法を一心に暗記する
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2017年11月19日】最近、80歳になった私は法の暗記を始めました。なぜ今になって法の暗記を思い立ったかと言うと、ことの初めから言わなければなりません。

 今年9月、私は修煉を始めたころでさえ犯さなかったいくつかの間違いを犯しました。

 ある日、ある40代の女性に大法の真相を伝えて「さよなら」と言った後、道端の緑地の横にある低い塀を見て、大法を修煉している自分が超常であることを彼女に見せようとした私はジャンプしてその塀を軽く跨ろうとしましたが、飛び上がった瞬間、頭に鉛を詰め込まれたように重く感じ、そのまま頭から地面に向かって倒れていきました。通りかかった男性は「あっ」という驚きの叫び声をあげました。そのとき、ある力が倒れようとする私の体をまっすぐに支えてくれました。

 師父は再び私を助けて下さいました。心の落ち着きを取り戻していないうち、私はこれが膨張した顕示心がもたらした結果だと分かり、「またも師父にご迷惑をお掛けした。21年も修煉してきて、いまだにこんなに重い顕示心を持っていて、肝心なときに法さえ忘れてしまった」と思い、すごく恥ずかしくなりました。

 別の日に、私は同級生のパーティーに参加しました。周りに座っている同級生たちを見ると、松葉杖を使っている人もいれば、病気で弱っている人もいて、彼らと比較して、自分が一頭地を抜いているように感じました。「やはり私が一番健康だ。大法を修煉していなければ、私も彼らのようになっているはずだ」とうれしく思った私は帰り道で大きくこけてしまい、全身に痛みを感じました。起き上がって下を見てみると、ズボンが破れてしまい、膝から血が出て、顔にもたくさんの砂が付いていました。「やはり歓喜心による教訓だ」と思いました。顕示心、歓喜心などなど、これらの修煉の初期で取り除くべき執着心は未だに私の身に強烈に現れています。

 修煉の道を振り返り、私は常に勝手気ままに行動していて、法に則っていませんでした。師父は「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1]とおっしゃっています。法はかなり学んでいましたが、なぜ法を得ることができなかったのでしょうか? 時に、法を多く学ぼうと、自分が定めた学法の計画を完成させようとして、任務を終えるように一目で一行を読み、人心を持って天書を読んでいました。時に、私は他人が法を音読している間に寝てしまい、自分が読む番になったとき、どこから読めばよいか分からず、読むチャンスを逃した時もありました。また、独りで学法するとき、上の空になって字を読み漏らした時も度々ありました。この状態で、どうして法を得ることができるでしょうか?

 師父はこのようにおっしゃっています。「真に修煉することができなければ、何も得られません。自分を修煉の人として見なすことができなければ、同じく何も得られません。心性の向上こそ本当の向上です。毎日体操のように煉功したら、死ぬことを免れるというのでしょうか? それは冗談ではありませんか。毎日煉功しても、心性を高められなければ、その人の煉功は私に言わせると体操をするのと同じです。ただそのほんの少しの違いでも、彼はなかなかそれを変えられないのです。変って、常人の観念を捨てるなど全部できたら、あなたは神になります。それができなければ、あなたは人間なのです。しかしそのすべてができるということは容易なことではありません。積み重ねた修煉によって築きあげた思想の基盤がなければ、切り捨てなさいと教えても彼はそれを切り捨てることができません!」[2] この段落の師父の説法を読んで、私は法を得る唯一の方法が法の暗記だと思い、頭に法理があれば、自分の行動が指導されることになると考えました。

 しかし、いざ法を暗記しようと思うと、私は「記憶力が良くないこの歳では、いつになったら暗記し終えることができるだろうか?」とたじたじになりました。法の暗記に関する同修たちの修煉体験を読んでから、私は同修の方法を真似て一句一句と暗記し始めて、暗記したり読んだり、暗記しながらこう考えました。「師父はこの一句で私たちに何を教えようとされているのか? 表面の意味以外に、どのような深い内涵があるのか? 法理に照らし合わせ、私の行ないはいかがなものか? どれくらい遅れているのか? ……いくら暗記できたかを考えず、とにかく暗記に集中していこう」

 師父は「顕示心理」という節の中でこのようにおっしゃっています。「普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、自分がいかにすごいか、強いかを吹聴します」[3] もし少し早めに法を暗記していたら、80歳という高齢で塀を跨ごうとするような行動を採らなかったのではと思いました。早いうちに法の暗記を始めなかったことを後悔し残念でなりませんをでした! 幸い、正法はまだ終わっておらず、幸い、師父はまだ私の向上を待っておられていて、幸い、私はやっと着実な修煉とは何かが分かりました。

 私は「いくら暗記できたかを気にせず、一心に暗記していきます」と師父にお約束したことがあります。法を暗記する過程で、私は多くの収穫を得て、今まで経験しなかった変化を遂げていると思いました。私の法を読む心がさらに誠実になり、衆生を救う心がさらに切になり、放下できなかった人間の情が薄くなりました……。

 師父の慈悲なるご済度に感謝しております。次元に限りがありますので、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
 [2] 李洪志師父の著作:『ヨーロッパ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/11/356530.html)
 
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