法輪大法を学び 良い人になるように教わり実践する
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 【明慧日本2017年2月21日】私は1998年から法輪大法の修煉を始めました。修煉から1カ月の経過を待たずに、すべての病気が消えて町を歩いていても身体が軽く感じ、仕事をしている時にも全然疲れません。それからの心理状態は人間の一切のことに淡泊になり、一心に修煉のことを考え、毎日法を勉強するようになり、心性が高まってきました。

 1998年の冬、私は老人ホームで食事を作る仕事をしていました。老人ホームには介護師がすくなく、特に夜になると、老人の面倒を見る介護師は1人もいませんでした。私は修煉者の基準に基づいて、老人達の面倒を見るため、夜帰らないことにしました。

 その時2人の年配者が身の周りのことが出来ないため、排泄をする時、私が必ず排泄の世話をしなければならず、私の手にいつも排泄物がついていました。いくら手を洗ってもその臭さがなかなか取れませんでした。ご飯を食べる時、手の臭さにより吐き気がし、なかなか食べられませんでした。しかし、時間が立つにつれて、その臭さが消えていきました。それは師父が、私の臭覚を閉じ臭いを感じなくされたのだと思います。本当に師父に感謝いたします!

 ある年配者(女性)がよくベットから床に落ちます。仕方がないから、私はマットレスを床に置き、落ちても怪我をしないようにしました。毎晩、私がパートロールする時、その人は必ず床に落ちて、時々大小の排泄物もしていました。私は彼女をきれいにしてからベットの上に抱き上げました。毎日同じことをしていました。その人が死んだ後、その人の娘さんがこの事を聞いて 「お姉さん、本当に最後までお世話をしてもらい、ありがとうございました」とお礼を言われました。私は「大法の修煉者ですから、大法の基準に基づいて行いました。『法輪大法素晴らしい! 真・善・忍素晴らしい!』を覚えておいてくださいね」と彼女に言うと、彼女は「覚えました。ありがとうございます」と礼を言って立ち去りました。

 冬が近づいてくると、ある年配者は寒い寒いと訴えました。私は自分の給料の中から、その人のために防寒服を買いました。その人は私を見ると、自分の娘を見ているようにいつも微笑んでくれます。

 1999年7月、私はメリヤス工場に転職しました。常に大法の基準で自分を律し、どんな仕事でも真面目に対処し、いいことがあれば、他人を優先させていました。工場のトイレはよく詰まリます。他の人たちはトイレが汚いために掃除したがらず、私は詰まる度にいつもきれいに掃除してからポンプを通し、水が流れるようにしていました。工場長の奥さんはこのことを聞いて、私にお金をくれましたが、私は「法輪大法の教えにより良い人になるために、これらの事をやっていますので、余分なお金はいりません」と断りました。それからは、みんなが私を尊敬するようになりました。

 1999年7月以降、法輪功が弾圧されるようになると、私はいつも昼ごはんの時間を利用して、人を救っていました。どこかで急いで饅頭を食べてから、昼の時間を利用して、みんなに真相資料を配りました。質問がある人がいれば、法輪大法の素晴らしさと中国共産党の邪悪さを伝えました。時々理解できずに、私を罵る人もいました。その時、私はいつも師父の法を思い出し 「私たちは誰のために風雨にかかわらず行うのか 私たちは誰のために風の中で食事し草を褥に寝るのか」(『洪吟三』「希望の道を開いてあげる」)を暗証すると、みるみるうちに熱いエネルギー流が頭から足まで貫通し、苦しい感じや疲れた感じがさっと消え去り、すぐに元気を取り戻して、再び人を救う元気な状態に戻っていきました。

 もちろん私はまだまだ足りないところが多くて、多くの人心がまだ取り除かれていませんが、最後のこの限りある時間を大切にし、しっかりと自分を修め、師父について天上の家に戻るように頑張ります!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/16/342987.html)
 
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