新唐人テレビのお陰で、頑固な夫も真相を知り救われた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年2月16日】私が家に新唐人のアンテナを取付けた目的は、夫に真相を分かってもらい、救度させたいと思っていたからです。

 普段から真相を伝えて真相資料を見せても、夫は何も聞いてくれず見てもくれず、口から出る言葉は中国共産党の虚偽の宣伝文句ばかりでした。夫は「お前はいつも神様のことを言っているが、神様はどこにいるのか? 見たことがあるのか?」とよく言います。私は「自分はまだ神様に会えるレベルではないし、見えないことが存在しないことではありません。なぜなら、空気も見えないが存在しているでしょう」とよく言い返していました。夫はまた「お前は他の人に付いているけれど、いつか騙される」と言います。私はこれに対して「お父さんは一生中国共産党に付き従い、最後には共産党にやられて、死んだではありませんか。私が真相を伝え、手紙を書いて善を勧めているのは、人々がこれ以上騙されないように願っているからです。共産党は人々が『真・善・忍』を信じることを妨害し、人々は何を信じて生きていけば良いのですか」と言います。このような会話は我が家では、日常茶飯事のことです。

 新唐人のアンテナを取り付けても、夫は最初、新唐人のテレビ番組を見ようともしませんでした。私がテレビを付けて部屋から離れると、すぐに他のチャネルに変えていました。私はそれを全く心配することなく、環境さえ作っておけば、いずれ、知らず知らずのうちに感化するだろうと思っていました。幸い夫も無理矢理にチャネルを変えませんでした。

 新唐人テレビの番組がますます多彩になり、横書きのスローガンを揚げて、大法の素晴らしさを賛美する番組があったり、ロウソクを手に持ち同修達を悼んでいる厳かな場面があったり、修煉者達が迫害されて死に至った同修達の写真を手に手に持った厳粛な場面もありました。これを見ると、人々に邪悪の暴政に対する唾棄(だき・つばを吐きかけたくなるほど、忌みきらい軽蔑すること)や怒り、善良な修煉者を応援する気持ちをもたらせました。『細語人生』などは人々に番組に来てもらい、彼らの遭遇した体験を話してもらう番組など多彩な構成でした。

 夫が家にいると、私はいつもテレビをつけて『九評共産党』を見ていました。最初、夫は見るのを拒否していましたが、少しずつ耳に入り、大きく 揺り動かされるようになりました。夫は共産党が捏造した「敵」を監視したことがあるので、私は「徳を失うことをしてはいけない」と言うと、夫は言い訳をしました。また、毎週ある『透視中国』という番組は論理も根拠もあり、年月日もはっきりとした事実で、夫を納得させました。それ以来、夫は「粟に小銃」の凄い話を言わなくなり、捏造した反日ドラマも見なくなりました。時事評論の番組により、危機に直面し、論じた道理、真に迫った比喩、深刻な分析、共産党の嘘や猫とネズミのような官僚の内戦を目にし、しかも、大物閣僚たちが次々と捕まり、刑務所に送られ、そのことが、俗諺(ぞくげん・世間で言われていることわざ)で引き立たせてあり、夫は興味津々で笑いながら新唐人テレビを見ていました。

 私は夫が段々と真相がわかり「芝居は素晴らしかったが、役者の演技が下手だ」と言わなくなり、そして、悪行の限りを尽くした共産党や江沢民を責めるようになりました。派出所の警官らが騒擾(そうじょう・騒動)し、おどしに来た時、夫は私の部屋に入って来られないように警官らに立ち向かうようになり 「妻は元々病気があり、法輪功を修煉してから良くなり、もし煉功をさせなければ、病気が再発したらお宅に連れて行きますよ。面倒を見てくれますか」と警官らに迫った。

 その後、夫は三退の名簿を送ったり、切手を買って来たりして、法輪功の仕事を手伝うようになり、二度と 「こんなことをやって何に役立つのか、時間の無駄だ」とか 「卵が石にぶつかる」(全く相手にならないことの例え)などと言わないようになりました。

 2015年、私は最高検察庁および最高裁判所に江沢民に対する告訴の申請を提出しました。江沢民が法輪功に対して迫害してきた罪を裁くようにと要求すると、夫も応援してくれました。以前なら夫は絶対に告訴させず、なぜなら、共産党はどんな悪行でもやってのけるからです。江沢民を告発することで署名を一般の人に募集した時に、夫は「私が一番最初にサインをする!」と言い、拇印してくれました。

 師父が新唐人テレビを開設するように、按排して下さったことに感謝いたします!

 同修達のたくさんの苦労のお陰で、新唐人テレビが開設されたことに感謝します!

 私は新唐人が放送するドラマやバラエティー番組を一度も見たことがありません。私が自分の部屋で学法や他の大法関連のことをしている時だけ、夫は見ていました。一部の同修は新唐人のアンテナを取り付けるのを怖がり、家族に取り付けないと言っています。実は取り付けると、ドラマやバラエティー番組をずっと見るようになり、一部の同修がはまってしまいました。このことについては、多くの同修が同感しています。これは注意すべきことです!

 修煉とは自分を修めることであり、学校に行ってもまじめに勉強しなければ、大学に入れないのと同じです。結局、自分を修めなければ、師父を騙し、同修を騙し、自分の身を滅ぼすことになります! 現在、私は夫が新唐人のテレビ番組を見ることに一切付き合わず、夫は自分でつけて見ています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/27/337956.html)
 
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