【明慧日本2018年2月20日】広東省恵東県の法輪功学習者・黄敬賢さん(40歳)は、昨年6月26日、再び恵東賢留置所へ不当に連行され、8月26日、恵東賢国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官、および「610弁公室」の人員らに迫害され、死亡した。遺体は未だに葬儀会館に冷凍さたまま置いてある。
現在、黄さんの家族は恵州市、恵東県国保大隊、「610弁公室」公安部、および事件の関係者らに対し、法律の下に責任を追及して弁償を求め、死者の無実を証明するように弁護士に依頼した。
黄さんは恵東県梁化鎮リ光村の村民で、2003年から法輪功の修煉を始めた。法輪功を修煉する前には数種類の病を患い、癇癪持ちで、賭事や喫煙、飲酒などよくない習慣が身につき、物事がうまくいかないといらだち、人に当たったりしていた。しかし、法輪功の修煉を始めてから間もなく、持病が完治し、心身ともに健康になり、別人のように生まれ変わったように、良くない行いが一切なくなった。
現在、中国では世の中の風紀が乱れ、人のよくない考え方や行為を改めることは難しく、モラルが低下している中、多くの人々ますます考え方が悪くなり、健康状態も悪化する一方である。しかし、法輪功の修煉によって、黄さんは生き甲斐を見つけ、体が健康で良い人間になった。
2004年、黄さんは周りの人たちに法輪功迫害の真相を伝えたところ、恵陽、淡水大亜湾の国保大隊、「610弁公室」の警官らに大亜湾西区派出所へ不当に連行され、拷問、殴打を受けた。その後、大亜湾南辺留置所へ1カ月ほど拘禁された。拘禁中の黄さんは留置所の警官らに酷く殴打され、それによって容姿がすっかり変わり果てた。
1カ月後、黄さんは広東省三水刑務所に3年間拘禁された。3年間の刑務所生活の中で、警官による黄さんへの迫害が絶えなかった。法輪功の修煉をやめる『保証書』、『懺悔書』を書くよう強要され、さらに法輪功を誹謗中傷する発言を強要されたり、李洪志先生を罵るよう強要された。その要求を拒否すると酷く殴打されたり、罵られたり、独房に閉じ込められたり、中国共産党のメディアがつくった李洪志先生、法輪功に対する誹謗中傷のビデオを見るよう強要された。さまざまな拷問をされたが、黄さんは屈することなく固く自分の信仰を守り、「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を唱え、座禅を組み続けていた。それを見た警官らはさらに酷い迫害を加えた。
体重50キロを超えていた黄さんは迫害によって、35キロまで体重が落ち、歯も殴打されて数本抜け落ちた。刑務所の看護師が見るに見かねて警官に対し、「見て、この人が気を失っているのに、どうしてまだ殴り続けますか?!」と叫び、警官らの暴行を止めようとした。黄さんは意識が戻るとまた「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と念じた。警官らはそれを見て、また気が狂ったように黄さんの耳を殴ったり蹴ったりした。そして黄さんを床に殴り倒した後、不明な薬を口に入れ、不明な注射をした。黄さんはその後危篤状態に陥った。
2006年黄さんは刑期を満了して家に戻ったものの、長期に渡って精神的、肉体的な迫害を受け、さらに不明な薬の投与と注射をされていたため、体はやつれ、意識は朦朧とし、精神錯乱状態に陥った。
恵東県国保大隊、「610弁公室」、恵東県梁化鎮派出所の警官、および梁化鎮光村住民委員会関係者らは長期に渡って、黄さんを監視し、脅迫し、尾行し、電話を盗聴したため、黄さんは自由な生活が出来ず、やむを得ず地元を離れ放浪するようになり、住所不安定な辛い生活を強いられた。
江沢民一派の迫害により、もともと幸せな家庭が壊された。黄さんの10歳の娘は黄さんの両親と一緒に辛い生活を送った。生活のため、2007年から黄さんは恵州市陳江で仕事を始めたが、恵東県国保大隊、「610弁公室」の警官らは、黄さんの仕事先まで押しかけて行き、嫌がらせをした。
昨年6月26日、黄さんは再び恵東県梁化鎮派出所の警官に手錠をかけられ、恵東県留置所へ連行された。警官らは家族に一切知らせなかったため、家族はいろいろなところを尋ね回り、やっと恵東県留置所へ拘禁されているという情報を入手した。
拷問の実演:辛い灌食 |
昨年8月26日、恵東県留置所に2カ月拘禁された黄は数日間断食で抗議しため、恵東県関係者らに無理やりに灌食され、死亡した。
黄さんの家族たちは大きな衝撃を受け、事件に関わった関係者らによる説明や責任を追求しようとしたが、調査が難航し、黄さんが亡くなってすでに5カ月も経ったが、葬儀さえ挙げられず、遺体は未だに葬儀所の冷凍庫に保存されているという。