天津女子刑務所で陳瑞芹さん迫害死 家族は無実を訴えず
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 明慧日本2017年9月7日】天津市の薊県白澗郷劉吉素村の44歳の法輪功学習者・陳瑞芹さんが、今年正月(詳細日時不詳)、天津女子刑務所で迫害されて死亡したが、家族は迫害を恐れ、中国共産党の暴威に屈服し、真実を暴露しようとせず、無実を訴え出ず、今に至っても悲しみと恐怖の中で、この事件をひた隠しに隠し、誰にもこの事件について言及しようとしていない。

 陳瑞芹さんは天津女子刑務所で迫害されて亡くなった。陳瑞芹さんが危篤に陥った時、刑務所側は家族に通知しなかったため、家族は最後の別れを果たせなかった。陳瑞芹さんの死後どれくらいの時間が経ったかわからないが、刑務所へ来るようにと、家族に通知された。警官が遺体を取り囲んでいたために、家族は近づいて遺体を確認できず、布をめくって遺体を見ることもできず、検死もできず、検死は刑務所の指定部門によって行われた。陳瑞芹さんの遺体の舌は乾いており、すべての罪悪がカバーに覆われてしまい、生体臓器狩りが行われたかどうかも不明である。家族は刑務所に4日間滞在し、最後に刑務所側の脅かしに屈服させられ、陳瑞芹さんの遺体を火葬することに同意し、遺灰を持ち帰り埋葬した。

 陳瑞芹さんは真相資料を配っていた時、借り住まいをしていた所まで悪人に尾行され、2014年5月16日、薊県の国保大隊と文昌街警察署の警官に不当に連行され、同年8月13日、薊県の裁判所で不当な裁判を受け、翌年、懲役4年半の実行判決が下され、天津女子刑務所に拘禁された。

 陳瑞芹さんは信仰を放棄しなかったために、天津女子刑務所で長期にわたり虐待された。第5監区で残酷な迫害を受け、長時間にわたって罰として立たされ、トイレに行かせてもらえず、両足のつま先は踏まれて鮮血で染まり、体は殴られて傷だらけであった。受刑者がウォーターサーバーの上から陳瑞芹さんの顔に熱湯を浴びせかけ、さらに、乳首をつねったり、下半身に猥褻(わいせつ)なことをしたりした。さらに、尿を飲ませたり便を食べさせたりした。そして、受刑者はちょっとしたついでに小便桶や椅子などをつかんでこれで殴り、さらに「杜大隊が勤務の時は、いつでも殴ることができる」と言い放った。また、徐莉穎という警官は、受刑者が暴力的に殴打するのを促すように、「殴れ、もっと殴って血が出たら、俺が傷口を縫ってやるぞ」と煽った。

 かつて天津女子刑務所に不当に拘禁されていた学習者の話によると、「昨年1月24日ごろ、あの頃はこの数年で最も寒い日々が続き・・・トイレに行かせてもらえず、陳瑞芹さんはズボンの中に便をしていました。すると、宿直の警官の指示で、受刑者と刑事犯7、8人が陳瑞芹さんの服を全てはぎとって捨ててしまい、身に付けているものは1枚の囚人用のコートと囚人用のズボンだけになってしまいました。その上、刑事犯の李明がその囚人用のコートとズボンをトイレへ持って行き、トイレの水桶に浸して濡らし、それを陳瑞芹さんに着せました。そして、陳瑞芹さんを監区外の庭に押し出し、それを当日の宿直の警官が監視し、1時間近く凍えさせました。その日の気温は零下18.3度で、戻って来た時、陳瑞芹さんは四肢がすでに凍えきっており歩けず、刑事犯たちが陳瑞芹さんを引きずり戻しました」

 「夜、彼らは陳瑞芹さんを眠らせず(受刑者と当該チームのすべての刑事犯が『転向しない』学習者をいつでも懲罰し、口汚くののしった)、彼らは遺体に黙とうして別れを告げるかのように陳瑞芹さんを見つめ、少しも眠らせず、活動を許しませんでした。陳瑞芹さんが目を閉じると、指で力いっぱい唇をはじいたり、ほっぺたにびんたを食らわせたりしました。夜は宿直の刑事犯も一緒に立って、陳瑞芹さんに目を閉じさせず、チーム全員で眠ることを阻止していました。ある夜、陳瑞芹さんが眠くてたまらず目を閉じると、受刑者の1人が後ろから陳瑞芹さんを押したので、不意打ちを食らい、体が地面にうつぶせに倒れました。朝になって見てみると、顔全体、鼻、目などがすべて黒紫色になっていました。(監房はすべて監視されていた)・・・」

 警官と受刑者、および刑事犯の手を変え品を変えた学習者に対する迫害は、その手段が極端に走っており、人としての最低限の道徳をはるかに逸脱しており、人の耐える能力を越えていた。陳瑞芹さんは長期にわたって罰として立たされ、眠らせてもらえず、トイレにも行かせてもらえず、警官は受刑者に指示して陳瑞芹さんに苦痛を与え続けた。受刑者は小便桶や椅子などをその手でつかんで陳瑞芹さんを殴り、「杜大隊が勤務の時は、いつでも殴ることができる」と言った。杜艶は30歳過ぎで、610弁公室で専門に育成され、法輪功への迫害を主管しており、本人の話によると「報いに遭って、もう少しで死ぬところだったのだ」という。杜艶は受刑者を養成訓練し、長編の洗脳資料を暗記させ、受刑者たちを利用して学習者を迫害していた。

 悪人どもは長期にわたり陳瑞芹さんをトイレに行かせなかったので、ズボンの中で用を足さざるを得ず(しかも体を洗わせなかった)、このままの状態で12人が入っている監房に戻された。刑事犯たちは昼間は超負荷労働をさせられ、夜は放たれる悪臭のためにぐっすりと休めず、寒い冬でもひと晩中窓を開けて風を通さなければならなかった。そのため、刑事犯たちの恨みが天をつき、みな陳瑞芹さんを非難して怒鳴り散らし、警官に報告した。すると、警官は態度を明確にし、「が『転向』しないのだからどうしようもない、お前達が何とかするように」と言った。ある程度時間が経つと、陳瑞芹さんは水のパイプで体を洗うことが許されるようになった。陳瑞芹さんは苦しめられて人間らしい様子がなくなり、けいれんを起こして口から泡を出して床に倒れた。また、気がぼーっとしていた時に、いわゆる『転向』させられたが、正気に返るとすぐに信仰を堅持する声明を行った。

 監区では、上から下まですべての警官が学習者を「転向」させることに加担し、代わる代わる洗脳し、十分に邪悪な人材ほど容易に上級からひきぬかれた。警官は陳瑞芹さんの家で内情を探し—いわゆる「配慮」に訪れ「正常人」とするために陳瑞芹さんを共同で助ける、という名のもとに家族を騙した。そして、刑務所の警察が自分の一家にとって本当に良いものだと家族に信じさせた。また、共産党に迫害された家族の恨みが陳瑞芹さん自身に降りかかるように仕向け、陳瑞芹さんを非難し、信仰を放棄するよう共同で陳瑞芹さんに要求した。警官たちは人々の前で機を見計らって、本当に涙に泣きぬれながら是非を転倒させ、恥知らずにも、「すみませんが、陳瑞芹さんはあなたの娘さんですか? お子さんが6歳の時、あなたは労働教養に行っていましたよね(共産党の警官に不当に連行され、労働教養に科されていた)・・・」と言った。共産党の警官ら関係者は白黒を逆転させ、組織的なコントロールと手配により、学習者を悪どくけなしおとしめた。そして、学習者のイメージを醜く描くのだが、家族が警官たちの偽善にごまかされ、警官と一緒に立ち上がった途端、警官は学習者たちの家族を迫害し始め、一層責め立てた。こうなると、警官たちには共産党という後ろ盾があるので、恐れるものは何もなくなった。

 共産党が法輪功を迫害して以来、天津女子刑務所はずっと江沢民の政治集団に追随し、学習者を残酷に迫害した。また、いわゆる「転向率」を達成するために、手段を選ばず各種の悪どい方法を利用し、特に修煉を放棄しない学習者への迫害はさらに残忍非道であった。迫害に加担した警官は、高文媛、於珍、崔学静、徐莉頴、杜艶、姚瑤、王恬、李紅などである。そして、迫害に加担した刑事犯の受刑者は、張慕蕊、郭莉塋、呉丹、崔洪玉、李明である。

 陳瑞芹(陳瑞琴)さんはまた、かつて何度も不当に労働教養に科され、板橋女子労働教養所において脱がされた靴でびんたされ、眠らせてもらえず、重労働をさせられ、毎日小さな椅子に座らされ、隔離された上に居住を監視され、独房に監禁され、野蛮な灌食による迫害を受けた。また、「攻堅大隊(訳注:刑務所で法輪功学習者に対する迫害を専門に行う監区)」や「厳しく管理する班」に入れらて、残酷な苦痛を受け続けた。

 (註:法輪功學習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中國語のページを參照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/29/353101.html)
 
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