文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年8月11日】5年前の春、私と数人の同修が同時に連行され、家財を押収されました。地元の派出所の警官が私の家に不法に侵入した時、私は自分の部屋(資料室)のドアを無造作に閉めて、「この部屋はダメです」と言いました。すると所長は「よし、この部屋は捜査しない」と言いました。若い警官が私のノートパソコンを探し出して、所長に渡しました。所長は「これはあなたのものですか?」と聞いて、椅子に置きました。所長が大法弟子を保護したことを私ははっきりと感じました。
中国共産党の黒幕について、梅さんは「法輪功への迫害の指示は全部口頭で伝えられるので、正式な文書はありませんが、法を犯していることについてはすべて、派出所の中の警官はみな知っています。あなたたちはみんないい人なのに、なぜ『犯罪者』にされてしまったのですか? みんな優しい方に見えますし、なぜここに連行されてきたのですか? 江沢民は絶対に頭がおかしいです!」と言いました。
その時、梅さんは自分の携帯電話を私に貸してくれ、外と連絡を取れない時に私は梅さんの携帯電話で緊急な用件を処理しました。とても感動しました。翌日、梅さんは署長に厳しく警告され、毎日私との接触が多すぎる、警察官としてのイメージに注意してください、と梅さんは脅されました。そこで私が申し訳ない気持ちを表すと、梅さんは「お姉さんは心配しないでください。大丈夫ですよ。彼らが私にこの仕事をさせなかったら、それは私の意にかないます。もうこの仕事はやりたくないのです。またほかを受験します(全省公務員試験で、梅さんは第4位だった)」と言いました。
留置場内で、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)や610弁公室の人員は私を尋問し、警官たちは自分たちが欲しい内容を私の口から聞き出したかったのですが、梅さんは数回部屋の中に入って国保大隊の人員と渡り合い、警官たちに早めに終わらせるよう促したり、うやむやにさせたりして、私に発正念の時間を与えてくれました。留置場にいた三十数日の間に、梅さんと親友になりました。梅さんは私を尊敬し、面倒を見てくれて、毎日果物やおやつを持ってきてくれました。私が不当な労働教養2年を科されたと知った梅さんは、私の肩でこらえきれずに泣きました。
私が留置場から離れたその日、梅さんはいませんでした。梅さんが出勤した時、留置場の独房で私を探しましたが、私はすでに省女子労働教養所に移された後でした。梅さんはまた泣き出して、すぐ私の夫と一緒に労働教養所に会いに来ました。しかし残念なのは、梅さんはいとこの身分で面会しようとしましたが、面会できませんでした。
省女子労働教養所の初日、お医者さんに会いました。そのお医者さんは刑務所の警官に「この人に仕事をさせないように、何も働かせないように、体が悪いからです」と言いました。そのお医者さんは警官に毎日3回私を医務室に連れて来るように要求し、医務室に来るたびに、私はお医者さんと交流しました。私は「お優しいですね!」と言うと、医師は「あなたも優しい方ですね」と答えました。言うまでもなく、お医者さんは法輪功の真相を知っており、大法弟子を保護していました。その医師はしばしば私たちの働く場所を見に来ては、警官が私を働かせようとしていないか、大法を誹謗中傷する本を見せていないかを見に来ました。まもなくすると、この医師の保護のもとで、労働教養所側に受け入れを拒否され、私は帰宅しました。
短い十数日間に、派出所から留置場へ、また女子労働教養所で、私は多くの尊い衆生と接触し、今思い出しても目に浮かぶようです。留置場の江という女性警官(仮名)はその日、私が省女子労働教養所に行くことを知らせてくれた時、泣きそうになり、私の荷物を持ってくれて、入り口までずっと送ってくれて、言いたいことがたくさんあるのに、何も話せないようでした。留置場の王という主管は、受刑者の前で「法輪功の学習者を見ならって、どのようにすればいいかをみんなで考えてください、法輪功はやっぱりすばらしい!」と言いました。
省女子労働教養所の女性幹部は、ある日私と深夜まで話して、自分はこの仕事をやりたくない、自分がこの仕事をやって報われるかどうか、と心配しました。その幹部のどうしようもない様子を今でもはっきりと覚えています。
江沢民グループの法輪大法への誹謗中傷は徹底的に失敗しました!