明慧法会|師父は偉大であり、法は偉大である(二)
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文/中国の大法弟子が口述し、同修が整理する

 【明慧日本2016年12月28日】(前文に続く)

 自ら運転して衆生を救う

 半月後、私は運転して衆生を救い始めました。周囲から「あなたの肝っ玉は、本当に大きいね」と言われました。私には恐れがなく、くよくよ考えても意味がなく、こうすべきだと思っていました。初日、家を出てまもなく、17~18歳の2人の女の子を乗せ、運賃は5元に設定しました。しかし、車をスタートさせてからあまりうまく走れず、途中で動かなくなりました。女の子は「おばさん、私たちはやはり別の車を拾います」と言って、運賃の5元を私に渡しました。私は「目的地にまだ着いていないので、このお金を貰うわけにはいかないよ。法輪大法を修煉しているので、他人のために考えなければね」と言うと、彼女たちはとても感動してくれました。三退を聞いたことがあるか尋ねると、いいえと答えました。私は彼女たちに天安門焼身自殺事件のニュースがでたらめであることを説明し、三退させ、彼女たちは喜んで去りました。立ち去った後、この運転を学んで本当に良かったし、これが私の衆生を救う道であると思いました。お金は稼いでいないものの、衆生を救う道を見つけると、車はまた動き出しました。

 翌日、私は再び車で出かけました。今回はとても遠くまで走り、1人の青年を拾いました。彼に真相を伝えると、大変よい反応が返ってきました。下車する時、彼はもう1人の乗客を探してくれ、私はその乗客を乗せて引き返しました。もちろん、2番目の乗客にも真相を伝え、そこからさらに自信を得ました。こうして、私は乗客を乗せながら大法の真相を伝え、衆生を救う道を歩み始め、その過程において、同修の皆さんと分かち合える多くの体験がありました。

 ある日、私は40歳余りでとても風格のある紳士を拾いました。彼が乗車した後、私は「あなたは法輪大法を聞いたことがありますか?」と聞くと、彼は「聞いたことがあります」と答えました。私は「なら、三退しましたか?」と聞くと、彼は「まだです」と答えました。私は大法修煉が真・善・忍を修めていること、三退の意義および中国共産党が起こした迫害について説明しました。彼は静かに聞いてから、自分が共産党員だと言いました。目的地に着いた後、彼は下車して、車のドアのそばに来て「私は三退します!」とはっきりと言いました。運賃は話し合いで5元に決めていたのですが、彼はいきなり20元を渡してくれました。私は「真・善・忍を修めているので、余分なお金を貰うことは出来ません」と断ると、感謝の意を表そうとする彼は、そこに立ってどうしても渡したい一心のようでした。仕方なく、私は彼に「では、もう真相が分かったのでこのお金を貰い、もっと役立つ所に使いましょう!」と言うと、彼は感謝して立ち去りました。

 ある日、1人の30歳くらいの女性が乗車する前から値切ってきました。私は彼女を救うため、少ない運賃で同意しました。彼女が乗車した後「三退を聞いたことがありますか?」と聞くと、彼女は「いいえ、どういうことですか?」と聞きました。「三退はすなわち、中国共産党の党、団、隊の組織から脱退することです。今は腐敗が全国に蔓延っていて、この党はもう駄目です。社会がここまで堕ちてきたのは、悪事を働き尽した党に原因があり、天がこの党を消滅させようとしています。党の組織に加入し、その一員であれば一緒に滅されてしまうので、脱退しましょう。災難がある時『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と念じれば、本当に神に助けられますよ!」と伝えました。彼女は私の話に賛同し、とても感謝しました。下車のさい、彼女は値切っていた金額で支払いをせず、通常の料金より15元も多く払おうとしました。彼女のように、真相を知った後に多くの運賃を支払おうとする人は多くいました。昨日も、ある若者が真相を聞いた後に、10元を支払ってくれ、多く頂いたお金を真相資料を作成する場所に持って行きました。このような例は沢山あります。

 ある若者は、目的地まで10元の運賃がかかりますが、そこから、さらに大型バスに乗換えらなければならず、バスの運賃は50元ですが、彼には50元しかないそうです。用事で急いでいる彼を見て、私は「無料で送ってあげましょう。他人を助けることは良いことですので手伝います」と言うと、このような人に遭ったことがないので、どう感謝すべきか分からないと言いました。私は彼に「真・善・忍を修めています。常に他人のために考えるようにと師父から教わっています」と教えますと、彼は感謝の意を示し、真相も聞き入れました。

 ある日、3人の出稼ぎ農民が私の車に乗り、彼らに真相を伝えた後、2人はすぐに三退しましたが、残りの1人は黙っていて三退しませんでした。彼らが下車した後、後部座席に財布が残されていることに気づきました。開けて見ると、中にはかなりの現金が入っていました。しかし、彼らはもうずいぶん遠くまで行ってしまったので、どうしようと悩みました。私はすぐに心の中で師父にお願いし「彼らはきっと焦っているので、お金を探しに戻らせて下さい」と言いました。それからもとの場所で彼らをしばらく待っていると、本当に帰って来ました。遠くから彼らがこちらに向かって走っているのを見て、私は「焦らないで、財布を探しに戻ったのでしょう。ここで、半日も待っていましたよ」と言いました。彼らはそれをどうしても信じられず、謝礼金を渡そうとしましたが、もちろんもらうわけにはいきません。そのとき、三退しなかった若者は自ら三退を求めました。

 真相を伝える過程でさまざまな人に出会い、話を聞き入れず反対する人もいました。ある日、60~70歳代の1人のお年寄りに出会いました。私が口を開いた途端、彼は「もういいよ。法輪功でしょう?」と言いました。私は「おじさん、あなたは法輪功のことを良く思っていないようですね。どこか引っ掛かる所があれば私に説明させて下さい」と言うと、私が話を終えるのを待てず、途中から割り込んで佛を貶(おとし)める話をし出しました。私がいくら言っても、彼は聞こうとしませんでした。最初のころ、このような人に出会うと、私は心に寂しさを感じました。

 別の日に、ある人に真相を伝えた際、彼はずっと嫌な目線で私を睨み話そうとせず、とにかく複雑な表情で私を見ていました。下車した後もずっと私を注視していました。その後、再びこのような人に出会うさい、私は口を開きませんでした。

 長い間、私は自分がおかしいと感じ、学法して内に向けて探し「なぜ言いたくないのか。彼が不機嫌になったから言わないのか。彼に喜ばれることを選んで言うのか。それが人心ではないのか。そうしてもいいのか。その考えを排斥し、引き続き真相を伝えるべきではないのか」と、自問自答しました。

 ある日、乗客が車に乗るや否や、真相を伝えました。彼は「法輪功修煉者ですか?」と聞き、私は「そうです」と答えました。彼は「国は学ぶことを禁じているのではありませんか?」と言うので、私はこう答えました。「よく考えてみて下さい。国はどんなことを許可していますか? 売春や汚職腐敗をほったらかして、百姓が商売を営めば、彼らは奪い取ります。法輪功は真・善・忍を修め、百利ありて一害無しです。多くの人は修煉して恩恵を受けていますが、それを禁じることは正しいことでしょうか?」 彼は「国が禁じることなら、してはいけないでしょう」と言いました。私は「それは違います。禁じられていることが良いか、悪いかを見て、良いことをしてはいけないなら、何をすればいいですか? 悪いことをするのですか?悪報に報われるから、悪いことは絶対にしてはいけませんよ!」と言いました。彼は黙り込んで、下車するまで三退しませんでした。最後に、私は彼にこう言いました。「あなたはまだ分かっていないようですね。帰ってからじっくりと考えてみて下さい。なぜこれだけ多くの人が法輪功を修煉していて、なぜ中国共産党にこれだけ迫害されても、未だ多くの人が修煉を続けているのかをお考え下さい。今度また誰かに三退を勧められたら、必ず三退して下さいね!」

 徐々に、私は平常心で衆生の態度に対応できるようになりました。ある日、某宗教を信じる女性客を拾いました。彼女が乗車してから、私は真相を伝え始めました。道中、彼女はずっと聞きにくい話を言っていました。私はゆっくりと、穏やかな口調で彼女に説明しました。彼女が下車する時「姉妹よ。知らない事について勝手に言わないでください。あなた自身に何の得もありません。知りたければ、法輪功の本を読んでみて、中国共産党が言っている話と同じかどうか、判断してみて下さい。これは、本当にあなたのために言っていますよ!」 私は心が動じず、恐れや怨みもなく、ただただ彼女のことが救われることを願いました。

 内に向けて探す

 最初のころ、私は内に向けてどう探すべきかよく分かりませんでした。ある日、他人の車にぶつけられて「大丈夫です。行って下さい。あなたはわざとしたわけではありませんから」と言い、別の日に、他人の車にぶつけてしまい、相手からお金を要求され、そのまま支払いました。その後、他人の車にぶつけられましたが、逆に相手からお金を求められ、それでも私は支払いました。「他人のために考えましょう」と考え、自分の車に「善縁」と名付けました。私は「善縁」にこう言いました。「善縁よ、不当な待遇を受けてもつらくならないでね。私達は衆生を救わなければならないから。他人に貸しがあっても、求めない。他人から借りたなら必ず返す。衆生がもうじき淘汰されるのを見て、お前は焦らないの? 私たちは不必要なことは考えません」

 ある日、家の門を出るや否や、ある人に罵られて、私はその訳を深く考えませんでした。しばらく車を走らせると、また誰かが罵りました。今回、私は少しおかしいと感じ、なぜでしょうか? 内に向けて探すと、私の焦燥心がずっと強かったことに気づき、それを取り除こうと考えたのですが、まだ全てを取り除いていません。今回をきっかけにきちんと取り除こうと決心したら、そのようなことが少なくなりました。

 私は能動的(進んで物事をしようとするさま)に内に向けて探し、常に内に向けて探すようにしています。道端で喧嘩(けんか)を見かけると、私は自分に闘争心がないかを考えました。特に真相を伝える時、自分の心理状態、言い方が穏やかかどうか、心が動じていないかどうかを考えました。広場で若い男女がとても親密な挙動をしているのを見て、自分がいまだに人間生活に未練と憧れを持っていることに気づきました。内に向けて探す習慣が身についてから、遭遇するトラブルが少なくなったことに気づきました。すべては師父による教化です!

 師父は偉大であり、法は偉大である

 修煉の道のりは平坦なものではなく、運転して真相を伝える過程で多くの苦難と危険に遭遇しました。師父の保護の下で、やっと今日まで辿りつきました。動きが不便な私は、遠出をしたことがなく道を知りませんが、運転するのであれば、お客さんが行きたい場所まで運ばなければなりません。道路状況がよく分からず、行動の不便さなどの原因で、私は多くの思いがけない事に出会いました。

 ある日、私が自信満々で運転していたとき、車輪が道路上の溝に嵌(はま)ってしまい、どうしても動きが取れません。そのとき、ある男性が後ろから車を押し出してくれ、感謝しようとした時、彼は私に真相を伝え始めました。私が同修との出会いに喜んでいると、同修は突然話題を変え「あなたのような体でどうして運転できますか? ダメでしょう。早く他の仕事を探しなさい。私は車の修理の専門ですから、運転の事を良く知っています。本当に危ないですよ」と言われ、急に水を差さた話を聞いてすごく嫌な思いをしました。私は高い法理が分かりませんが、彼の話を聞き入れるべきではないと思いました。私は大法弟子で、これが私の衆生を救う道です! 私は引き続き運転し、この道をまっすぐ歩んでいきます!

 ある日、運転の最中に土砂降りの雨が降ってきて、一時期、車窓の外は何も見えなくなりました。私はとても狭い道を走り、路上に多くの車や通行人がいました。人々は雨を避けようとあちこちを駆け回り、他の車も渋滞に巻き込まれまいと、矢のように私の車のそばをビュンビュン飛ばしていき、私の車はいつひっくり返されてもおかしくありませんでした。道がとても狭いので停車するわけにはいかず、前に進めば道路が見えず、新米の私は焦り出しました。本当にぶつけられて、ひっくり返されたら大変なことになります。

 その時、脳裏に師父の説法が浮かんできました。「万里馳駆して妖陣を破る 黒手を斬り尽くして悪神を除く 大霧にせよ狂風舞うにせよ 一路の山雨征塵を洗う」[2] 私は安堵(あんど)し、師父はまさに私の身辺におられ、この段落の法を暗唱しながら前進し、その道から抜け出ました。本当に師父への感謝の気持ちを言葉で言い表せませんでした。その後、困難に出会う度にこの法が思い浮かび、多くの関を乗り越えてきました。それから、学法の重要性を再認識しました。

 ある日、私は工事中の道路を通りかかり、道の両側に沢山の砂利(じゃり)が積まれ、真ん中のでこぼこし泥濘(ぬかる)んでいる道しか進めません。その道を抜けると傾斜が激しい坂道で、普段の運転で道が悪ければ運転する勇気が湧かない私は、前の急な斜面をうまく乗り切れず、途中で転んでしまうと大変なことになります。そもそも坂道には慣れていないばかりか、日が暮れかかり引き返そうにもできない中、前進するしかありませんでした。

 どうしましょう? その時、師父のあの段落の説法が再び脳裏に現れました。「万里馳駆して妖陣を破る、 黒手を斬り尽くして悪神を除く 大霧にせよ狂風舞うにせよ 一路の山雨征塵を洗う」[2] どこまでも私は突き進みます! 他は何も考えず、師父の説法を暗唱しながら、アクセルを踏み込んで前進しました。しばらく前進した後、斜面を振り返り、冷や汗をかきかき、やっと乗り切りました。私は興奮の中「大法弟子は師父のご加護がなければ、衆生を救うどころか、自分自身の命でさえ保てるかどうかも問題です。師父は本当に偉大です!」と思いました。

 危ないながらも無事に乗り越えられたこのような経験は数多くありました。ある日、どういう訳か、知らず知らずのうちに車が縁石の上に乗っかったまま走っていました。「ごっとん」という音と同時に、車はひっくり返されるかと思いきや、すぐにまっすぐに持ち直しました。車の後ろを見て見ると、車輪は非常に高い縁石から降りて来たのです。師父は再び私を保護してくださいました。

 別の日に、運転中の私はどうしても車が水平ではなく、少し斜めになっているように感じました。動けない私は車から降りて見ることも出来ず、そのまま家に向かいました。帰宅してから見て見ると、タイヤの一つがパンクしていたのですが、それでも私は無事家に着きました。

 ときどき、車は道路上の溝に嵌ってしまい、いつも押し出してくれる人が現れ、師父が人を手配されていると思いました。師父は本当に身に余る多くの恩恵を下さり、言葉で感謝の意を表現しきれません。私に出来ることは、もっと多くの衆生を救うことしかないと考えています。

 風雨などを気にせず、どんな悪天候でも私はできる限り出かけて、真相を伝えてきました。一度、大雪の後に路面に雪が厚く積もり、それでも私は出かけようとしました。心配する夫は「こんなに大雪だから、やめたらどう?」と言いましたが「衆生を救いに行くよ。これほど大事なことは他にないもの」と答えました。一日を終えて帰宅した私は「今日出かけた事は無駄ではなかった。また何人もの衆生を救うことが出来た!」と嬉しく思いました。

 私は54歳のとき運転を習って、あれから5年間運転し続けてきました。その間、何回真相を伝え、どれだけの衆生を救ったか覚えていません。師父によるご加護が何回あったか覚えていないのですが「師父は偉大であり、法は偉大であり、私に出来ることは、もっと多くの衆生を救うことだけです!」といつも思っています。 

 楽しく、忙しく衆生を救う

 五体満足でない私のような人でも、大法を修煉することが出来、師父に保護され、衆生を救うことが出来るなんて、こう考える度に喜びを感じました! ある日、同修の母親が私の行動の不便さを目にし「大変お辛いでしょうね。見ているだけで可哀想に思います」と悲しい表情で言うので「いいえ、全然苦だとは思いません! 世界中の70億人の内、1億人の大法弟子しかいませんが、私はその内の1人で、どんなに幸せな人でしょうか! 人々はどう生きるべきかを知らないのです。どう生きるべきかを知っていれば苦になりません」と嬉しさ一杯に答えました。その後、私は自分の身に現れた大法の超常を言うと、彼女は感慨深く「あなたは本当に幸せ者ね」と言いました。

 多くの人は私を見て「このおばあさんはいつも笑っています」と言っています。一度、50歳過ぎの女性を拾いましたら、商売で多くのお金を稼いでいるのに、心配そうな顔をずっとしていました。楽しそうに真相を伝える私を見て、彼女は自分の心配事を打ち明けました。息子が麻薬を吸っているそうです。私は自らの経験を教え、大法を修煉すれば何事でも良い方に変わると伝えました。私には何もなく体も五体満足ではないが、常に喜びを感じているのは、大法を修煉しているからです。あなたも大法を修煉すればきっと息子さんも変わりますよと勧めると、私の話に大変感動し、賛同してくれました。

 私に感心する人も多くいました。あるお年寄りは私をゆび指しながら「あなた?」と言って、今度は車をゆび指さしながら「この車を運転しているのですか?」と聞くので「そうです」と答えると、もう一度念を押されたので「そうですよ」と答えました。彼は目や口を大きく開けて親指を立てて、しばらくの間じっとしていました。その時、私はいつも自らの経験を持って真相を伝え、衆生が驚嘆し、敬服する中で救われていくことを知っています。

 私は学校に通ったことがなく、28歳になるまで家を出たことがなく、外の世界を全く知りませんでした。結婚してからは、家と焼き芋売り場の往復だけでした。衆生を救いに行こうと考えた時、他人から「あなたは道を探せますか?」とよく聞かれます。今日、ここで皆さんに伝えます。「私は私の生きる道を見つけました! 師父から天に通じる道を、世界のどこにでも行ける道を、衆生を救うことの出来る素晴らしい道を見つけました!」 私は脆弱な体の持ち主から、一粒の薬も飲まず、元気に生きる人に生まれ変わりました。この感謝の気持ちは人類の言葉では表現できません。人間がやり遂げることのできることですか? 私は法によって生まれ変わり、師父から新たな命を頂き、その上、師父から天に通じる道を、衆生を救うこの素晴らしい道を、私の生きる道を見つけました!

 私は2002年に修煉を始めて、1999年以前の大法が広く伝えられた盛況時期には間に合わず、当時の法を得た同修達を非常に羨ましがっています。彼らはきっと非常に精進していることでしょう。師父は説法の中で何度も勇猛邁進し、時間を惜しんで衆生を救うようにと仰っています! 私も時間を大切にし、常に内にむけて探し、自分をよく修め、三つのことをしっかりと行うことに気を使っています。衆生を救うことにおいて、私はできるだけ困難を克服して外に出るようにし、人心を抑え、真相を伝えて衆生を救います。私生活の面では最大限に行動を減らし、服を脱がずに睡眠をとり、トイレに行く回数を減らすために食事や水の量を減らし、お腹がすき、喉が渇けば我慢するようにしています。今は少食になり、水をあまり飲まなくてもお腹がすかず、喉も乾かないようになりました。すべては師父のご加持です!

 修煉を始めて間もなく14年になりますが、私は学法を1日も怠らず、煉功も1日も休みませんでした。どんなに難しくても堅持してきました。毎日、1講の『轉法輪』を読んだ上で、法はすでに無数回、暗記してきました。第1講から第6講は暗記しながら学法できますし、ほとんど間違えません。心配事に出遭うと、私は問題を逆に考えます。「この関は必ず乗り越えなければならない。必ず乗り越えられる。人心を探し出して放下すればきっとできる!」 同時に師父のご加持を願いました。師父のお話し「修煉は初志貫徹すれば、必ず成就する」[3]を常に心に留め、師父に何事も、どこまでも従って行き、どんなことであろうと、決して諦めません!

 心の中で師父に伝えたい言葉は多くありますが、学歴のない私はうまく表現できません。両手を合わせて合掌し「師父、感謝致します!」と心から言わせて下さい。

 同修たちには本当に自分の事を顧みず、私を大いに助けて下さいました。生活と修煉の両面において、私は大法弟子たちが一つの大家族だと実感しています。皆さんに「ご苦労さまです、感謝しています!」と伝えたいのです。

 合掌 

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『米国法会での説法』「ニューヨーク座談会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』〈征〉
 [3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/1/337102.html)
 
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