瀋陽東陵刑務所の学習者を迫害する残酷な手段
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 【明慧日本2017年10月1日】遼寧省瀋陽市の渾南区東陵路に位置する瀋陽東陵刑務所は、遼寧省内での男性法輪功学習者を迫害する場所の一つである。そこでは100パーセントの転向率の目標を達成するために、刑務所では各種の残忍な手段を用いて法輪功学習者の肉体と精神に凄まじい拷問を加えている。また、「法輪功を放棄する」という本心と違う態度を表明するまで痛めつけ、強制した。以下の実例は、法輪功学習者が瀋陽東陵刑務所で受けた凄まじい迫害の実例で、これはほんの氷山の一角を暴き出したに過ぎないものである。

 典型な迫害の実例

 白玉甫さん:無残にまで灌食され続け、足の爪を剥がされ、薄っぺらい金属と歯ブラシで傷口をほじくられ、小さな腰掛けに座らされる

 2009年4月25日、鉄嶺市の法輪功学習者・白玉甫さん(42)は、断食して瀋陽東陵刑務所の迫害に抗議した。3日後、白さんは刑務所病院に送られ、手足を手錠でベッドにはめられて、睡眠薬を混ぜてあるトウモロコシのかゆを灌食された。刑務所は4人の受刑者を2組に分けて交替させ、白さんを監視するように指示し、白さんが目をちょっとでも閉じるとすぐ殴られ、眠らせなかった。

'酷刑演示:固定灌食'

拷問の実演写真:身体を固定され、灌食される

 7日後、刑務所は4人の受刑者を交代させ、また他の4人の受刑者を派遣して来た。獄政課長・陳名強と獄偵課長・柴光沢は、「白を寝させないことができるなら、どんな方法でも構わない」と4人に指示しながら、つまようじを配った。そして「よくできたら減刑してやる」と一言付け加えた。

 2009年5月4日、白さんの足の指が刺されてボロボロになり、親指と2番目の指の爪はすべて剥がされた。5月6日、課長の陳は受刑者に薄っぺらい金属と歯ブラシで白さんの傷口をほじくるようにと指図した。5月8日、白さんは苦しめられ気絶した。目が覚めた後、また手のひら大の小さな腰掛けに座らされ、朝5時から夜9時までずっと座ったままの姿勢をとるように強制された。同時に、口の中にトウモロコシのかゆを注がれた。このような無残な拷問は5月28日まで続いた。

 徐大為さん:迫害され心神喪失になり、刑期の満期日から13日目に死亡

 撫順市清原県の法輪功学習者・徐大為さんは、2001年1月、瀋陽市和平区勝利派出所の警官に連行された後、和平区裁判所に懲役8年の不当な判決を下された。8年間、徐さんは相前後して瀋陽大北刑務所、凌源第1刑務所、撫順第2刑務所、瀋陽東陵刑務所に転々と移送された。そこで長期にわたり手錠と足かせを付けられ、めった打ちにされ、「大掛」という刑具にかけられ、強行に灌食され、ゴムの管で叩かれ、針で刺され、電気棒で電気ショックを与えられるなど、想像を超えた残忍な迫害を受けた。瀋陽東陵刑務所で拘禁された2年間に、徐さんは最も残酷な迫害を受けた。2009年2月3日、冤罪の満期日となった徐さんはすでに心神喪失になり、無表情で、眼光が呆然としており、身体中は傷だらけで、骨と皮ばかりにやせこけて、自分の家族さえも分からなくなっていた。

'冤狱期满的徐大为'

冤罪の満期日となった当時の徐大為さん

 家に帰った後の徐さんは、壁の隅にしゃがみ込んで動かず、誰を見ても大変恐れる様子だった。それを目にした家族は、「もう家に帰ったから、恐れなくていいよ」と慰めた。徐さんの意識は時にははっきりしていて、時には混乱していた。意識が覚めた時、徐さんは、「東陵刑務所は邪悪すぎて、精神病を引き起こす薬を注射されたり、無理やり薬を飲ませたりした。壁の隅で手錠をはめたまま殴ったり蹴ったりして、僕を何度も気絶させた。それから、しょっちゅう真っ暗な独房に閉じ込めた」と話したことがあった。2009年2月16日、帰宅して13日目の徐さんは、無念の思いを晴らせないまま死亡した。享年36歳だった。

 康鉄偉さん:脛足は骨折させられ、歯は打ち落とされ、吸い殻を浸した水に蠅の死体を入れ飲まされる

 本渓市の法輪功学習者・康鉄偉さんは、2007年4月13日の夜明け方、自宅から不当に連行された。2008年7月、渓湖区裁判所に懲役6年6カ月の不当な判決を下された後、瀋陽東陵刑務所の4監区に拘禁された。2011年6月、刑務所は強行に康さんを転向させようとして、ひどい暴力を受け、康さんの脛足が骨折し、歯は打ち落とされた。また、吸い殻を浸した水の中に蠅の死体を入れて、康さんの口の中へ無理やり注ぎ込んだ。

'酷刑演示:暴打'

拷問の実演写真:寄ってたかって暴力を振るわれる

 郎慶晟さん:連続2日間、昼夜しゃがんだままの姿勢で固定され、一睡も眠らせず、ひどく殴られ意識が朦朧とする

 東港市の法輪功学習者・郎慶晟さん(62)は、2007年12月25日、東港市裁判所に懲役6年の不当な判決を下された。2008年6月12日、瀋陽東陵刑務所に拘禁された。2011年7月6日、刑務所の警官らは数人の受刑者に、郎さんを連続2日の間、昼夜しゃがんだままの姿勢で固定し、一睡も眠らせないように、目を閉じればすぐ殴れと指示した。2日後、郎さんの意識が朦朧として、両足は腫れて上がり、血圧は急速に220 mmHgまではね上がった。

 焦林さん:滅多打ちにされ、「大掛」に掛けられ、昼夜手錠で指定場所に固定される

 鳳城市の法輪功学習者・焦林さんは、2011年5月30日、鳳城市裁判所に懲役3年の不当な判決を下され、瀋陽東陵刑務所に拘禁された。そこで、焦さんは数人の受刑者に滅多打ちにされ、重体になり、何回も病院に運ばれたことがある。警官は焦さんに手錠をはめ、拷問「大掛」に掛けられた。その拷問「大掛」とは、指定場所に固定し大の字に体を開き、手足を縛りあげて宙吊りにし、24時間動くことを許さないという凄まじいもので、そのため焦さんの身体はひどく浮腫み、身体に大きなダメージを与えた。

 2011年11月17日、家族は瀋陽東陵刑務所に行き、苦しめられ骨と皮ばかりにやせこけた焦さんと面会した。その時、焦さんの両腕は手錠のきつい締め付けにより、ひどく腫れ上がっており、足は持ち上げられず、歩く事もできず、非常に困難な姿を家族は目にした。それは、拷問「大掛」に掛けられたあとの症状と大変似ていた。

'酷刑演示:上大挂(抻床)'

拷問の実演写真:ベッド上でする「大掛」(伸ばしベッドともいう)

 トン海波さん:殴打され、陰毛を抜かれ、尿を注がれる

 朝陽市の法輪功学習者・トン海波さんは、2014年10月27日、瀋陽和平区裁判所に懲役3年の不当な判決を下され、2015年4月27日に瀋陽東陵刑務所に拘禁された。トンさんは刑務所に拘禁された約1カ月の間(4月27日~5月20日)、残虐な拷問を受けた。 警官の鞠伝再は、刑務所内の受刑者に指示して、寝させない、陰毛を抜く、小便を注ぐ、殴打するなどの拷問を繰り返し、非人道的な手段でトンさんを苦しめ、法輪功を放棄することを強要した。

 李論さん:つまようじで下半身を刺され、スタンガンで電気ショックを与えられ、口の中に尿を注がれ、独房に閉じ込められる

 灯塔市の法輪功学習者・李論さんは、昨年1月20日、地元の警官に不当に連行され、同時に家財を押収された。その後、灯塔市裁判所に懲役4年の不当な判決を下された。瀋陽東陵刑務所で、受刑者らは警官の指図の下で、李さんに対して数日間連続して眠らせず、靴の底で頭を打ったり、つまようじで生殖器を刺したりした。また、スタンガンで電気ショックを与え、口の中に尿を注ぎ、独房に閉じ込めるなどの方法で李さんを苦しめた。

酷刑演示:电棍电击

拷問の実演写真:スタンガンで電気ショックを与える

 王鵬義さん:ひどく顔を打たれて変形する

 撫順市の王鵬義さんは、昨年4月に瀋陽東陵刑務所に拘禁された。5月19日、刑務所の警官・孫鵬、陳飛らは、王さんを転向させようとした時、王さんは法輪功迫害の事実を説明し善を勧めたが、警官は話を聞かず、王さんを罵ったり、靴の底で王さんの顔と頭をひどく叩いたりした。昼から夕方にかけて絶えず暴力を振るわれたため、王さんの顔が腫れ上がって変形し、意識が朦朧となった。

'酷刑演示:鞋底打脸'

拷問の実演写真:靴の底で顔を叩く

 5月22日夜8時30分、陳飛はまた王さんに暴力を振るい始め、明け方3時まで続きようやくやめた。

 鄭守君さん:刑務所で拷問を受け、2週間も経たないうちに迫害死する

 瀋陽市の法輪功学習者・鄭守君さんは、2006年2月に遼中留置場に不当に連行された。遼中留置場で、鄭さんは何度も断食して迫害に抗議したため、野蛮な灌食に遭った。警官・李偉らに滅多打ちにされ、鄭さんは頭部に重傷を負ったにもかかわらず、懲役4年の不当な判決を下された。

'郑守君'

鄭守君さん

 2008年8月6日、鄭さんは秘密裏に瀋陽東陵刑務所に拘禁された。8月19日、東陵刑務所は家族に電話をかけ、「『監管病院』へ鄭守君を見に行きなさい」との内容だった。しかし、家族が見たのは鄭さんの遺体であった。遺体の頭部は腫れて変形し、顔面は青色になり、ショート・パンツだけを穿いて、両手は懸命にもがく形のままの姿で亡くなっていた。刑務所に拘禁されて2週間も経たないうちに、44歳の若さで鄭さんは迫害され死に至った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/5/352089.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2017/9/5/165304.html)
 
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