉をもってしても足りないので、ただ真に修煉し、着実に修煉し、勇猛果敢に精進して師父に報いさせていただくしかありません。

 「姉さんと絶対に離婚してはいけません、姉さんはいい人ですから!」

 家庭環境の中でも同様に「真・善・忍」の基準に従い身を処して、何かあれば人を思いやり、他人を大切にし、トラブルの前では自分を内に向けて探しました。嫁ぎ先には兄弟3人がおり、私の夫は長男ですが地方に住んで働いており、2人の弟は実家のある町に住んでいました。そして、下の弟は親と一緒に実家に住んでいました。地方で働いて生活しているという理由で、私たちは親孝行ではありませんでしたが、いつも間を置いて実家に帰り、姑をお風呂に入れ、洗髪し、掃除をしました。舅姑は手作りの服を着るのが好きなので、できるだけ舅姑を満足させようと、綿入りの服を手作りし、セーターを手編みして渡しました。弟の嫁と姑は長い間一緒に住んでおり、小さな対立が起きるのは避けられず、私が帰るといつも、姑も弟の嫁も話したがりました。間に入った私は双方の言い分をよく聞き、そそのかすようなことは一切せず、いつも大法の法理に基づき、善解を与えました。

 ある時、歩いている時に姑が倒れ、転倒してひざを複雑骨折し、入院して治療を受けました。医者は「治っても以前と同じには戻らず、力が入らないでしょう」と言いました。そこで夫に「お母さんが退院した後、私たちの家に住まわせましょう、弟と弟の嫁はみな仕事をしていますが、私は退職して時間があり、お母さんのお世話ができます」と言いました。この話を夫が弟と弟の嫁に伝えると、2人とも非常に喜び感激しました。しかし残念なことに、姑は退院を待たずに心臓発作でこの世を去りました。舅は長期にわたって憂慮し、姑を想いながら2年後にこの世を去りました。舅姑がこの世を去った後、家産を分配する問題に直面したので、夫に「家産は私たちはいりません、お父さんお母さんが生きていた時、弟一家は一緒に過ごし、私たちよりもお父さんお母さんのお世話をしていたからです」と言いました。上の弟の経済条件は私たちよりもずっとよく、私たちが家産をいらないと聞くと、上の弟一家も「家産はいらない」と言い出したので、家産は全て下の弟のものになりました。下の弟と下の弟の嫁はとても喜び、とても感激しました。1999年、私が労働教養処分を科されると、弟と弟の嫁は私を気に掛け会いに来て、お金や物を送ってくれ、さらに下の弟は夫に「兄さん、姉さんと絶対に離婚してはいけません、姉さんはいい人です。もう一度念を押しますが、姉さんはただ個人的に信仰しているだけで、法を犯してはいないからです」と言ってくれました。

 警官は法輪功学習者を処罰できない

 1999年7.20、私は北京に陳情しに行き、法輪功の真実の情況を説明しましたが、北京の公安局に不当に連行され、監禁されました。私が古い大法弟子で輔導員であったために、中国共産党は私を重点的に打撃を与える対象とし、特別査問グループまで作りました。2人1組になって監視して私を眠らせず、椅子に手錠で縛って、法輪功の組織と上下の連絡者を言わせようとしました。そこで幹部警官や他の警官に向かって最強に力を込めて「法輪功は組織を持っておらず、ばらばらに管理されており、修煉したければ修煉し、修煉したくなければ離れていきますが、誰もそれを管理しておらず、名簿もなく、みな社会の一員というだけのことです。法輪功は『真・善・忍』に従ってよい人間になるように教えられており、だからこそ病気治療と健康保持に不思議な効き目があるのです」と答えました。3日後、警官たちは人力を増加し、どこからか男女1人づつのごろつきの用心棒を連れて来ました。この時は主に、ごろつき用心棒が予め書いて来た「師父を中傷する文章」を私に読ませ、大法を中傷する宣伝材料を作るために、私の声と姿を録音、録画し、それをテレビ局へ持って行って放送し、それが私自身の反省だと言って、師父を暴き立て、大法を暴き立てる例にしようとしたのです。しかし、私は警官たちに協力することを一切せず「あなたたちが作ろうとしているものは全て偽物です」と言いました。。私が文章を読むことに協力せず、録画させなかったので、警官たちは何度も脅迫し、怒鳴り散らし、殴ったり蹴ったりし、竹の棒で殴ったりしたうえに、私を眠らせませんでした。毎日、朝晩の2回の食事は小さな饅頭だけで、水は1口も飲ませませんでした。しかし、私はいつも元気に中国共産党に立ち向かい、そして、法輪功への迫害を主管する公安局長に「共産党は法輪功学習者を処罰できないのではないですか?」と言いました。7日間が過ぎると、中国共産党はなんら得る所がなく、そそくさと矛を収め、また私を留置場へ送り、拘禁しました。

 言ってみれば、この7日間という時間は長くはありませんでしたが、もし師父のご慈悲と法の威力がなければ、この7日間を乗り切ることは不可能だったでしょう。この7日間に、私は大量に法を暗唱し、さらに師父がいつも私のそばにいらっしゃることを感じていました。

 その後、3年の労働教養処分を科され、労働教養期間中に同所を3回移されました。労働教養所では、同修たちと全体で協力して法を実証し、迫害に反対しました。はっきりと覚えているのは、2000年に労働教養所が開いたいわゆる法輪功学習者を摘発して「転向」させ、教育させる大会を開き、市の人民警察とそのリーダー、および市政府のリーダーが参加し、邪悟者と一部のリーダーが発言した時のことでした。警官たちがこの機会を利用して師父を中傷し、大法を中傷しようとしていることを知っていたので、私と同修は全体で協力し、この大会をボイコットしました。そこで、大会ではみんなが続々と立ち上がり「法輪大法は素晴らしい!」 「法輪大法は正法だ!」と声高らかに叫びました。警官たちは私たちを1人1人外へ引っ張り出し、テープで口をふさぎましたが、今度は後ろの同修が絶え間なく叫んだので、結果、今回の中国共産党の大会は成功せず、解体されました。さらにある時、労働教養所がビデオを強制的に見せようとした時、事前に何を見せるのかを告げませんでした。そして、ビデオを見ると、いわゆる法輪功の罪状を摘発する内容と、邪悟者の経験を例に挙げて教え諭す内容でした。私と同修は見ることを拒絶し、立ち上がって師父の『洪吟』を暗唱し、午後3時から夜8時過ぎまでずっと暗唱していました。警官が黙らせようとしましたが、誰も警官たちの言うことを聞かず、引き続き暗唱しました。最後に警官たちは男性チームから5、6人の男性警官を呼び、スタンガンを持たせ、さらに女性警官や監視人も加わり、大体15、6人が私たちを派手に殴り、ビンタを張り、首を絞め、口をふさぎ、殴ったり蹴ったりし、さらにある警官はスタンガンで感電させました。最後に、私たちに手錠をかけ、ある同修は大きな板に手錠で繋がれ、ある同修は通路に手錠で繋がれました。このように、数日続けてビデオを見せようとしましたが、それでも私たちは拒み続け、見ませんでした。すると最後に、警官たちはテレビを切り、中国共産党が行う学習者に対する「転向」は何も出来ずに、用をなしませんでした。

 「『転向率100%?』私が見る限り、誰も転向していないではないか」

 2001年、ある労働教養所の所長は「第2の馬三家」と呼ばれており、その所長はごろつきで、中央政法委員会の羅幹と直接結託しており、学習者の「転向率」が100%だと豪語していました。しかし、誰も所長の言っていることを信じていない、と私は思っていました。ある日、所長たちの上級機関の指導者が、仕事の視察のために労働教養所を訪れ、視察の主要な目的は、法輪功迫害の実情を視察することでした。所長たちは私たちを並ばせ、やってきた指導者が質問し、誰それが答えるようにと要求してきました。指導者が私に法輪功に対する態度を聞いた時、「法輪大法は素晴らしい!」と答えました。このようにして、その場で労働教養所の「100%の転向率」が嘘であることを暴きました。その後も、数人の同修が「法輪大法は素晴らしい!」と答えていました。すると、その指導者は手を振りながら「行け、何が『100%の転向率』だ、誰1人『転向』していないじゃないか」と言いました。そして指導者は早々に立ち去り、その後、警官は本当に私たち数人の学習者を恐れてしまい、誰も「転向」のことを口にしなくなりました。

 2010年、再び1年間の労働教養処分を科されました。ある日、労働教養所では、学習者をホールに集め、法輪功迫害を主管する隊長が大法を誹謗中傷する中国共産党の資料を読み上げ、周りを他の隊長が取り囲んでいました。手前においてある机の上には手錠とスタンガンが置かれており、邪悪がはびこる様が見て取れましたが、その時、私はどのように師父をお守りし、どのように大法をお守りすればいいのか、と心の中で考えていました。数人の悪人が師父を誹謗中傷し、大法を中傷したので、すぐに「黙りなさい! 私たちの師父と大法を誹謗中傷することは許しません!」と叫びました。すると、後ろにいた数人の隊長がすぐにどっと押し寄せて来て、私の頭を押さえながら口を覆いで、髪の毛をつかんで引っ張りました。しばらくして、隊長たちが力を抜くと、すぐにまた「黙りなさい! 私たちの師父と大法を誹謗中傷することは許しません」とまた叫びました。周りを囲んでいた隊長たちがまたどっと押し寄せて来て、口を覆ぎ、髪の毛をつかんで引っ張りました。その時、隊長たちの邪気を見て「これではきりがない」と思いましたが、不思議なことに悪人たちの誹謗中傷は尻切れトンボに終わってしまいました。その時、私が思ったことは「師父と法を信じ、確固とした正念を持っていれば、中国共産党は私たちに対して何もできない」ということでした。

 「おばあさん、安全に注意して!」

 法をよく学び、自分をしっかり修めることを基礎として、師が法を正すことをお手伝いし、真相を伝え人を救うために、『共産党についての九つの論評』や神韻公演DVD、ネット封鎖突破ソフト、真相資料とパンフレットなどを面と向かって配り、面と向かって真相を伝えて人を救いました。親戚や友人、地元の人に真相を伝える以外に、同修と協力して時々、人里離れた農村へ行って真相を伝えて人を救い、真相資料を配りました。数えてみると、この数年で訪ねた農村は40以上あり、三つの田舎町にも行きました。主に自転車で行き、最も多い時は4人の同修で行き、少ない時は私1人で行きましたが、それは同修の時間によって決めていました。

 農村に行くのは辛いですが疲れを感じたことはなく、戻って来ると、心はいつも安らかになりました。不思議な出来事も時に発生し、師父がいつも弟子のそばにいらっしゃることに気づきました。ある時、同修と農村へ神韻公演DVDを配りに行くと、大きな市が開かれており人がたくさんいて、物売りの叫ぶような呼び声が乱れ飛んでいてとても騒がしく、どうしようかと思いましたが、思わず「おーい、同郷の皆さん、神韻公演DVDを見たい人はここへ取りに来てください」と声を上げていました。私が言い終わるか終らないうちに、すぐに私と同修は取り囲まれ、神韻公演DVDを欲しがる手が伸びて、1枚、2枚、3枚と渡しましたが、ちょうどその時、突然不思議なことに人ごみの中から1人の人が出て来て「騒がないで並んでください、1人1枚です」と大声を上げました。私も続いて「そうです、1人1枚です」と言いました。すると、人々は自ら並び始めました。またある時、同修と農村へ真相資料を配って人を救いに行った時、袋小路に入るとその一番奥から犬の鳴き声が聞こえましたが気にせずに、人を救おうと考えながら犬が吠えていた家の所まで来ると、犬が庭から飛び出してきました。怖いとは思いませんでしたが、不思議にも、その犬が手に持っていた真相資料を口にくわえて走って行きました。振り返って見ると、後から一緒に出てきた女性の飼い主に真相資料を渡しており、後になって思い返すと犬のことが少し怖くなりました。

 ここ数年、困難で紆余曲折の日々が多い中、師が法を正すことをお手伝いする中で、どれだけの道を歩いて、何人の人を救ったのかわかりませんが、私たちは人々と親友のような関係になり、会う度いつも愛想よく挨拶し、ある人は「お疲れ様です」と言い、ある人は「安全に注意してください」と言い、ある人は「家で水を飲んで少し休んでください」と言い、ある人は「毎日『法輪大法は素晴らしい』と唱えたら、腰が痛くなくなり、足も痛くなくなりました」と言いました。

 さらにある出来事があり、これは数年前のことですが、この出来事を思い出す度にいつも感慨深くなります。2008年のある日、『共産党についての九つの論評』を配りに行くと、数人の若者が歩いてくるのが見えたので、前に向かって行きながら「みなさん、足を止めてください『共産党についての九つの論評』を読んだことがありますか?」と聞きました。このように尋ねると、数人の若者が言い合わせたかのように周りの様子を見た後、親指を立てて「おばあさん、あなたは本当に偉大です、大勢の前で『共産党についての九つの論評』を配るなんて」と言いました。1人の若者が気に掛けながら「おばあさん、安全に注意してください」と言いました。若者たちはみな『共産党についての九つの論評』を読んだことがあるようでした。別れる前、この若者たちは何度も「おばあさん、必ず安全に注意してください!」と言いました。歩きながら振り返ると、まだ私に向かって挨拶しており、すでに遠くまで歩いてしまってからも、1人の若者が私に向かって手を振りながら大声で「おばあさん、安全に注意してください」と叫んでいました。若者たちが離れていく後姿を見つめながら、長い間離れがたく思い、この出来事を思い出す度に感動してしまいます。衆生のすべての思いやり、すべての祝福、すべての気遣いは、師父が法の中で説かれた「真念で満天が晴れ渡る」[2]をすでに実証していました。

 衆生が真相を知り福報を得た

 私の一番上の姉が料理中に不注意で手にやけどを負ってしまい、姉の夫が市内のやけど専門の病院に連れて行き、治そうとしました。医者は「入院して治療しなければならず、皮膚移植手術が必要で、預り金が1万元かかります」と言いました。姉の夫は、私に姉の付き添いを頼むために電話してきたので、その後、姉に「こんなにも長い間、多くの真相を見て来て、法輪大法は素晴らしいと念じて苦難が幸運に変わった例もたくさんあるのですから、お姉さん、法輪大法を信じていれば病院に行ってはなりませんが、もし信じなかったり、心の中が揺れているのなら病院に行けばいいです、自分で選択してください」と言いました。姉はちょっと考えてから「病院に行くのはやめました、法輪大法は素晴らしいと信じます」と言いました。次の日、姉と病院に行き、姉の手のただれた皮膚とただれた肉を処理してもらい、家に帰りました。医者は「手のやけどがひどいので、うまくやらないと手を切断しなければならなくなります」と言いました。しかし、姉の心は動きませんでした。夜の9時過ぎ、妹の友達で、やけどを専門に治療している医者が姉を診に来て、手にまかれている包帯を外して見てみると、すごいことに、無事にピンク色の新しい肉ができており、たったの24時間で何とすごいことでしょうか! 何とすごいことでしょう! なんて不可思議なのでしょう! このようにして姉の手は治り、これは姉が法輪大法を信じ、法輪大法を支持し、絶えず「法輪大法は素晴らしい」と念じて得た福報だったのです。

 さらにある友人は弁護士で、真相を知ってから機会がある度に「法輪功は法律に抵触しておらず、信仰は自由であり、共産党が法輪功を迫害しているのだ」と伝え、その友人は私に会うといつも「ここ数年、何をやっても順調で、今は家を買い、車も買いましたが、これはみな大法のおかげです」と言っていました。さらにある友人の子供は私に会った時に「大学入試の前日、母と一緒に、法輪大法は素晴らしい、を千回念じたら、次の日、大学入試の当日、元気が満ちて頭脳明晰になり、最高の能力を発揮し、国家指定の有名な大学に受かったので、法輪大法に本当に感謝しています」と言いました。

 大法を信じて福報を得た例はとても多いので、ここではその中のいくつかの例を挙げました。福報を得た人たちは、自分が真相をわかった後、自分が「三退」したことを他の人に伝え、さらに「三退」を勧め、自分の家の毛沢東の像を全部きれいに片づけ、そして福報を得てから、特に姉の場合は、時には早朝の3時過ぎとか4時過ぎに起きて真相資料を配って人を救っていました。

 私の修煉を振り返ると、慈悲深い師父のご加護の下、絶え間なくしっかりと歩んできましたが、法を正す時期の大法弟子としては、師父の教えからは、まだはるかにほど遠く、精進している同修と比べてかなりの差がありますが、私は自分が必ず、すぐに追いつくことができるだろうと信じて、これからもしっかりと歩んでまいります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:「感慨」

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/28/264520.html)
 
関連文章