文/中国の大法弟子 春光 口述 同修整理
【明慧日本2018年3月3日】 私は今年84歳になり、法輪大法を修煉してから二十数年が経ちました。心身ともに受益し、とても幸せで嬉しく思っています。
修煉を初めた頃
1997年の夏のことでした。妻の体調が日々悪くなり、検査のため市や省そして北京の病院をたらい回しにされ、どこの病院の検査でも、全て肝臓がんだと診断されました。妻の弟はそれを聞くと、すぐに西安から来てくれて、妻に「お姉さん、法輪功を学びましょう! これは迷信ではなく、正法です!」と言い、私達に大法の奇跡や大法の病気除去について、また健康を保持する素晴らしい効果を教えてくれました。
弟が帰った後、早速、師父の済南で説法されたビデオとレコーダー、当時出版されていた大法の著作をいろいろ送ってくれました。当日、私は妻と一緒に、師父の説法のビデオを見ました。ビデオを見ながら体がとても気持ちよく感じました。
翌朝、私はいつもの通り眼鏡をかけると、見え方がおかしいと感じて眼鏡を外すと、遠くまではっきりと見えました。また本を読んでいても、一つ一つの字がはっきりと見えました。私は喜び妻を呼んで、もう眼鏡をかける必要がなくなったと、妻に告げました。十数年もかけていた眼鏡を外せました。以前、歩くときに300度の眼鏡をかけ、本を読むときに500度の眼鏡をかけていました。私自身も大法の奇跡を真に体験しました。何でもっと早く出会うことができなかったのだろうか。私は必ず一生懸命に学法し、最後まで修めていこうと思いました。
それからというもの私は妻と毎日買い物をし、ご飯を作り、ご飯を食べる以外に、全て学法をしました。いつも1日三つの学法グループの学習に参加しました。
修煉する確固たる信念を持つ
初めて「業」を消去したのは、学法してから数日後でした。夜の学法グループに参加したとき、しばらく経つと、心臓の調子が悪く感じて、冷や汗をかきました。隣に座っていた学習者に声をかけられましたが、声を出せず、倒れてしまいました。指導員はすぐに若い学習者に私を他の場所に移動させ、ベッドに寝かせました。指導員は私の顔色が悪いと見て、妻に病院に行きますかと聞きました。指導員は私達が学法してから日が浅かったので、まだ法理上悟っていないと心配して尋ねました。妻は「大丈夫です。少し良くなってから家に帰ります」と答えました。それから家に帰り、一晩休んで朝起きるともう体調は良くなっており、体が軽やかになり、妻と一緒に朝の煉功にも参加できました。
妻は大法を修煉し始めると、悟性が私よりもずっと良く、心性も私より見る見るうちに向上していきました。学法してから3日目、妻は家にある薬を全て出して捨てようとしました。私はそれを見て妻に、「とりあえず捨てないで、もう少し様子を見たらどうだ」と言うと、妻は「大法を修煉しているので、大法を信じないといけないわ、こんなもの持つ必要はないわ!」ときっぱりと言いました。私はそれを聞き、とても恥ずかしく思いました。そして妻の行動や考え方は私の精進にとても役立ちました。
ある日、朝食を食べてから、マットに座り学法しました。第九講が終わるとすでに夕方になったと気付きました。妻は私に「御飯だと呼んだのに、聞こえなかった?」と聞くので、「聞こえなかった」と答えました。そのとき、私は自分1人しかいない空間にいたと感じており、とても美妙(びみょう・素敵で、素晴らしいもの)でした。
大法の不思議さと素晴らしさを体験する
大法を学んでいると不思議なことが次々と私の体に現れました。例えば、学法するとき、ときどき字が大きくなり、青色に変わりとても綺麗に見えました。ある日、静功をするとやりながら突然、体が空中に浮かびとても気持ち良く感じました。これは師父に励ましていただき、大法の不思議さと素晴らしさを体験しました!
修煉する前には、たくさんの病気にかかっていました。例えば、心筋梗塞があり、長年「救心」の薬を手放せず、何回も緊急入院しました。また胰腺炎、胃病等もあり、毎日2、3回痛み止めを飲まないとならず、用事がなければ家から外出しませんでした。階段を上ったり、降りたりすると困難をきたし、手すりを掴まなければいけませんでした。学法するようになると、いつの間にかこれらの症状が全て消え、1粒の薬も飲まず、1回も注射を受けていません。本当に「あなたを浮き上がらせはしませんが、あなたは身体が軽やかになり、風を切って歩くように感じることになるでしょう。以前はちょっと歩くと疲れましたが、今はいくら歩いても平気で、自転車に乗っても誰かに押されているかのように感じ、ビルの階段をいくら高く上っても疲れを感じません。絶対そうなります」[1]を体験しました。体が良くなってからは田舎まで70キロもありますが、私はいつも自転車で往復し、バスに乗りませんでした。途中で坂道もあり、若者でも自転車を押しながら登りますが、私は自転車から降りずに登り、誰かに後ろから押されているようにドンドン前に進み、とても楽で不思議な気持ちでした。
師父は、「しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません」[1] と説かれました。法を得てから間もなく、私の体に異変が現れました。それは特に顔と腕が重く感じられ黄色の膿が出て来て、粘々して痒くて、とても辛かったのですが、その後かさぶたになりかさぶたが取れると、脱皮したように、ピンク色の新しい皮膚が出てきました。師父が私の体内の良くないものを全て出していただき、身体を浄化してくださいました。私の右手は乾燥しヤスリのようになり、硬くてざらざらしていました。十年以上薬を塗っていましたが、効果がありませんでした。大法を修煉した後、いつの間にかその酷かった乾燥も治り、肌が柔らかくて潤ってスベスベの肌になりました。
ある日、市場に買い物に行ったら、後ろから三輪車が走って来ました(人も荷物も載せる三輪車)。私は三輪車にぶつけられ、しかも遠くまで飛ばされました。運転手が驚きながら、「おじいさん、病院に連れて行こうか?」と言われ、私は「大丈夫です、家まで連れて行ってくれればいいよ」。運転手が私を支えて三輪車に乗せました。そのとき、ズボンが破れ、血が流れ出ているのを見ました。足がひどく痛かったけれど、きっと大丈夫だとわかっていました。マンションの前に着いたら、私は降りて、「ありがとう」と礼を言うと、彼は恥ずかしそうに私を見ました。そして階段を上ったとき、彼は「今日は良い人に会いました」と叫びました。師父は、「この類いの事はすべて命を取りにきた例ですが、本当に危険に至るようなことはありません」[1]と説かれていました。このことで私はやっと師父のこの法理を悟ることができました。
2012年の冬、体がまた不正な状態になりました。ご飯が食べられず体も動かず、1日中体がだるく感じました。ある日の朝、私は煉功のために起きようとしても起きられず、ご飯も食べられず、ずっと寝てしまい、話もしたくありませんでした。これを見た2人の娘(同修)は焦って、他の同修を呼んで来て正念を発してくれました(これは事後わかったことです)。ウトウトして誰かに連れて行かれそうでしたが、その時私はすぐに、「私は師父について行きますので、あなたにはついて行きません!」とはっきりと意思表示し、態度を取りました。意識がなくなってから、どのくらい経ったかわかりませんが、やっと意識が戻りました。師父に再び私を死の淵から引き戻していただきました。あの時、師父に救っていただいたことを今でも感謝しています。
大法を修煉した後、私は「真・善・忍」の基準に従い、自分に厳しく要求し、個人の損得を気にせず、常に他人のために考えました。過去に私は性格が悪く、自分が正しければ相手を厳しく批判し、勘弁してあげませんでした。金銭にも強い拘(こだわ)りがありました。いろんな試練により、これらの心をだんだんと一つずつ放下しました。ある日家の電話が盗聴され、3カ月の電話代が千元以上かかりました(普通なら、電話代は毎月十元くらいで済みました)。当時私の毎月の給料は400元ちょっとだったので、このことを許せませんでした。郵便局に問い合わせに行きましたが、妻と2人の娘は「この問題が出たのは偶然ではなく、お父さんの心を試すためですよ。師父にいただいた心性を向上させる良い機会を無駄にしないでくださいね」と言われました。「そうだ、私は修煉者だ、修煉者の基準で対応しなければならない」とすぐ思いました。そこで私は少しも動じることなくお金を借りて、電話代を支払いました。その後、このようなことは二度と現れませんでした。
現在、私は師父の弟子になれたことを非常に誇りに思い、この上ない幸福と栄光を感じています。私はこれからもしっかりと学法し、たくさん法を学び、自分をしっかり修め、多くの衆生を救っていきます! 大法弟子の名を辱(はずかし)めることなく、誓約を守り、使命を果たし、圓満成就をめざして、我々の真の天上世界へ回帰できるように、そして、我々の慈悲で偉大なる師父のご済度に、少しでも恩返しできるように頑張りたいと思います!!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』