天津市の法輪功学習者・楊玉永さん 留置場で迫害死
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 【明慧日本2017年7月24日】天津市の法輪功学習者・楊玉永さんと妻・孟憲珍さんは、昨年12月7日、2人とも不当に連行されて天津武清区留置場に入れられ、身柄を拘束され、今年7月11日、楊さんは留置場で迫害されて死亡したことがわかった。

 情報筋によると、楊さんは留置場で法輪功についての真相を他の人に伝えていた際、警官・劉建鋼に猛烈に平手打ちされた。劉警官はさらに、13人の刑事犯に指示して楊さんに対して暴力を加えさせ、生殖器官に打撃を与えた。それで、楊さんはすぐに意識不明になった。

法轮功学员杨玉永遗照
楊玉永さんの生前写真

7月11日午後3時40分、病院まで救急車で運ばれた楊さんは、
「臓器がすでに衰弱し、
手遅れの状態である」と医師に診断された

病院で救急手当てを受けている楊さん

 11日午後6時、楊さんの家族が現地の派出所から「武清病院にすぐに行け」という知らせを受け、7時ごろ病院に駆け付けた。病院のホールの外も、内にも警官が大勢いた。楊さんはすでに呼吸が止まり、体が硬直して、手足も冷たくなっていた。楊さんの体には青アザのある傷跡が数カ所残っていたことに家族は気付いた。当日夜、情報を得た友人、親族ら100人ほどが病院に駆けつけ、救急手当て室の外のホールで待っていた。

 手当てした担当医師の話によると、午後3時40分ころ、病院に搬送されて到着した際には、すでに臓器が衰弱し、手遅れの状態だったという。

 家族の訴えに応じる機関がなく 特警が遺体を強奪

 当日夜、楊さんの家族は110番に通報した後、派出所の警官数人がやって来たが、「自分たちには何もできないから、上級に報告する」と言い、応対しなかった。

 楊さんの娘は引き続き検察局や、現地の監査、天津市の監査にも通報したが、無視されたり、脅迫されたり、なすりつけられたりばかりであった。その中に、「天津や北京へ陳情しに行っても、構ってくれる者は誰もいないぞ」と威張って応じた者がいた。

 翌日朝3時ごろ、14台のパトカーが病院にやって来て、100人以上の警官が病院のホールを取り囲み、皆警棒や盾を持ち、救急治療室から大門まで2列に並んで、楊さんの遺体を強奪して、病院の東側の霊園に移し、見舞いに行った人達は漏れなく、すべての人の名前の登録を強要された。


病院の敷地内での警官らの物々しい警備体制

病院の敷地内での警官らの厳重な警備

七月十二日凌晨三点半左右,在来了十四辆警车、一车特警抢夺杨玉永遗体
病院の敷地内での警官の様子

武清看守所所长赵国全
留置場の責任者


病院の敷地内での警官の様子


病院の敷地内での警官、私服警官


病院内での警官、私服警官

病院内での警官、私服警官の様子

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/15/351106.html)
 
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