文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年12月14日】今年は酉年で、満60歳になる歳男の私は、「ちょっとのんびりして、ゆっくりお正月を過ごそう」と思いました。私は農業展示館に正月用品を買いに行きました。リラックスしていたせいか、とても楽しく、執着心とは言えないまでも、あれこれたくさん買い物をして、喜々として帰宅しました。
家に着くと、いつも連絡をしてくれる年配の同修から電話があり、私に会いたいとのことでした。私は「どうぞ、お出で下さい。お待ちしています」と返事しました。
荷物を片付けている中に、おや! 同修の王君が来ました。ドアを開けると、王君は資料を1箱持っていました。それを見て「先程のゆっくり、のんびりしたい考え方が間違っていた。お正月も休んではいけない!」と、はっと気付きました。
王君は「資料を作る同修の家にあまりにも多く溜まっていたから、君に1箱持って来たよ。正月でも私達は気を緩めてはいけないからね」と言いました。
私は笑いながら「その通り、その通りだね」と言いました。
王君と交流しているうちに、年配の同修もやって来ました。彼女は来る前に電話をかけてきて、「甥が車で送ってくれるので、真相資料を2箱持って行くから、ちょっと迎えに来てね」と言いました。年配の同修は「家に溜まっている資料と、新しく印刷した資料、全部あなたに持って来ましたよ。これらの資料をずっと家に置いたままにすることはできません! お正月でもぶらぶらしてはいけないからね……」と言いました。
私は口では言わなかったのですが、心の中で「修煉に些細なことはない。気を緩めてはいけない。修煉は厳粛で、厳格なものだ」と思いました。2箱の資料を開けて見ると、本当にたくさん入っていました。掛けるもの、貼るもの、配るもの、それにDVDもありました。
私の人心、安逸心はすっかり暴露されました。法を正す時期が終盤になった今、人を救うことがこれほど緊迫しているのに、のんびりしたい気持ちがあっていいでしょうか? 2人の同修は私に人を救うことの緊迫性を分からせてくれました。
私はずっと真相資料を配り続けてきました。いつも午前中に煉功し、法を学び、発正念をして、午後になると、資料の準備をします。小冊子を汚さないよう、一冊一冊をビニール袋に入れておき、そして、真相シールの端を一枚一枚剥がし、夜貼る時、すぐ剥がせるように用意しておきます。もちろん、他にも、文章を書いたり、明慧ネットにアクセスしたりもしています。
12月28日の夜、私はある公園に行って資料を配り、貼り、掛けました。29、30日、私は毎晩人通りの少ない街を1人で歩き、電柱、広告板、団地のガラス張りの掲示板、とにかく、貼れる場所にはすべて資料を貼りました。
大晦日の夜も私は出かけて、真相シールを貼り、小冊子を投函しました。林立するビルの市街の華やかな夜景を見ていると、全家族が集まって団欒している光景を想像し、私は1人で寂しく感じました。服役中、刑務所で過ごした正月当時のことが、一つ一つ目に浮かび、その苦しさは言葉になりません。その時も1人で孤独で、寂しくて、心に秘めた思いを打ち明ける人はいませんでした。
私の脳裏にいつも「薄氷を踏むがごとし」という言葉があります。師父は「あなたのどの執着も、あなたの修煉を台無しにしてしまいます。どの執着もあなたの体に異常を来たし、大法に対する確固たる信念を揺るがしてしまいます」[1]と説かれています。私の生命の根本は大法弟子です。誰も私を変えることはできません。邪悪の迫害の最前線に立たされ、私は修煉の難しさが痛いほど分かっています。
ある団地のガラス張りの掲示板の前に来ました。私は「法輪大は素晴らしい」のシールを取り出し、貼り、更に1枚他の真相シールも貼りました。私には全く恐怖心はありません。周りには誰1人もいないからです。実は私はもう慣れていて、人がいても、私は怖くありません。しかし、私は必ず安全を確認しながらやるべきことをやっています。真相資料を貼るにしても、配るにしても、私はいつも安全第一を念頭に置きながら行っています。
夜が更けて人が寝静まるころ、私はよく考えます。「法を正す師に手伝い、人を救い、1人の大法弟子として、自分はその基準に達しているのでしょうか? 私達は大法弟子になるためにこの世に来て、師父と誓約を交わし、法を正す師に手伝い、人を救い、これこそ私達の使命です。最後の時、決してのんびり、ゆっくりしたい考えを持ってはいけません。必ず正しく歩んで行きます」
注:
[1] 李洪志師父の経文:「二〇一五年米国西部法会での説法」