大法を修煉し、この上なく幸せで幸運な人に
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月31日】私は今年67歳で、両親が早く他界したため、小学校にも行けず、字も読めず、また多くの病気を患っていました。しかし、現在私は、書籍を読むことが出来、頭もはっきりとしており、技術を学ぶことも容易くでき、元気でいくら歩いても疲れず若者のようです。このすべては、法輪大法を修煉して得たものです。

 私は大法に対する感謝の気持ちを、どう表せばよいか知らず、同修に代筆してもらい、特に印象深かったいくつかの出来事をこの場を借りて述べ、師父に感謝の気持ちを表したと思います。

 一陣の熱い流れ

 私は1999年4月5日に、正式に大法を学び始めましたが、その前に、妻と娘が先に学んでいました。早朝、彼女らが煉功に出かけると朝食を作り、彼女らが帰って来ると一緒に食事を取ります。夜、彼女らが煉功点に行くと帰りが遅いため心配で、毎日迎えに行っています。

 妻と一緒に帰っていた修煉者は妻に「あなたの旦那さんは本当に素晴らしいですね! お陰で私達も助かります。旦那さんはなぜ大法を学ばないのですか?」と尋ねました。妻はお酒を飲むのが好きだからと答えました。その修煉者は妻に、師父の煉功の写真を家の壁に貼るように提案しました。それから私は家事が終わって家に人がいなくなると、貼られた写真の図解にしたがって煉功動作を学びはじめました。一日目は30分だけ座禅することができ、一陣の熱い流れが身体中で回り、非常に心地よく感じました。妻と娘が帰って来ると煉功をやめていました。一度、彼女らがドアを開けたことに気づかず、煉功を続けているのを娘に見られ「うちのお父さんが煉功している!」と叫ばれ足を下ろしましたが、その時私は入静していました。

 酒をきっぱりとやめる

 私は酒を飲むのが好きで、酒の棚には酒器、飾り提灯もあって、何もかも一式綺麗に揃っていました。妻は帰宅すると酒の棚の前で、じっとそれを見ていました。私は妻に「どこか気になるのか?」と聞くと、一度目、妻は何も言わなかったのですが、再び聞くと「この酒の棚が気に入りました」と答えました。私が「何に使うのか?」と聞くと「師父の写真をここに飾りたい」と答えました。私は「今、師父の写真はどこにある?」と聞くと、妻は箱の中に入れて鍵をかけていると答え、持ってきて見せてくれました。私はひと目見て、師父はハンサムな方だと思いながら、写真を懐に抱き、酒の棚の中の板を取りはずし、酒器、飾り提灯を捨てました。その時、妻は私が怒って、惜しんでいると思ったそうですが「これからもう酒を飲まないから、この酒器や飾り提灯を残してどうするのか。ここに師父の写真を入れたらいい、素晴らしいよ!」と言い、十数年間飲んでいた酒をきっぱりとやめました。

 師父の写真が置く場所が出来ると、妻は毎朝、手を洗い、一番先に師父の写真の前で目を閉じ合掌しました。何を言っているのかは知りませんが、私も知らず知らずのうち、ただ尊敬の心で妻と同じく手を洗ってから、目を閉じ合掌しました。その後、私は毎朝妻より先に手を洗い、合掌するようになりました。それからと言うもの私はどこに行っても、身体のいたるところで法輪が回っていると感じました。学法してから後で知りましたが、それは師父が法輪で私の身体を調整してくださっていました。

 字が読めるようになる

 はじめて煉功の場所に行った時は、ヤンガー舞を踊り終え、踊りの衣装で色とりどりの肩掛けをかけて、扇を手に持ったままの姿でした。そこに行き「煉功したいのですが」と言うと、1人の学習者が立ち上がり、親切にどんなふうに足を組むか教えてくれました。うちの家族もそこで静功をしていましたが、彼女らは頭を上げることも、目を開けることもしませんでした。私は教えられるまま第五式の功法をすると、彼らは「どうしてあなたはこんなに速く学べますか」と問いましたが、自宅で学んだことがあると言わずに、黙っていました。

 翌日は雨が降り、妻と娘、私の姉の3人は一緒に『轉法輪』を読んでいました。字が読めない私はそばで聞くだけでしたが、聞けば聞くほど聞きたくなり、本の中で語られた内容が大変素晴らしいと感じました。しかし、眠くなり学法を邪魔しないように、ベッドに行き寝ました。寝て意識がはっきりしないまま、誰かが私の頭を小突きましたので「頭を小突くのは誰だ?」と言い、また寝てしまいました。また私を小突きましたので、妻にどういうことかと聞きましたが、何も答えてくれませんでした。

 3、4日後、また雨が降り、彼女らは家で学法しました。私はまた聞きながら、眠くなり横になりました。またもや意識が朦朧とする中、今度は、誰かが私のまぶたを引っ張り、とても痛かったのですが、私が起きないとまた引っ張ったまま、離してくれません。私は妻に「師父が私に学法を聞くように、言われているのではないだろうか?」と聞くと、妻はそうだと答えてくれました。私は嬉しくてたまらず「ああ、ほんとうにうれしい! 私の事まで師父は気づかってくださっている!」と思い、すぐに起き上がりきちんと座って、彼女らが『轉法輪』を読むのを聞きました。

 翌日私はまたヤンガー舞を踊りに行き、先頭に立った私は扇を持っていても、その手を持ち上げることが出来ず、力が抜けていました。私が扇を持ち上げないと後ろの人は私の動作に従って、動作を変えることができません。私は仕方なく、責任者にこれからもう踊りに来ないと伝えました。彼はなぜかと聞きましたが、今は言えないと答えました。

 私はヤンガー舞に行かなくなると、これらの時間を皆と一緒に『轉法輪』を読むことにしました。少しずつ、本の中の文字がわかるようになり、読むこともできるようになり、現在では、すべての大法の書籍が読めるようになりました。

 大法は智慧を開いて下さった

 大法に対する迫害が始まってから、私は同修らと一緒に法を正す修煉に入りました。皆、衆生を救い済度するいろんなプロジェクトに参加しました。修理の技術を学ぶ時、8、9人の同修が一緒に学びました。私は買い物をして、食事を作り、食器を洗い、彼らは食後すぐに学びはじめ、私はいつも、すべて食後のあと片付けをしてから学びました。私は師父が智慧を開いてくださり、遅れることはないだろうと思っていました。その結果、師父は本当に智慧を開いてくださいましたので、速く皆に追いつき、速く覚えました。最後には、皆と同じ時間内にこの技術を学べることができました。知識のない私ですので、もし師父の助けがなければ、これほど容易く学べるはずがありません。

 この数年間、私を必要とするところなら、どこにでも出かけて行きました。時には他の省からの要請にも出かけて行きました。彼らは運賃をくれましたが、きっぱりと断りました。なぜかと言うと、私たちは師父から学ぶべきで、師父は説法が終わってから、弟子が師父の乗られたタクシー代を支払おうとするとすべて拒み、自ら支払われたからです。

 師父が私たちに与えてくださったものは、数え切れないほど多いいのです。私達の身体を浄化され、金銭で量れないものを、最も良いものを与えてくださりながらも、師父は私たちに何も要求されません。

 迫害の真相を知った囚人が減刑される

 2013年の冬、私はある留置場へ強制連行されました。鉄椅子に33時間も縛られ、食べ物も飲み物もなく、普通の人なら耐えられないはずです。当時、警官は羽毛ジャケットを着ていながら寒い寒いと言っていましたが、私は熱くてたまりませんでした。私はそこに座って、内に向けて探しました。今回のトラブルは私が法の要求に準ぜず、人に学んだからだと気づき、間違っていた私は師父に面倒をおかけし申し訳ありませんでしたと謝り、師父に私を救って帰宅させてもらえるようにお願いしました。その時、師父の法身がそばで見ていらっしゃるのを目にしました。すると、しばらくして鉄椅子の鉄の輪が開きました。

 留置場で、私は普段どおり煉功しました。囚人の1人が私に「ここには監視カメラがあり、そんなふうに動作してはいけません」と教えてくれましたが、私は怖がることなく引き続き煉りました。囚人の中には、殺人犯が4人もおり、その中の1人はある油田関係の人で、足に15キロの鉄の足かせを嵌(は)められており、彼は非常に悲観的になり、夜私の隣で寝ていました。私は彼に法輪大法は高いレベルの佛家修煉大法であり、真・善・忍に従って、良い人になるように教え、天安門焼身自殺事件はでっち上げられたもので全てが嘘偽りであると真相を伝えました。また彼に中国共産党、青年団、少年隊から脱退すると、すなわち三退して共産党のために一生奮闘すると誓った誓約を無効にすると、天が邪悪を懲らしめる時、あなたは巻き添えにならなくて済むと真相を告げました。そして、「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい」と真心から毎日常に念じれば、死刑にならずにすみ、死刑と無縁になると教えました。彼は「本当ですか」と聞き返し「本当だ」と答えました。半月も経たない内に、彼の足かせは2キロのものに軽減されました。不可思議に感じた他の囚人が「どうやってこれほど速く、足かせを軽減されたのか」と問われましたが、彼は真実を伝える勇気がありませんでした。

 一度、麻薬犯が1人収監され、彼は冷たい水を使えず冷たい水に触れると頭痛がし、骨まで痛くなると言いました。私は「麻薬を吸うと人は鬼に変わり、大法を学べば鬼を人に変える」と言うと、囚人は皆信じずに、ハッハッハと笑いました。笑わないでください。私が言っていることは全部真実ですと言うと、彼らは皆冷静になりました。大法の素晴らしさを伝え、あの殺人犯の足かせが15キロから2キロのものに軽減された事実を言うと、その減刑された囚人も誠実に「そうです。毎日念じ、常に念じれば、死刑はあなたと無縁になると教えてもらい、そのとおりに念じたら本当に減刑されました。大法は本当に私を守ってくれました」と皆に話しました。これで彼らはやっと軽減されたわけが分かり、私の話を信じるようになり、心底から大法に対する敬服の念が現れました。私は大法から学んだ人としての道理を彼らに伝え、善悪には報いがあること、トラブルにぶつかると、まず自分でなく他の人のために考え、一歩後ろに下り人のために考えれば新たな道が開け、天地が広々となると伝えると彼らはなるほどと納得し、皆喜んで真相を聞き入れました。

 4月25日、空はすっきりと青く澄み渡り、太陽は真っ赤に輝いていました。囚人たちに、今日私は解放され家に帰りますと言うと、彼らは信じず、解放されないと言いました。夜7時に、当番の警官が私を解放し帰宅させると言うと、監房の人たちは皆泣きながら近寄って来て、抱き合って喜びました。「おじさん、我々に対して本当に優しく、家から送金があると食品を買って与えてくれ、どうしてそんなにやさしいのですか? 他の誰もそれらの道理を教えてくれません。本当に我々のためにたくさんのことを教えてくれました。俺はここから出たら、法輪大法の修煉者を探し出し、自分も大法を修煉します」と言い、警官も素晴らしいと言ってくれました。私はその警官にも「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!」と覚えておくように伝えました。

 私はこの上なく幸せで幸運な人になり、あなた方も健やかになってほしい

 多くの病気を患っていた私は、大法を学んでからすべての病気が治りました。右脚のすねのところに痛くも痒くもない、ただ醜くいだけの茶碗ほどの大きさのアザがありましたが、煉功してからいつの間にか大きなアザもなくなりました。現在、私は病気がなく、全身が軽快で幸せな日々を送っています。私はここで内心から同胞たちに、共産党の虚言を信じないでほしい、法輪大法の修煉者の払った無私の代価を大切にしてほしい、と伝えたいのです。修煉者が配布しているもの、語っている内容はすべてあなた方に真相を知らせ、大法の真実の現れ、身の回りで起きた真実な現れを知ってもらうためです。あなた方にも本当に健やかになってほしいと願っているからです!

 最後に、師父の救い済度のご恩に感謝申し上げます! 
 全世界の同修の皆さんに感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/14/336937.html)
 
関連文章