文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年9月18日】私はネットで山東省、遼寧省等地方の大法弟子が嫌がらせをされたことを見て、恐怖心が全くないとは言えませんでした。地元の警察に私は重要人物だと見られていましたが、私は認めませんでした。8月15日に誰かがドアをノックしました。ドアを開けたら、50歳過ぎた人が笑いながら私に、「あなたはXXXさんですか?」と丁寧に聞きました。私は、「そうです」と答えました。彼は派出所の者だと言い、後ろに2人の20代の若者がいました。「お入りください」と私は彼らに言いました。
ソファに座ってもらい、年上の人に私の煉功状況、電話番号を聞かれ、私は、「電話番号がありません。長年監視されていたので、もうなくなりました」と答えました。私はリビングの真ん中に立ち、自分の体験したことを述べ、彼らの質問に答えませんでした。心に、「煉功するかどうか、あなたは聞く資格がなく、私は答える必要もない。私は師父にしか管理されないので、あなたに聞かれることはない」と思いながら、和やかに、私がどれだけ忙しかったか、子供の面倒を見ながら、3人の老人の介護もしなければならなかった日常生活を話しました。私は、「会社に監視されていたので、母に買ってあげた薬をまだ届けて行く時間がありませんでした」と言いました。
ちょうど会社の同僚が家に会いに来たので、彼らに紹介しました。「同僚が会いに来ました。昨日私は孫の買い物に行ったときに、同僚の婿さんの車にちょっとぶつけられました。大したことはないと思い、迷惑をかけたくなかったので、気にしなくていいと言いました。以前にも知らない人にぶつけられ、今回よりひどかったが、ゆすり取るつもりはなく、自分で自転車に乗って帰りました。今日同僚がどうしても会いに来たいと言ってくれたので、ちょうどあなた達にお会いできました」と私は言いました。それをきっかけに、私はどうすれば良い人になれるかを話しました。警官達にも病院に行ったほうがいいと言われましたが、私は、「ただ腕が引っ張られるようで、少し痛みがあり、足にすり傷があるので、2、3日休んだら治ります。病院に行き、レントゲンを撮ったりすると、余計なお金がかかります。わざとやったのではないのに、ゆすり取ることをしてはいけません」と言いました。
私は、ある日スーパーで1台のタクシーに電動自転車に乗っていて轢かれたことを言いました。十数カ所も傷付き、膝から血が流れて、首にもすり傷があり、靴下も破れました。運転手さんがびっくりして、私を病院に連れていき検査すると言ってくれましたが、私は「大丈夫です。法輪功を修煉しているので、ゆすり取ることはしませんよ」と言ったら、彼は、「ありがとうございます! 今日は本当に菩薩様にお会いできました! 他の人なら、2万元取られたかもしれません。ありがとうございます! ありがとうございます!」と感動しました。私は、「どういたしまして。法輪大法は素晴らしい! と覚えてください。災難に遭うときに命を守られます!」と言いました。少し休んで、私はスーパーでたくさんの買い物をして、入院していた舅の見舞いに行きました。夫は聞いて、「なぜ病院に行かなかったのか」と文句を言い、私は、「大丈夫です。数日間家で休んだら治るから」と言い、自転車で帰りました。
私は警官達に、「2002年に人間性を失った警官達に気絶するまで暴行され、腰を損傷し、耳も聞こえなくなり、私の体は十数年経ってもずっと恢復しませんでした。聴力を恢復するまで長い間かかりました。腕も損傷で太もものように浮腫んでいて、茄子のような色になり、また毎日200回の腕立て伏せをやらないといけないと言われました。腕が損傷しなくてもできないのに、体の全ての力が腰にかかり、腰の軟骨組織が損傷して、家でも外でも力が入らず、家庭にも仕事にもはかりしれないほど損失をもたらしました」と言いました。
私は自然に警官達に私のストリーに入り込んでもらい、心に善念を持ち、彼らを身内だと思いながら彼らに真相を伝えました。彼らは福があり、知恵がある賢い人達でした。そうでなければ、このような仕事ができず、警察にも入れませんでした。しかし、警察に入れば悪い人を管理しなければなりませんが、極悪非道なことをしてはいけません。悪人に従い悪事を働いてはならず、江沢民の副葬品になってはいけません。
彼ら3人は生々しい事実に感動し、笑顔が出て、大法弟子は本当に良い人であり、他人のために考える人達だとわかってくれたようでした。
突然私は咳が出て、話ができなくなりました。旧勢力からの妨害か、師父に現した状態はわかりませんでしたが、私はまだ真相を述べたかったのに、彼らはしばらくして帰りました、それ以外に何も言いませんでした。