文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月1日】若いときのことですが、私と両親が新しいマンションに引越ししてまもなく、上の階に住む若者が私のことを一目ぼれして、好きになりました。そして、彼は仲人を探し、縁談を進めました。両家の親はともに同意したため、2カ月後んい私たちは婚約しました。それから、親たちはその年の10月1日に私たちの結婚式を決め、彼の両親が家具、布団などの必要品を用意すると言いました。うちの母は彼の両親に「結婚式の日、お茶と飴だけを用意して、そちら側のお客さんを招待すればいいです」と話しました。彼の両親は満面の笑みで、「先に婚姻届を出してください。2人の住む家を申請しないといけないから」と言いました。順調に進んで、私たちは9月5に婚姻届を出しました。
一 結婚も離婚もできなくなった
結婚式が近づき、ほかの地方に住む親戚たちは嫁を出すように我が家にきました。しかし、夫の家のほうは私たちが住む家の申請をしていないし、結婚式を挙げる用意もしていません。そのことで、母は仲人を訪ね、状況を聞いたところ、仲人は「こんな人たち、初めてだよ。婚姻届を出したから、式を挙げなくても結婚したというのよ」と怒りました。なんと、夫の家は私たちの結婚式を挙げないつもりです。仕方なく、結婚式がなくなったので、親戚友人は帰っていきました。そのとき、父が重い心臓病を患って、入院していたので、母は父の介護をしなければならず、私のことに手が回らなかったのです。10月の末、父は亡くなりました。
ある日、姑は棒を持って家にやって来て、私に向かって棒で指しながら、「お前、人と結婚するのか? それともお金と結婚するのか? 婚姻届を出したので結婚したに等しい。お金がほしいのなら、一文もない」と大声を出しながら、棒で家のベッドを叩きました。私は怖くて呆然として、ただ涙が流れ、言い返す言葉は見つかりませんでした。そのとき、家に遊びに来ていた同僚たちも怖くて泣き出しました。しばらくして、姑はドアをパンと強く閉めて帰りました。
私の家は3階で、夫の家は真上の4階です。ある日、私がベランダでほかの人と話しているとき、姑は私たちの話が聞こえたので、洗面器に水を張り、私のほうへ向かってかけてきましたが、私は急いで避けました。またある日、私がベランダに立っているとき、姑は鳥の糞を私の頭に向けて投げつけました。姑と廊下で会って挨拶をしても、返事がないばかりでなく、私に向かってつばを吐きました。その時期、私はとても辛くて、本当に天が崩れたように感じました。「嫁に行ってもいないのに、姑は私に対してこんな嫌がらせがするのだから、本当に、嫁に行ったらどうやって暮らせばよいのか? 彼と別れたいが、婚姻届も出したので、離婚の手続きをしないといけない」と考えました。当時、離婚はとても恥ずかしいことでした。本当に恥ずかしくて、生きていけないと思って、遺書を書き、自殺することも考えしました。しかし、「私は小さいときから、親孝行で、父は病気で、母は介護で疲れきっていて、お爺さんの世話をする人がおらず、私までいなくなったら、母はどうやって生きていくのか」とも考えました。ストレスで、歯が痛んだことがなかった私は左下の歯が痛んで落ちてしまって、体重も35キロまで痩せてしまったのです。
悲しくて、悩んだ末、私は夫と別れることに決心しました。しかし、勤め先、街道、民政局(婚姻届を受け付けたところ)に足を運び、離婚を申し立てましたが、調停しかしてくれず、離婚の受付をしてくれませんでした。仕方なく、私は思いきって裁判所に行きましたが、やはり受理してくれなかったのです。理由としては、私たち2人は一緒に生活もしていないし、婚姻関係が破綻したとは判断できないからでした。母も私に「相手は勤勉で、悪い人ではない。あなたたちは縁があるのよ。彼だけをみて、彼の親のことを見ないで、自分たちの力で何とかしたら」と、話してくれました。
婚姻届を提出して3年経って、私の勤め先の上司、同僚、友人、近隣たちが夫の両親を懸命に説得した結果、夫の両親はやっと、私たちの結婚式を挙げることにしました。婚礼前に義理の両親が私に500元をくれると約束しましたが、式後に姑はその500元のことをさっぱり忘れてしまいました。
結婚式を挙げた1年後、子供が生まれました。子供を生んだばかりにもかかわらず、姑は一度も私にご飯を作ってくれず、かえって、私のことを甘ったれ子だと夫に言いつけました。夫は姑の話を信じて私と喧嘩をしました。当時の私は本当に悔しくて泣いてばかりで、目を痛めてカレンダーの文字さえ、見えづらくなりました。頭、目・背中・手首が痛み、リウマチで足もひどく痛みました。お腹が空くと、すぐ全身が汗まみれになり、力が入らず、歩けなくなる症状も出ました。子供を生んで、多くの病気を患って、さまざまな治療法を試しましたが、効果がありませんでした。
二 不平不満に満ち溢れた嫁がいい嫁に
子供が7歳のとき、私の心臓病がひどくなり、自立生活ができなくなりました。ある人から法輪大法が健康に素晴らしい効果があると紹介されて、私は「手当たりしだいに医者に診てもらう」と考えて、法輪大法を学び始めました。しかし、『轉法輪』を読むと、字が大きく見え、目も疲れず、飽きることがなく、心地よく読み続けました。「この本は私が探している真理の本だ」と感激しました。
それから、知らないうちに患っていた病気が全部消え、体が軽くなり、自分の思い通り早く歩いたり、走ったりすることもできました。喜びのあまり、「みなさん、大法を学びにきてください!」と叫びたくなりました。それから、私は『轉法輪』を買い、功法の音楽を買い、友人たちに贈り、みんな大法の恩恵を受けることができるようにしました。
夫と結婚して数年経っても、一度も姑に「お母さん」と呼んだことはありませんでした。というのは、姑に対して一つも良い思い出がなかったからです。しかし、学法を通じて、私は良い人になることを学び、家でもよい嫁にならないといけないという理がわかりました。そして、私は夫と子供3人で『轉法輪』を持って、姑が好きな食べ物をたくさん買って、夫の実家に姑に会いに行きました。家に入って、私が「お母さん、会いに来ました」と声をかけると、姑も嬉しそうでした。その後、私は姑の好きなものを持って、頻繁に義理の両親に会いに行きました。夏、私は義理の両親の布団をきれいに洗い、お正月前には、家の掃除をしました。姑は長年タバコを吸っているため、痰が多くてよく咳をしましたが、私は姑に食べたいものを買ってあげ、タバコをやめるように勧めました。近隣たちは私のことをいい嫁だと褒めてくれました。
夫は5人兄弟で、姑と舅は長女のことが一番好きで、長女の世話と長女の子供を世話しました。舅はかつて、「私たちは死ぬときも長女の家で死ぬ。私たちはもの乞いになっても、あなたたち(私の家)の家に行かない」と話したことがありました。長女の子供2人が大学を卒業して、姑と舅も歳をとりました。しかし、長女は両親と喧嘩ばかりしていて、義理の両親はともに病気になってしまいました。私はそのことを知って、義理の両親を我が家に迎えました。
舅は病状が重くなり、私は4千元の給料の仕事を止め、義理の両親の世話をすることにしました。舅が入院したとき、私は毎日、3回の食事を作って持って行きました。舅が食事をするとき、ご飯が気管に入らないように私は舅を抱え上げて、姑が舅に食べさせました。舅が便を粗相したとき、私は姑に協力し、着替えさせました。医者と病室の人は姑に「あなたたちは、本当に幸せだね。親孝行の娘がいるから」と話しました。すると、姑が「娘じゃないよ。嫁だよ」と微笑んで返事しました。
しかし、病気の舅はとうしても私に不満があり、私を罵ったり、殴ったりもしました。ある日の朝、私が朝ご飯を持って行ったとき、舅は突然、私に向かって、「出て行け! すぐに出て行け」と叫びました。私は怒らず、微笑みながら、「ご飯を食べて、薬を持ってきてから、出て行くよ」と言いました。周りの人に褒められたときも、舅は「この人、どこが良いの、わからない」と言っていました。時々、「どんなに八つ当たりされても、平気でいられるが、わざわざ良い人じゃないといわれると、嫌だな。ほかの子供たちが見舞いにもきてくれないのに、ほかの子供のことを心配ばかりしている」と舅に対して、不平に思うときがありましたが、大法をよく学んで、師父が私の心のしこりを解いてくださいました。「業の応報です。前世か、前々世かに舅に、今舅が私にしたことと同じことをしたかもしれない」と思うと、「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[1]を思い出して暗唱しました。
舅が亡くなった後、姑の古い家が壊され新しいマンションを割り当てられました。私はその家の内装をしてあげました。新しい政策では年配の人は退職証明書を準備することができると聞いて、私は2週間もあちこち走り回って、必要な手続きをして、労働局に行きました。労働局の人は「姑なのに、あなたはなぜ、そこまで力を尽くすの? 」と聞かれ、「姑は母ですから」と答えました。その答えに彼らは驚いたようで、私の顔をじっと見つめました。
現在、姑は新しい家に引越して、毎月年金をもらって生活しています。近隣に「あなたは晩年、福があったね。嫁があんなに親孝行してくれたもの。どこからその嫁をもらったの?」と羨ましそうに言うと、姑は「灯篭を持って、嫁を探してきたのよ」と嬉しそうに話しました。数日前、私が姑の家に行ったとき、家に入ると、姑は突然私を抱きキスをして、「私は今、あなただけを思っているのよ」と話しました。
私がいい嫁になったのは、法輪大法の教えの「真・善・忍」に従って、心性を修め、心身ともに恩恵を受けたおかげです。
現在、私たち一家はとても幸せに暮らしています!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」