子供弟子の学校での修煉体験
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文/台湾の大法子供弟子

 明慧日本2017年7月24日】私は大法弟子が運営している芸術学校の中学2年生で、美術を勉強している法輪大法の子供弟子です。ここで自分の修煉体験を皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、修煉の機縁

 私は縁があって、大法弟子が運営する芸術学校に入学しました。小さい時は伯父さんの家に住んでいました。伯父さん一家はみな法輪功を修煉しており、叔母さん一家も修煉していました。私の家族は誰ひとりとして修煉する人はなく、芸術学校に来る前は、ただお婆さんだけが修煉していました。しかし、それも長くは続きませんでした。

 私が幼稚園児だった時、引っ越したので、伯父さんたち一家と一緒に暮らせなくなりました。その頃は、幼稚園の先生が修煉していて、常に私たちに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と教えてくれました。だから私は小さい時から、その言葉を知っていました。

 小学校5年生になり、私はやっと法輪大法は修煉であり、師父がおられることを知りました。あの頃、偶然な機会に同じ学校で働いていた叔母さんから、法輪大法の主な著作『轉法輪』を借りました。叔母さんは私が修煉したがっているのをみて、「従兄が音楽を専攻する高校に通っていて、その学校では毎日煉功もしているし、美術や舞踊も教えているわ。絵画に興味があるのなら、そこで美術を勉強したらどうなの?」と言われました。私はすぐに同意しました。それからまず、法輪大法を修煉している先生のところで絵画の勉強を始めましたが、6年生になるとその先生がちょうど担任になりました。それから、5年生の頃からの修煉したいという願望が、徐々に叶っていきました。

 後に、私は順調にこの芸術学校に合格し、修煉をはじめました。

 二、特別な学校

 この学校に入ってから常人社会からの悪い習を減らすことができます。学校側は私たちのために特別なルールを作っていました。例えば3C製品(パソコンや携帯電話、デジカメ)の規制や男女付き合いの制限などがあります。初めの頃は、今までと全然違うルールがとても多くて、必要ないと思っていました。しかし、修煉して徐々に向上する過程で、これらのルールの大切さが分かりました。しかも学校での毎日の煉功によって、正のエネルギーを得るだけでなく、身体も浄化されていきました。

 学校では毎日学法をしなければなりません。それは私たちの道徳を向上させるためでしたが、古典の芸術作品の中でも道徳を重んじています。でもそれを時にはとても面倒だと感じることも多々あります! ですが、私はそれでも学ばなければならないと分かっています。なぜなら、それは旧勢力が、私に法を得させないようにするために、そのように感じるようにしている場合があるかも知れないからです。美術の先生がこのように言ったことがあります。「あなたの技術がいくら良くても、人柄がよくないと意味がありません」。だから私は、修煉するかどうかにかかわらず、学法することで私たちの道徳を上げることができると思います。道徳が向上すれば上技術も上達し、次元も高められ、常人がわからないような道理を知ることができます。本当に一挙両得です。

 3C製品への制限も同じことです。あなたがこの芸術学校に来るのは、芸術や科学を勉強するためですが、一部の生徒は携帯電話やパソコンでゲームをして遊び、勉強に身が入らず大きく影響され、インターネットで意味のないものを見ています。特にエロチックなものは人に影響を深く与え続けています。時間が長くなればなるほど、どんなものであれ多く触れることによって影響され、そのような人物になっていきます。修煉中にあのようなよくないものを見ると、それらがあなたの空間場の中で影響し始め、しかもそのような技術は宇宙人が管理しており、好きになればあなたがそれらにコントロールされてしまいます。

  三、学校の修煉で出遭ったトラブル

 学校で時々、同級生が間違ったり、やるべきことをキチンとやっていなかったりすることがあります。私が注意すると彼らは聞かないばかりか反論したり、時には逆に罵ったり、嫌がったりします。後で先輩や先生と交流し、内に向かって探すと分かりましたが、自分の心の状態が間違っていました。彼らが良い方向へ変化することは望んでいましたが、自分の心が正しくなく、「あなた達が嫌い」と否定的な考えを持っていました。

 自分の理解では自分が良い心を持っていないため、言葉では現していませんが、話には別の空間での本質的な考えが反映され、相手には感じられるので悪い作用、逆効果がありました。師父は『シンガポール法会での説法』で「もし一人の人が如何なる自分の観念も持たずに他人と話し、相手の欠点を指摘したり、相手に何かを教えたりすることができれば、相手はきっと涙が出るほど感動します」[1]と教えてくださいました。

 一度ある人がずっと私を罵っていました。しかも、それを知らない人ですら一緒になって私を罵り、嫌がったりしていました。皆と交流して内に向かって探してみると、もしかしたら以前、私が彼らに耳障りな話をして刺激したか、あるいは私に恐れる心、執着心があり、相手が罵ったり、嫌がったりすることを恐れるため、このことを通してこれらの心を捨てさせているのだと分かりました。

 四、「男女には区別がある」という校則

 初めて学校に来た時はまだ修煉したばかりで、男女には区別があることの重要性を知らなかったため、ただとても変わった校則だと思っていました。少し時間が経った今では、段々と「男女には区別がある」ことの重要性が分かってきました。古代でも人々はこのことをとても重要視しており、もし男女が密かに会っていることがバレルと、2人ともひどく叱られました。一般的には勝手に関わったり、話したりしません。学校にこのようなルールがあるのは、私たちが小さい時から男女の間で勝手に互いに行き来したり、騒いだりするといった良くないことが、あたりまえのことだと習慣化させないためです。確か、昨年の台湾法会で人文字を作る活動場所へ行く途中で、電車の中で数人の男女がふざけて騒いでいるのを見かけ、本当にみっともないと思い、印象が悪く感じました。

 始めにこの学校へ来た頃は、我々は間違いをおかすことは避けられないかも知りませんが、自分が間違ったと分かったら直すべきで、同じ間違いを何回も繰り返すわけにはいきません。師父は「心配しないでください。転んでしまった人も含めて、早く立ち直ればいいのです」[2]と教えてくださいました。師父はさらに「私が最も大切にしているのはその過程です。生命の全ての過程こそこの生命の全体です」[3]とおっしゃいました。

 だから間違いを犯しても、改め、直してから再び同じ間違いを犯さないようにさえすれば良いのですが、間違っていると分かっていながら、わざとやるのはもっと大きな間違をすることになります。

 五、修煉で経験した不思議なこと

 私は修煉する過程で幾つかの不思議なことにあいました。ある日、画廊の外の戸棚を壁に近いところへ移動していたとき、ガラスの間仕切り板が私の頭に向かって落ちてきました。その時はただ痛かっただけで別に何ともなく、腫れたりもしませんでした。その後、学校で階段を下りる時、突然足を踏み外し階段から落ちかけましたが、すぐ階段の手すりを掴んだので止まって転びませんでした。後で私は師父が自分を保護して下さっていると感じました。

 ある日、高熱を出して頭痛、鼻づまり、喉の痛みが伴っていました。しかし、先輩が神韻交響楽団のCDを貸してくれて3回聞くと熱が下がり、頭も喉も痛くなくなり、ただ鼻水が流れるだけでした。あの時はまだ1年生で、初めてあのような大きな業が消える体験をしましたが、かえって一番早く治せたのもあのときでした。

 1年生の夏期講習の時偶然に、美術教室の外のランプの上に優曇華(うどんげ)の花が咲いているのを見つけました。花びらは3年生の教室の方を向いていました。これは美術授業の展覧会の作品が全部そこに置いてあるので、優曇華の花も私たちを応援し励ますために咲いたのです。教室を建て直す時、先生に頼んでランプを取り外して箱の中に置き、美術科の主任の先生に保管するように渡しました。これは今まで学校で保存している一番完備で一番長く咲いた優曇華の花で、全部で15輪の花が咲いていました。

 2年生になって私たちは花壇を片付けましたが、手助けに来た後輩が優曇華の花を見つけました。それは私たちが作った花壇でした。花は赤レンガの上に咲いていたので、私はこの赤レンガを別のものに置き換え、咲いた花は美術科主任の所に保管しました。見つけた時、風と雨のせいで一部の花びらは落ちていましたが、咲きそろった数はいちばん多く全部で29輪ありました。先生に聞かれると誰もが「これは私たちへの激励ですね」と言いました。この学校に来た2年の間、いずれも優曇華の花を見つけましたが、それは本当に自分に対する激励で、修煉でもっと精進するようにと注意を与えて貰っていると思いました。

 六、まとめ

 皆さんがこの学校に来れたのは偶然ではなく、必ず安排があるはずです。縁がなければ、ここには来られません。この前、先生から聞いた話ですが、ある生徒がこの学校を受験したがっていましたが、来る途中で突然体調を崩し、学校に到着してから吐いたりして、試験に参加することが出来ませんでした。

 この学校に来れたのだから、必ずこれを大切にすべきです。もしかすると、あなた方の使命はこの神が伝えた古典芸術を復興することかも知れないし、あなた方がここで法を得られるように安排された可能性もあります。大法は千年に一度出会えるかどうかの機会で、万年にも得難いものです。この機会を無駄にせず着実に修煉すべきです。もうすでに修煉している生徒も、修めているように見えて、まだ真に修めていないようなことはやめて、この機縁を大切にし真に修めるべきです。

 最後に『洪吟四』「生命来自天上」で皆さんとお互いに励まし合い、精進していきましょう。

 人生如迷向何去
 我从何来似云烟
 轮回转生换肤色
 君王庶民贫富变换被谁牵
 世人多是在天堂
 掉下重塑再回天
 辗转人世为等法
 大法能炼正觉仙

 (上記の詩は、まだ翻訳されていませんので、原文のまま記載します)

 以上は、私の学校での修煉体験ですが、足りない部分がありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シンガポール法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「米国首都での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/22/350010.html)
 
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