文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年10月23日】私は意外にも過失傷害罪で2001年、留置場に拘束されました。世間に馴染めず、独りよがりの私にとって、その打撃は大きすぎて、まるで天が崩れ落ちたかのような感じでした。今まで苦心して営んできた家庭も事業も、そして、世の中のすべてを失ってしまいそうになりました。当時の私の心は「引き裂かれた」と言う言葉で表現しても、少しも大げさではありませんでした。その痛さはまるで体の中から火に焼かれ、焙られ、焦げて、焼き殺されるようなものでした。
苦しみの中には強烈な恐怖心がありました。私は今までずっと、自分が良い人だと思っていました。高等教育を受け、人に尊敬され、模範にされ、キャリアウーマンで、すべては羨ましがられる存在でした。しかし、今から見れば、私が受けた教育、学んだ道理や規則、そして私のやり方のすべてが失敗で間違っていました。なぜなら、私は人より優位に立とうとして、そして金銭や利益を追求し、このような価値観の下、犯罪に走るのは本当に簡単なことで、ちょっと気が緩んでしまうと、ずるずるとここまで落ちてしまうのです。
それではこれから、私はどうすればいいでしょうか? どんな基準で対処すれば間違いを犯さず、罪も犯さないでいられるでしょうか? どこが安全な場所なのか? 過去を否定すれば、これからはどうすればいいのでしょうか? 心の中は不安と恐怖でいっぱいでした。私は完全に崩壊し、目の前が真っ暗になりました。これは人が信仰心を持たないことの恐ろしさと言えるでしょう。
当時、留置場に大勢の法輪功修煉者が拘禁されていました。彼女たちは入って来た時、皆重傷を負っていました。それは事情聴取の際、拷問を受けたからです。しかし、彼女たちは非常に穏やかで、優しくて、怨まず文句も言わず、いつも自分の不足を探していました。
その後、私は法輪功が佛法修煉であること、そして、この世に、この宇宙に「真・善・忍」という特性があることを知りました。さらに、「真・善・忍」は人として自分自身を律する基準であり、それに基づいて行えば本当の良い人になることができるということも分かりました。不安な気持ちは一気になくなり、とても落ち着いてきました。私はやっと人の身を処す本当の道理、真実、善良、忍耐を探し当てました。この留置場で私は修煉の道を歩み始めました。
法輪大法は、私の焼け焦げて乾いた心に息を吹き込んで下さいました。留置場に大法の本はないのですが、私は法輪功修煉者から話を聞き、彼らが暗唱できる師父の経文と『洪吟』を暗唱しました。最初に覚えたのは「富ありて徳もある」でした。「人間が冨を手に入れたければ、まず徳を積み、善を行い、強引に奪うのは危険に走ることだ」、実に素晴らしく、その通りだと思いました。私は一回また一回暗唱しました。私は楽しくなり、嬉しくなり、暗唱すればするほどいろんな道理が分かり、そして、人間の生きる真の目的は返本帰真であることが分かりました。私も自分の天国にある本当の家に帰りたいと思いました。
修煉を始めて数日後、私は天目から、自分が粗末で真っ暗な部屋に座って、机に伏せて寝ているのを見ました。そして、私は目が覚めました。扉から一条の光が射し込んできました。私は立ち上がり、扉に向かって歩き出し、そして、外に出ました。わあ、日差しが美しく、果てしない雲海が素晴らしく広がっていました。私は高い、高い雲の上に立っていました。本当に雄大な光景でした! 私が暗闇から明るい光に向かって歩き出すよう、師父は啓発して下さいました。
修煉してから、私はとにかく楽しくて、嬉しくて仕方ありません。私は楽しく法を学び、楽しく修煉し、自分の刑のことをすっかり忘れ、そして、すべてのこと、刑務所に収監されていることさえ、気にしなくなりました。刑務所に送られた当日、十数人の同修も一緒でした。彼女たちも重い刑を科された人でした。車の中で、私達は一緒に法を暗唱し、法を学び、互いに交流し、励まし合いました。本来、午前中に到着する予定でしたが、車は丸一日要して、夕方やっと到着しました。師父は私達に一日一緒に法を学ぶ時間を与えて下さったのです。
私は刑務所でも勇敢に出ていって、大法の素晴らしさを実証しました。法輪功を修煉するという理由で、私はさらに3年の刑を延長されました。合わせて十数年間迫害されましたが、しかし、大法を修煉する固い意志は変わりません。なぜなら、私の命は大法から授かったのであり、私のすべては大法のものだからです。
師父に感謝いたします!
同修の皆さんに感謝いたします!