ノルウェーの修煉者よ 一刻も早く目覚めよう! 
■ 印刷版
 

 【明慧日本2017年12月21日】最近発正念をする時、怖い現象を見ました。それはノルウェーの陸地が海に沈んでしまいとても驚きましたが、それは法が人間を正す一幕でした。私は空中から下を見下ろしているかのようで、なぜこのような結末になってしまったのか、と心の中で問いかけました。すると、「未来に反面教師としての教訓を残すためだ」という声が聞こえてきました。私たちノルウェー修煉者の修煉は、最後は将来のために「反面教師としての教訓を残す」というものでした。これは思いもしなかったことです。私はすぐこれが旧勢力の按排であり、私たち多くの人が内に向けて探さないので、旧勢力に隙に乗じられたのだと悟りました。衆生を救い済度する段階から法がこの世を正す最後の過程の中で、こんな現象が現れました。これは私たちノルウエー修煉者を一刻も早く、目覚めさせるためのものでは、なかったのではないでしょうか! 

 驚きのあまり、どんな原因でノルウェーがこんなに危ない境地に至ってしまったのか、と考えました。三つのことをきちんとやっていても、内に向けて探さないと、結局、いくら多くやっても最終的に衆生を救い済度できないし、無駄に修煉し、無駄に行うことになってしまうのだ、ということを悟りました。 

 何年か前の正午、天目で見た光景で、天から下りてきた溝(みぞ)のことを連想 

 ある日の正午、座禅していた時、どのようにしたら全体を一つにできるのか、ということを考えました。ちょうどその時、天から溝が下りてきて、それは猛烈に険しくて、溝の中に大量なごみが落ちてきました。旧勢力は同修間に生成された隔たりを利用して、私たちの空間場に汚いごみを投げ込んだのです。そこで、すぐ発正念して旧勢力の邪悪を取り除きました。正念を発すると、大量なごみの流れがすぐさま消えてなくなり、ただ乾いた溝だけが宇宙の中に残りました。その後、同修と交流し、発正念して同修を隔てている邪悪要素を取り除くことが非常に大切なことであると認識しました。残った溝、いわゆる同修間の隔たりは旧勢力が利用してごみを捨てる溝であり、その溝は着実に修煉していないことで生成された人心によって、日々作られていったものだ、ということを悟っていませんでした。数年前、師父はすでに私たちノルウエー修煉者に警告されていました! 

 この十数年来、ノルウェーの修煉者はもともと少なく、これが現状でした。しかし、協調人とのトラブルによって、修煉者間のトラブルが長く深く伸びていき、旧勢力に欲しいままに隙をつかれたのです。学法したあとの交流で、内に向けて探す者が非常に少ないのです。どのように探すのかもわからない人がいますし、態度が悪い人もいます。そのため、全体が形成できていませんでした。 

 旧勢力はこの漏れをつかみ、修煉者の執着を利用し、混乱の状態を利用して修煉者を下に引っ張ったため、次々と修煉者が離れていってしまいました。このような様々な原因により、全体の人数がだんだんと少なくなりましたが、こんな状態になってもこのことを重視せず、内に向けて探さず、旧勢力は同修が死ぬまで迫害をやり始めました。同修が亡くなることが続いても内に向けて探さず、一部の人は病業で亡くなった同修に原因を探していますが、旧勢力が滅ぼしたいのは全体であり、すべての修煉者と衆生がその中に含まれています。この文章を書いている時、1人の同修が亡くなりました。しかし、それでもまだ目覚めておらず、正しい道に戻っていませんでした。ノルウェーの全体が崖っぷちに立たされており、そのため、発正念している時にノルウエーの一幕が現れたのでした。ノルウェーの陸地が海に沈んでしまいました。ノルウェーの修煉者は未来に「反面教師としての教訓」を残しました。 

 以下は自分が悟ったこと

 1、早く着実に修煉し、「内に向けて探すこと」は、師父が私たちに与えてくださった「宝物」です。師父が「つまり、修煉の過程で常人の心が現れてくることを恐れる必要はありませんが、大事なのは皆自分を修煉者として見なすことができるかどうかのことです。問題が現れたら内に向けて探し、皆このようにすることができれば、この地区の修煉状態はきっと非常に良くなり、トラブルも少なくなるのです」[1] と説かれました。

 2、旧勢力が滅ぼしたいのは全体とすべてのノルウエーの衆生であり、1人1人の同修ではありません。 

 3、発正念して同修間を隔てる旧勢力の邪悪要素を取り除きます。 

 4、旧勢力はノルウエーの修煉者が内に向けて探さず、全体ができあがらないことを按排し、最後にノルウエー全土を滅ぼします。師父はその按排を利用して、私たちを目覚めさせてくださいました。私たちは早く旧勢力の悪だくみをはっきりと認識し、すべての人が内に向けて探し、堅固な全体を迅速に生成し、衆生を救い済度し、師父が望んでおられるように成就していきましょう。 

 最後に、師父の経文『ヨーロッパ法会への祝辞』を学ぼう

 「一人の修煉者として、修とは自らを修めることです。大法弟子にとって外部からの圧力は試練であり、精進の機会になりますが、大法弟子内部のトラブル、圧力も同様に試練であり、精進の機会になります。師父を除いて、皆さんはすべて修煉者なのです。しっかり行なっているか否かは、いずれも修煉状態の現れであり、例外となる人はいません。漏れがあり、人心や執着があれば、今後の道をしっかり歩むことはできません。修煉者は永遠に自らを修めるしかないのです。人心のわずかな変化も、すなわち向上であり、神々には皆それが見えるのです。大法のために修煉しているのでもなければ、大法のために人を救っているのでもありません」 [2] 

 「修煉は生命を円満成就に向かわせるための保障です。人を救うことは修煉者の慈悲深さの現れであり、衆生が危難に晒(さら)されているときの責任です。多すぎる執着、強すぎる執着を放下し、自らの道をしっかりと歩む、この過程は即ち、皆さんの道なのです」[2] 

 注:
 [1] 洪志師父の著作: 『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」 
 [2] 李洪志師父の経文: 『ヨーロッパ法会への祝辞』 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/6/357448.html)
 
関連文章