文/海外の大法弟子
【明慧日本2018年1月10日】1996年に修煉し始めてから、師父に初めてお目にかかったのは、2007年のニューヨーク法会のときでした。師父にお目にかかった瞬間、私は「師父、私は必ず法を暗記して見せます」と師父にお約束しました。
初めて法を暗記することを試みました。第一講の一番目のタイトルを覚えきれないうち、意気消沈してしまい、一段落を暗記するだけで1、2時間費やしました。法を暗記するため、大法を通読することに影響を与えてしまいました。しかし、「暗記するスピードが遅いからといって、通読しないでよいのでしょうか」と疑問に思い始めました。法の暗記と通読することが両立できないという矛盾した気持ちを抱えながら、なお自分は師父に法を暗記するとお約束したことや自分の軽率さに後悔しました。
2010年、私は病業の関に遭いました。一晩で、片方の足が腫れ上がり歩くことができず、立つこともままなりませんでした。内に向けて探し、自分の学法は形式に流され、学法する時も法に集中できなかったことが主な原因で、法を暗記する約束を後悔している事もその理由の一つだとわかりました。師父のお写真の前で、自分のすべての過ち、修煉を始めた日から今までのすべての過ちを含めて、師父にご報告しました。私は自分自身を改めなければなりません。いくら難しくても、私は必ず『轉法輪』を暗記しようと決心しました。その念が出るや否や、「一言ずつ覚えなさい」と師父の声が聞こえました。師父の仰る通りです。一言ずつ覚えてから、覚えたすべての内容を繋げていけばよいのです。この方法を取り入れてみると、明らかに難度が下がりました。1年半の時間をかけて、1回目の『轉法輪』の暗記に成功しました。しかし、一部の段落は完璧に暗記できませんでしたが、一言ずつ完全に覚えることができました。
1回目の法の暗記はこのようにクリアしました。その過程の中で、自身にある数多くの業力や廃棄物および法を暗記することを妨害する要素を取り除き、主意識が強まったことは明らかでした。すかさず、第2回目の法の暗記を始めることにしました。第2回目ですので私の自信は大いに増し、法を暗記したい願望もさらに強くなり、難度もさらに大幅に下がりました。法を暗記する心理状態も一変し、本来の仕方がなく法を暗記する状態から、心の底から法を暗記したい状態に変わりました。それ以来、法を暗記することは私の学法の主な方式になりました。
3回目に法を暗記するのは妻と一緒でした。2人で法を暗記する時に、思い出せない部分を互いに相手にヒントを与えることが、自分の復習にもなります。このように互いに補いながら、覚えることが出来ました。この方法はとても効果的で、効率がよく、互いに法を暗記する時の心得を交流し合うことができます。法を3回暗記できた時に、法を暗記することは自然と難しい事だと思わなくなりました。
法を暗記する過程において最も感じたことは、かつて法を通読した時になかった、一層、一層の法理の展開でした。なぜなら、法を暗記すること自体が一つの修煉過程だからです。法理への理解が絶えず明晰になるにつれて、おのずと自分の修煉の遅れが分かり、内に向かって探すことを促されるはずです。そして、ただ内に向けて探すだけに留まらず、さらに深層から探すことを学びました。物事の根源を見つけて、内に向かって探す習慣を養うのです。また、法を暗記する時に、心を静めることができず、暗記するスピードが落ち、しかも、法理を全く悟れない時に、手を止めて内に向けて探すことです。絶えず内に向けて探し、心が静まった時に再び法を暗記するのです。
また、法を暗記すると同時に絶えず内に向けて探せば、自分自身も絶えず法に同化していきます。法に同化していく過程において業力や体内の廃棄物も滅されていきました。人心が多く取り除かれ、思想も大いに浄化され、徐々に法の中に溶け込んでいきます。法を暗記することはそれほど難しいことではないと感じ始め、心から法を暗記したい願望が出て、心から喜んで法を暗記したくなりました。
地元のある学法交流の時のことを思い出しました。ある同修は、「私達の環境は比較的マイナスの要素が多く含まれている」と言いました。そこで、私は皆に「それでは、皆で内に向けて探してみましょう」と提案しました。協調人の同修に「あなたが提案したものなので、まずあなたから探してみてください」と言われ、次週の学法の後の交流は私から初めることになりました。全体の環境にプラスになることであって、同時に自分にとっても次元を高める機会だと考え、私は快く承諾しました。
交流の時に、私は自分が同修と、また、協調人との間のいざこざから、自分に不平不満を言う心、恐れる心を持っている、裏で同修のことを話題にするなどの欠点を見つけました。私の話はまだ終わらないうちに、終了時間となりましたが、「次回もあなたの話を続けてください」と協調人の同修が言います。しかし、これ以上探すことがないと思いながらも、探しても見つけることができないけれど、せっかくの機会なので、もっと深く探すことができないかなと考えました。すると、頭の中に突然、師父の説法が現れました。「これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」[1]。瞬時に、もっと深く探す方法が分かり、心の扉が自然に開いたかのようでした。そして、私は5分で、同修に存在する二十幾つかの問題点を並べ、次に、それらの問題点を用いて、自分に照らし合わせてみました。すると、これらの問題点を自分も全部持っていることに気づきました。ついに、私は内に向けて探すことにおいて、また一歩前進することができました。しかも、その一歩はさらに徹底したものでした。また、見つけたすべての執着心は、皆、自我と私から生まれたものだとわかりました。
法を4回目に暗記した時は、ネットを通じて、同修と一緒に行いました。初めは眠気に襲われ、全然うまくできず、様々な要素もあって続けることが困難でした。その後、清浄心を保つことにより眠気が消え、法を覚えることができると気づきました。どうすれば清浄心を保てるかと言いますと、法を理解した上で、法に照らしながら自分を探し、内に向けて探せば、法を覚え続けることが出来るのです。ある日、同修と法を暗記しようとしましたが、法が全然頭に入ってきません。口で法を読んでいましたが、法に心を集中できませんでした。通常でしたら、私達は何か口実を作って法の暗記をやめてしまいますが、しかし、その時、私達はいったん法の暗記を少し置いて、内に向けて探し、さらにより深く探し、探せば探すほどドンドン深くまで探すことができました。その過程で、心も清浄になり眠気も消えました。私は毎日、背もたれのない椅子に掛けて法を暗記していますが、ちっとも疲れません。
法を暗記しながら内に向けて探すことに、私は巨大な威力を感じました。ある日、法を暗記した後、正念を発していたら、あるピンク色の車輪のようなものが私の身体から飛び出て、古くて埃が被った山の上にいた旧勢力の神の手元に落ちたのを見ました。その神は私に「『法の暗記プラス内に向けて探す』これではもうお手上げだ」と言いました。
法を覚えることの目的は法をまるごと暗記することではありません。法に同化するためです。清浄心を保ち、無為に法を暗記する状態はベストな状態です。しかし、時々、成果を早く求めたい執着心が現れがちです。「どうすればもっと早く暗記できるのか?」と考えてしまいます。このような心がいったん現れれば、法の暗記も形式に流されてしまい、心の落ち着きはますます失われます。たとえ法をたくさん覚えることができても、法理の展開は無いはずです。時には、法は求めれば求めるほど、覚えられなくなるのです。
法を暗記した後の変化と言えば、内に向けて探す習慣を養い、主意識が強くなり、正念も強くなりました。清浄心を保ち、一つのことに専念することができるようになりました。私はコンピューターを修理する仕事をしていますが、以前、よく法を読んでいても集中できず、頭の中でコンピューターが故障した原因を探していました。今は違います。仕事の時は仕事に集中し、法を暗記する時には法の暗記に専念することができます。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「時間との対話」