生死の関を乗り越えた夫の悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月27日】私も夫も大法弟子です。しかし、夫は、昨年の7月頃から体重が減少し始め、喉の渇きがひどくなり、口の中が酸っぱくなったり、身体に全く力が入らなかったりなど、病業のような状態に陥ってしまいました。けれども、業力を取り除いていると思えば、これは大したことではない、何日か経てば治ると思い、私も夫も特に気にしていませんでした。しかしながら、間もなくして、夫が急に痩せていき、毎日摂取する水の量が驚くほど多く、体力もますます弱まっていき、終いには、毎日真相資料を配りに出かけることも難しくなってしまったのです。(以前は毎日2人で真相資料を配りに出かけていました)

 ある日、重い体を引きつりながら、チラシ配りから戻ってきた夫は、「今日、状態が非常に悪かったよ。何とか頑張って大きなマンションのポスティングを終わらせ、帰ろうと思った途端に、管理人にポストから半分くらいのチラシを抜かれてしまった」と落ち込みました。それまでこのようなことは一度もなかったので、私も夫の話を聞いてやっと気にし始めました。そして、2人で発正念に力を入れ、毎朝3時くらいから煉功するようにしましたが、何の効果も現れず、それどころか、夫の体調はますます悪化していき、ついに、体を起こすことさえ出来なくなってしまったのです。

 事の厳重性に気づいた私たちは、同修でもある母にこの事を伝えて、3人で一緒に夫に向けて発正念し、また、学法や同修たちの修煉体験文章を読んで、たくさんの執着心を見つけました。しかしながら、この1カ月の間、夫の体調は良くなったり、悪くなったりして、完全には治っていません。ある日、学法チームの協調人のAさんに電話して、家に来るようにお願いしました。きっと私たちがまだ悟れていないところがあるから、このような状態が続いているに違いありません。けれども驚いたことに、家に尋ねてきたAさんも非常に痩せこけており、夫と同じように体力が弱まり、部屋に入って来るなり、ソファーに倒れ込んでしまったのです。彼女がこのような情況だと知っていれば、わざわざ呼び出したりしなかったのにと後悔しました。交流を通じて、このような状況に陥った同修は少なくはないことを知り、どうやら、今回の旧勢力の妨害は大きいもので、明慧から発表された発正念を強めるという文章が出たのも、偶然ではありません。

 Aさんとの交流を通じて、夫の状態は少し良くなりました。そして、その時期に、夫は新たな仕事先を見つけ、現状から徐々に抜け出せると誰もが思っていました。

 しかし、喜ぶのはまだ早かったようです。2週間もしないうちに、夫の体調が再び悪くなり、前回よりも悪化してしまいました。元から太くはない夫でしたが、75キロ以上から50キロ台まで痩せてしまい、180センチ以上の身長のある夫を見て、とても痛々しかったのです。そして、この2回目の打撃で夫は絶望しかけました。私たち家族もどうすればいいのか分からず、ただ毎日彼に正念を保つように励ますしかなく、『洪吟二』の「身は牢屋に臥すれども哀しまないで、正念正行して法在り、幾多の執着の事を静かに考え、人心を片付けば悪は自ずから敗る」[1]という詩も何度も暗唱しました。

 しかし、魔難が訪れる時、正念を保つことは口で言うように容易なことではないし、自分の心も容易く常人の観念に左右されてしまいます。例えば、4、5日間もお通じが来ていないと、何か消化にいいものでも食べようかという念が湧き上がってきます。この念が生じた時、すぐにこの念は正しくないということに気づき、直ちに否定しますが、意志が弱い時、悪い物質や観念がこの隙を突いて出てくるので、発正念して滅さなければなりません。

 こうして、何日間か経過し、ある日、夫は身体を引きずりながら私と同修Aさんと共に真相カレンダーの制作材料を取りに行きました。家に帰ってきた後、身体が少し楽になったと夫が教えてくれたのです。翌日の晩、Aさんと同修Bさんが家に来て、皆で法を勉強し、発正念もしました。少し前までは話す気力さえなかった夫でしたが、その晩はなんと一気に『轉法輪』の1講を読み終えたのです。大きな声で読む夫を見て、皆喜びました。

 幻の病業に苦しめられている間、夫は生死の淵を彷徨い、正念とは何かを悟りました。全ての具合の悪さや、体調が良くない現象は幻なのです。いつまでも体の調子が良くないと思っていると、旧勢力はこの隙を突いて難を大きくし、本当にもう駄目だと思わせます。『轉法輪』に書かれた、ある人の目を塞いで、水道管から流れる水滴のポタッ、ポタの音を聞かせ、自分の血が流れ出していると勘違いさせて、結局その人が死んだと同じようなことなのです。

 私たちは師父の弟子です。師父が見守ってくださっているので、いかなる事も師父が決めてくださいます。宇宙には、自分が欲しがったものは誰も妨害することはできず、自分が欲しくないものは誰も無理に押し込むことはできないという理があります。夫も、自らの正念が強まっていくにつれて、体調もどんどん良くなっていきました。

 多くの場合、自分は法理を理解しているし、師父の教えも分かっているのに、それでもよく同じ場所で躓(つまず)き、なかなか抜け出せないことがよくあるものです。それは、自分がうわべの事しか見ていないからです。根本的に悟れていないから、言動と心が入れ違っていると感じるのです。心が変われば、周りの環境も変わります。つまり、宇宙の理に相応しているということです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩: 『洪吟二』「哀しまないで」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/8/352239.html)
 
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