文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月27日】修煉してから、私はずっと色欲心がなかなか取り除けないことを悩み、落ち込み、甚だしきに至っては自暴自棄になりました。それが故に、長い間、修煉をしない状態に陥り、本当に言葉にならないほど苦しみました。
どうすればそこから抜け出す事ができるでしょうか? 自分は「あなたはまだ大法弟子でしょうか? まだ修煉者でしょうか? あなたはどうすべきでしょうか?」と自問しました。時には学法拠点の同修にどうやって色欲心を取り除いたらいいのかと本気で聞きましたが、同修は笑って答えてくれませんでした。
ある朝、目が覚めたら、私は突然悟りました。「同修がどうのように悟り、どのように色欲心を取り除き、それは同修が法に則って悟ることで、それは同修が歩むべき修煉の道です。修煉に関しては、師父は私達に『修煉には見本はありません』[1] と説かれました。私は大法の中で自らを正し、この色欲心をなかなか取り除けない原因の根っこをしっかり掘り下げなければならない」と思いました。
そして、「その根っこは自らの肉体が欲望を求め、満足を得ようとする過程の中での感覚にしか過ぎず、そのものに過ぎない、ただそれだけのことだ」と思いました。
この感覚を求める心は、後天的に出来上がった良くない観念と物質です。自分が絶えずそれを求める時、実はそれに絶えずエネルギーを送り込み、それを強化してしまいました。なのに、自分はそれを知りませんでした。この感覚を求めようとする心は本当の自分ではありません。それは私達が生まれてから出来上がった物質で、一つの生命です。あるいは一種の思想業で、憑き物のようなものだと言っても構いません。
師父は「これほど低級な人体で、何の能力もなく、あなたの思想境地が何かのものと一致すれば、そのものがあなたを支配してしまいます。つまり、異なる次元の生命はあなたにほしいもの、執着するものがあるとき、ちょうど自分と一致していると気づけば、すぐに作用してしまい、場合によってあなたを司ってしまいます。人間が理性を失い、うっぷんを発散しているとき、マイナスな要素が働きます。どんなものも生命であり、それは悪だったり、欲望だったり、恨みだったり、異なるものであったりするため、おのずと作用するようになります」[2]と説かれました。
心を静めて法を学ぶことによって、突然「色欲心は自分ではない」とはっと悟りました。「私は大法弟子です。私はこの世に下りて来て、法を正す師に手伝う大法弟子です。私は天国の衆生の王で、衆生が私の帰りを待っています。真の自分は真・善・忍に同化しようとした清潔で純正なものです。これらの敗物やゴミに左右されていいでしょうか?」と思いました。
これほど次元の低い肉体はただ修煉のために使われるもので、世の中で衆生を救い済度するために使われるものに過ぎません。決して肉体の満足を楽しむ感覚のためのものではありません。つまり、肉体は真の自分が正しく使わせるためにあるもので、あるいは真の自分の運び手に過ぎないと言ってもよいのです。
神あるいは菩薩がどのようにこの問題を見ているのでしょうか? 真の自分もそのように問題を見るべきではないでしょうか。つまり人間の次元から飛び出し、神の次元に立って、この問題を見るべきではありませんか。そうすれば、この問題は解決し易くなります。
これらの事が分ると、私は足を組み、「私は李洪志師父の弟子です。真の私はこの肉体をコントロールします。真・善・忍に同化します。肉体の満足を求める欲望は私ではありません。滅! 滅!」と正念を発しました。そして、私は師父に自分の正念に加持をしてくださるようにとお願いし、そして、「師父が按排してくださった道しか歩まない」と正念を発しました。発正念が終わると、自分の空間場が清らかになり、頭もスッキリしました。
師父は「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです。そのため、私は正念を発することを大法弟子の三つの重要なこととして行なうよう指示したのです」 [3]、「実は旧勢力はすでに法を正すことの魔として取り除かれています」[3]とおっしゃいました。
これからの修煉の中で、私は必ず心を静めて法を学び、法によって自らの一思一念を正し、誓約を果たし、圓満になって、師父について自分の故郷に帰ります!!
現段階での少しの認識と体得です。適切ではないところがあれば、同修たちの慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
[3] 李洪志師父の経文:「波紋を呼んだ副元神に関する文章について」