蘭州市の少佐で学習者の王有江さんは 迫害されて死亡
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 【明慧日本2017年8月20日】甘粛省蘭州軍区通信部隊の少佐・王有江さんは法輪功を学んでいるという理由で、2001年7月に懲役10年の不当な判決を宣告された。迫害されて強直性脊椎炎になってしまい、解放された後も完全に回復しなかった。2012年6月、王さんは友人宅で再び身柄を拘束され、懲役6年の不当な判決を言い渡され、市刑務所で虐待され、殴打され、スタンガンで電撃を受け、重労働をさせられるなどの数々の迫害を受け、今年7月1日、長期にわたる残酷な迫害により他界した。享年48歳であった。

王有江
王有江さん

 今年6月24日午前9時過ぎ、王さんの父親は電話で息子が脳内出血で蘭州大学第二病院に送られ、応急手当を受けているので、早く病院に行くようにという知らせを受けた。

 王さんは1969年生まれで、張家口通信学院の修士課程を卒業後、蘭州軍区通信総部に配属された。1998年の大晦日に法輪功を学び始め、「真・善・忍」の教えに従い、自らを律し、コツコツと働き、職場では高く評価された。また、多くの人は王さんを通じて法輪功の素晴らしさを実感した。

 10年間拘禁され酷い迫害を受け、身体が不自由になる

 1999年7.20、江沢民グループにより法輪功への迫害が始まり、王さんは陳情しに上京した。そこで、蘭州西果樹園留置場、蘭州西固寺児溝留置場、蘭州市大砂坪刑務所などに相次いで拘禁された。

 2000年1月3日、王さんは再び上京した。そのため、部隊に「政治規律に違反する」との理由で、秘密裏に2カ月拘禁され、法輪功をやめるようにと強いられた。同年12月下旬、王さんは法輪功のために陳情しに行った途中で、寧夏中衛駅の待合室で阻まれ、夜に市桃樹坪収容所に送られ、1週間拘禁された。

 上司は上層部に叱られたため、王さんが復員を申し出たが、復員の手続きがまだ終わっていないうちから、2001年1月6日、市公安局の警官に身柄を拘束された。同時に、王さんのプリンター数台、パソコンおよび大量の機械類、家に置いてあった現金などが押収された。同年7月3日、城関区裁判所は王さんに対して非公開で開廷し、懲役10年の重刑を宣告した。

 王さんは連行された後、2001年1月10日に西果樹園留置場に拘禁された。その期間中、殴打され、長時間にわたり重労働を強いられ、睡眠を禁止され、独房に閉じ込められるなどの迫害を受けた。その結果、西固寺児溝留置場に移送された時、立つことさえもできなかった。同年10月、王さんは大砂労働教養病院に送られた。

 王さんは蘭州刑務所に拘禁され、警官にさまざまな手段で転向を強いられた。ある警官は「道理では法輪功に勝てないが、道具を使って強く打てば、打つほど効果がある」と言いふらして虐待した。このような残酷な環境下で、2004年5月、王さんの脊椎はひどく変形した。その結果身体は萎縮し、下半身の血液循環は悪くなり、下半身は動かず冷たくなり、膝関節に力が入らず、座ると立ち上がれない状態になり、何かで支えない限り立てず歩けない状態で、ベッドに横になってもひどく痛みがある症状が続いた。

 2004年末、王さんの身体はさらに悪化した。両手は麻痺し、無力で力が入らず、箸を持ち上げる力すらもなかった。頸椎はこわばってしまい、頭が自由に回らなくなった。強直性脊椎炎と診断され、痩せこけて重体に陥った。

 王さんはこのような残酷な迫害を受けたにもかかわらず、依然として穏やかに警官らに悪事を働かないように忠告し、こう言った。「法輪功学習者はみんないい人達です。私利のために悪事を働くことは最終的に自分をも害することになり、因果応報は天理です。邪悪はあなたたちの手を借りて、よい人を迫害しています。騙されないでください。頑として聞き入れないなら、私の命を奪ってもかまいません。私の法輪功を学ぶ意志は少しも変わらず、動じません」

 2008年8月、刑務所はまたオリンピックを口実に学習者に迫害を加えた。王さんは2回独房に閉じ込められ、1回は15日間入れられ家族との面会も禁じられた。長期にわたる拷問と断食により、王さんの身体は極めて衰弱し、市刑務所病院に送られた。少し好転するとすぐに刑務所に戻された。王さんの父親は2009年1月8日、刑務所を訪ね面会を求めたが、関係者に「刑事犯は面会できるが、法輪功者はダメだ。まして転向しない王はもっとダメだ」と突き放された。

 短い自由

 10年の迫害の日々を経て、2011年1月9日、王さんはようやく解放された。しかし、王さんの父親は10年間、刑務所と自宅の間を往復し、苦労とプレッシャーの下で何度も入院したことがあった。

 王さんの元妻は王さんの大学の同級生で、士官である。王さんが法輪功を学んで受益したことを目にし、法輪功を学ぶことを応援した。しかし、王さんが懲役10年の不当な判決を宣告されたため、プレッシャーでやむを得ず王さんと離婚した。このように和気藹々(あいあい)の一家は離散してしまった。

 解放された王さんは親と団らんできた。しかし、身体は大きなダメージを受けたため、ゆっくりしか歩けず、首や背中は曲がり、物を長時間、握れなかった。法輪功の煉功をやり続け、王さんの身体は奇跡的に徐々に回復していった。

 しかし、地元の政治法律委員会、610弁公室、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)、派出所、法曹機関および社区などの関係者らは、よく王さんに嫌がらせをし、脅迫した。王さんの日常生活はいつも邪魔され、親も心身ともに大きなダメージを受けた。

 友人を訪ね、再び懲役6年の不当な判決を受ける

 2012年4月26日、市政治法律委員会、610弁公室は王さんの自宅に侵入し、王さんが転向していないという理由で迫害を企てた。

 6月、王さんは蘭州の学習者・陳潔さん宅を訪ねた。午後4時、市城関区支局国保大隊の警官ら20人あまりが、陳さんの貸家の窓を破り侵入してきた。警官らは王さんの腕を押さえながら、床に押し付けた。陳さんは警官らに「彼は身体が不自由です。もしも何か起こったら、その責任を取ってもらえますか?」と問い詰めると、警官らの気炎(威勢のよさ)は少し静まった。

 王さんは警官らに法輪功の無実を伝えようとしたが、警官に阻止され、両腕を後ろに回され、縛られた。陳さん姉妹も同じく縛られた。また、現金2千元あまり(およそ3万2千円)、貯金5万元(およそ80万円)の通帳、電話のカード、パソコン、プリンターなどの私物品も押収された。その後、3人は市城関支局の国保大隊に連行され、取り調べられた。

 王さんの親はあっちこっち尋ね歩き、ようやく8月16日に王さんが逮捕状を発付されたことや、市文化宮華林山第二留置場で拘禁されたことを知らされた。

 王さんの告訴状によると、城関区公安局の国保大隊は民家に侵入し、家財を押収したうえ、王さんを拷問した。2012年6月28日午後4時過ぎから7月2日夜7時過ぎ、王さんは当国保大隊のトラの椅子に縛られ、4人1組で、2、3時間交代で拷問を受け続けた。また、睡眠を禁止され、強い光で照らされ、王さんの顔と両目を熱く焼いた。その結果、王さんの血圧は急にあがり、大砂坪新橋病院で75日入院した。

 2012年10月末、市城関区裁判所からの起訴書は王さんのところに届いた。王さんは刑務所から外の友人に弁護士を雇ってほしいと伝えた。家族は北京の弁護士を依頼したが、弁護士は王さんとの面会を求めたが、いろんな理由で断られた。

 11月24日、城関区裁判所は弁護士と家族に知らせないまま、王さんの案件は秘密裏に開廷された。家族がどうして秘密裏に開廷したのかと問い詰めたところ、裁判官は「刑事案件は知らせない。他は知らない」、「訴えたければ、好きにしろう」と脅された。

 2013年9月24日、王さんは城関区裁判所に懲6年の不当な判決を宣告された。

 蘭州刑務所で虐待されて死亡

 2014年3月17日、王さんは再び蘭州刑務所に拘禁された。警官は王さんに転向させるために殴打し、食事をさせず、睡眠を禁止し、長時間に立たせる、独房に閉じ込めるなど、迫害に力を尽くした。

 王さんが受けた迫害は下記の通りである。
 1. 警官に殴られ、警棒でやけどさせられた結果、大小便を失禁するようになった。
 2. 昼間に働かせ、その強度はほかの囚人の数倍に及んだ。
 3. 夜は睡眠を禁止され、監視され、思想報告書を書かくように強いられた。
 4. 毎食饅頭1つで、おかずはなかった。1日に水1杯だけしか貰えなかった。
 5. トイレに行かせず、日常生活用品を買わせないで、半年の間、面会が禁止された。
 6. シャワーを浴びさせないし、洗濯もさせなかった。
 7. 警官に指示された囚人に、24時間監視され、他の人との接触は一切禁止された。

 その結果、王さんの心身は限界に至り、食べ物を噛めず、大小便を失禁するようになってしまった。

 2015年7月2日、王さんは刑務所で脳内出血起こして応急手当を受けたが、当時はまだ家族に知らされず、病院からの危篤通知が下りてから、やっと刑務所は8月2日になって急いで家族に知らせた。刑務所の関係者は家族に危篤通知書を見せ、「この紙にサインすれば、王に会える」と騙した。しかし、家族がサインするとすぐにその紙を取り上げて、王さんには面会させなかった。

 王さんは左半身不随になり、首は動かず、身の回りのことが1人で出来ず、車椅子に座らされ痩せこけて、骨と皮だけになってしまった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/13/352433.html)
 
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