この世の奇跡が我が身に現れた
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年6月8日】1998年の夏、私は幸いにも法輪大法の修煉を始めました。

 心が狭かった私は思い通りにいかないとすぐ不機嫌になり、そのため、ストレスが溜まり、病気だらけになりました。当時、私は椎間板ヘルニア、胸椎骨増殖症、頸椎症、萎縮性胃炎、失眠症、拒食症、胆管結石などの病気を患っており、中でも腰椎間板ヘルニアが最も酷く、医者から手術をしなければ半身不随になるよと言われました。しかし、私は手術をずっと拒否してきました。毎回病気が再発すると、私は死ぬほど辛くなり、もし幾つかの病気が同時に襲って来たら、本当に天を呼べども天答えず、地を呼べども地動かずで、ひどく苦しみ、死んだほうがましだとも思いました。しかし、老いた両親と未成年の子供の顔を見て、彼らから去って行くことはできず、本当に辛くて堪りませんでした。

 1998年の夏、友達の紹介で私は宝の本、『轉法輪』をいただきました。本を拝読して、苦難を脱する方法をついに見つけた私は、「人間は苦しすぎる。必ずしっかり修めて、永遠に人間から抜け出そう」と思いました。こうして私は大法修煉の道を歩み始めました。

 修煉して1カ月も経たないうちに、私はご飯を食べられるようになり、ぐっすり眠れるようになり、気持ちが穏やかになり、病気も次第に全部消えてなくなりました。修煉して18年間、私は病院に行ったこともなく、注射も薬の服用もしたことがありません。大法は本当に不思議です。

 私は性格が内気で、人との付き合いが苦手なため、大法修煉をしてからでも、ずっと1人で修煉し、1999年3月になってようやく出かけて功法を習い始めました。しかし、集団煉功をしてから3カ月後、迫害が始まりました。大法と師父は正しく、決してメディアに宣伝されたようなものではないと私は深く信じていました。その後、同修と次第に連絡が取れるようになり、私達は法を実証し、真相を伝える方法を模索し始めました。こうして、私は転んだり失敗したりしながら今日まで修煉の道を歩んで来ました。

 2000年、同修は北京に法を実証しに行ったため、大法の資料や書籍などを私の家に置いて行きました。当時、派出所と区役所が知っている修煉者であれば、修煉を放棄すると署名しなければ、必ず連行され、家財を差し押さえられました。彼らは私の家から大法の経文を没収し、そして、私に対して12時間の不当な審問を行いました。

 不思議なのは、今までネズミのように臆病だった私は、その時、怖く感じるどころか、かえってとても大胆になりました。そして、法を正す師に手伝い、衆生を救い済度することこそ、私がこの世に来た目的だと明確に分かりました。私は毎日法を学び、功を煉り、ある日、世間のすべての人に真相を知ってもらうべきだと悟りました。

 私は辺鄙な町に住んでおり、周りにたくさんの村があります。そこの人々はまだ真相を知らず、虚言に騙されていると思うと、彼らに真相を伝えなければならないと決意しました。同修と交流してから、私達は周辺の村に行くことを決め、一軒一軒に法輪功の資料を届け始めました。10キロ程離れた所から150キロ離れた所まで、1年かけて私達は400以上の村を回りました。猛暑の中でも厳しい寒さの中でも、私達は休むことなく真相を伝えました。その中には辛さもあれば、喜びもあり、そして、安らかな気持ちを感じました。なぜなら、これだけ多くの民衆が資料を見ることが出来、法輪功の真相を知ることが出来たからです。2007年、資料を配った時、村人に通報され、私は不当に14日間拘留されました。家に帰ってから1カ月後、私は再び資料を届けに出かけました。

 人を救うことに没頭して、個人修煉を疎かにしたため、1年後、私は再び連行され、地元の留置場に8カ月拘禁されました。その間、内に向けて探しながら続けて人を救いました。8カ月の間、留置場で100人以上の人を三退させました。その後、私は7年の刑を科され、省都の女子刑務所に入れられました。

 刑務所に入れられて1年半経った時、私の体に深刻な病業の仮相が現れました。その半年後、刑務所の警察はようやく私を病院に送り、検査を受けさせました。私の病状を見た医者はとても怒って、「どうしてもっと早く患者を送って来なかったのですか。囚人だって人間でしょう」と警官に言い、そして、「人が死んだら、あなた達は責任が取れますか。彼女はいつでも命を落とす可能性があります。もうすぐ全身不随になりますから」と言いました。留置場に帰る途中に、警官は私に、「おまえはすぐに仮釈放されると思うか? 危篤にならなければ、おまえを家に帰らせないぞ」と脅しました。

 警官は刑務所長に私の状況を報告し、数人の警察幹部は一緒に病院の専門家から意見を聞いてから、直ちに私の仮釈放を決定しました。彼らは私が刑務所で死んだら困ると思っていたからです。この時、法輪功の迫害を担当する隊長は「お前は爆弾みたいのものだ。ここから投げ出さなければ私は眠れないよ」と言いました。彼らは急いですべての手続きを終らせ、爆弾を投げ出すように私を刑務所から放り出しました。7年の刑期は2年7カ月で終わり、私はようやく家に帰って来ました。

 あの時の私は、横になれば起きられないし、起きたら横になれず硬直していました。私は師父にご加持をお願いして、法を学び、功を煉り、想像を絶するような苦しみに耐え、師父のご加護の下、同修のお母さんの助けの下で、薬を服用せず、注射を受けず、病院にも行かず、2カ月で階段から下りられるようになり、3カ月後、簡単な家事をこなせるようになり、4カ月後普通に人と会えるようになりました。刑務所から出た当初は、私を見た人、或いは私の病状を知った人、私を見舞いに来た親戚や友達の誰でも私は生きられないだろうと思っていました。しかし、数カ月後、私は奇跡的に回復し、町を歩き回りました。公安、検察、裁判所の人達も私は絶対死ぬだろうと思っていました。しかし、私は生きているだけではなく、堂々と町を歩き、そして、7カ月後、妹の店でアルバイトを始めました。妹からの助けはありましたが、しかし、私は自力で生活ができるようになりました。こうして1年の内に、私は完全に回復しすべて正常に戻りました。

 大法と師父のご加護の下、この世の奇跡が起きました。医者から「頭の上げ下げはできないだろう。転んではいけない。常に命の危険がある」、「全身不随になるだろう」と言われた状態から、今日の飛ぶように歩き、毎日大法弟子の三つのことを楽しくやっている(時にはしっかり行っていない場合もある)状態に回復しました。その喜びは言葉で表現出来ないものです。

 私にすべてを下さった大法に感謝します! 偉大な師父が巨大な犠牲を払われて私に二度の命を下さったことに感謝します! 同修からの暖かい思いやりと親族からの愛情に感謝します!

 必ず先史の誓約を果たすよう最大限に努力します。合掌

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/31/348918.html)
 
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