文/山東省の大法弟子
【明慧日本2018年4月30日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は高齢の修煉者で、今年79歳で、すでに長年修煉しています。私は心の中で自分が法を正す時期の大法弟子であることを肝に銘じ、また、自分が来世のための重大な責任を負っていることを肝に銘じています。そして、ほとんど毎日午前中は妻と外に出て、真相を伝え人を救いに行き、正午に家に帰っても食事は作らず、おなかもすかないので適当に果物などを食べて食事代わりとし、その後、一刻も無駄にせずに1講を学びます。そして、午後になると家から5、6キロ離れた同修の家で学法に参加しに行き、グループ学法をします。夜になると、食事をした後、6時に正念を発し、再び師父のその他の説法を学びます。時間のスケジュールは非常によく出来ており、秩序だっているので怠けることはありません。
数年間、このように歩んできました。他の人から見れば、私たち夫婦は精進しているほうであり、私たち自身もそのように思っています。特に夜12時に正念を発することも、明慧ネットでそのことが通知されてからこの数年、私達は一度も怠ったことがありません。毎朝の五式の功法を一度に習得し、絶えず続けています。私達はもうすぐ80歳ですが、自分を老人として扱ったことはありません。オートバイに乗って外出して真相を伝えることも、若者と何の変りもありません。しかし思いもよらず、なんと今年(訳注:2017年)、重大な交通事故に遭いました。
私のこの特殊な体験について、皆さんにこれからお話しいたします。
肋骨が7本も折れる
2017年7月25日午前7時半ごろ、妻と遠くに真相を伝えに行く準備をしていました。私達が大通りまで出てきた時、突然前方から乗用車が1台まっすぐにぶつかって来て、私は反応する間もなく地面にひっくり返り、意識を失いました。妻の傷は軽く、ただ左足をぶつけて皮がむけただけでした。その時、妻の正念は足りていて、しっかりとした口調で「何でもないですよ! 早く『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい』と念じて。師父に救ってくださるようにお願いして!」。しかし、妻が何を言っても私は何もわからず意識を失い、すでに死に瀕していました。その後、妻が私に伝えたところによると、事故が起こった後、野次馬見物していた人が「120番」に電話して救急車を呼び、私を病院に運ぶとすぐにICUに入れられ、医者はすぐに危篤通知書を下したそうです。この時間はちょうど8時過ぎでした。
11時近くになって私はやっと目が覚めました。しかし、一時的に反応できず「ここはどこなのだ?」と思いました。すると、私の口の中をきれいにしてくれていた看護師が「あら、目が覚めましたか、あなたは肋骨が7本も折れ、大きな傷を負っています。ここはICU(集中治療室)であなたを看護しています」。私は頭が完全にはっきり戻り、急いで妻の状況を聞きました。すると、看護師たちは「奥さんは何でもありません、家にお金を取りに帰りましたよ」。それを聞いて起き上がって家に帰りたかったのですが、四肢が固定されていてどうにもならず、性器の先端や鼻にたくさんの管が差し込まれており、全身が多くの機器でつながれていました。そこで「これは病気ではない、私は大法弟子だからここにとどまるわけにはいかない」という一念を発しました。そして、心の中で「師父、早く助けてください!」と師父に助けを求めました。そこへ、家にお金を取りに帰った妻が数人の同修を連れて戻って来ました。
妻は7千元を支払った後、同修と一緒にICUの外で正念を発し、私を救って家に帰してくださるように、心から師父にお願いしていました。3時になって医者はやっとICUに妻を入れましたが、その他の人は入れませんでした。医者は厳粛に何度も妻に私の傷が重い状況を伝え、さらに、私が絶対に退院できないことや、もし退院したらすぐに命の危険があることを妻に告げました。そして、さらに医者は「病院の中にいても命の保証はなく、もし退院するのであれば『退院後の人命について、我々には一切責任はない』という保証を書くように」と言いました。それを聞いた妻はすぐに「退院します」と答えました。
病室の医者は私を一瞥(いちべつ・ちょっとみること。ちらっと見ること)しただけで、不機嫌そうに外にいた同修を中に入れ、医者はその場を離れました。実習生の若者の1人は私達が法輪功を修煉していることを知っていたので、妻のそばを離れませんでした。病室には男女1人ずつの実習生がおり、同修が女性の実習生に真相を伝え「三退」を勧めましたが、実習生は迫害の資料を受け取りませんでした。しかし、同修が男性の実習生に真相資料を渡すと喜んで受け取り、実習生の家にも法輪功を修煉している人がいる、と言いました。続いて、AさんとBさんの2人の同修が中に入って来ました。医者と看護師は同修2人に「彼の傷は重く歩かせることはできず、今は呼吸できていても、後で呼吸できるかどうかはわかりません」。すると、Aさんは医者に「彼はここでご飯を食べさせてもらえず、つらく感じたので、あなた達に協力的でないのです」。それを聞くと、医者たちは茫然となって黙り込んでしまい、ただ私の退院を認めただけでした。しかし、担架などの道具は一切使わせず、そのまま私を外に出そうとしました。
そばにいたBさんが少し辟易(へきえき・うんざりすること。嫌気がさすこと)した様子で「ほかの病院では担架を供給してくれ、身分証を提示すれば担架を使い終わった後に身分証を戻してくれるはずです。あなた達のところでは退院するのに何も使わせず、こんなに重症の病人をどうやって退院させろというのですか?」。すると、病室の主任がそれを聞いて病院側に非がある、と感じたようで「あそこに移動式ベッドがあります」。そこで、同修が移動式ベッドを私が寝ているベッドにくっつけ、同修3人が私を移そうとしましたがどうしても移すことができません。なぜなら、傷が重いうえに気温が暑かったために、私は全身水を浴びたかのように汗まみれでした。心の優しい看護師2人が助けてくれましたが、それでも動かせませんでした。そこで、Aさんが焦って「あそこにいる若者が手伝ってくれると助かるのですが」。すると、主任が実習生を指さして同修に「あの若者ですか?」。若者はすぐに手伝いにやって来て、6人がかりで力を合わせて、やっと私を移動式ベッドに移しました。
師父が神威をお示しになる
エレベーターに乗った後、Aさんはずっと若者に真相を伝え、車の前まで来ると、車の外でさらに待っている同修がいるのを見ると若者は感動して「この方も同修ですね!」。同修が答えると、若者は喜んで「私も法輪功を修煉している者です」と言い、携帯番号と氏名を同修に教えました。
この時、私は車に乗りたかったのですが、体が全く動かず、少しでも動くと痛くてたまらなかったので「120番」を呼んで家に送り返してほしかったのです。しかし同修達は私を見て「顔面血だらけで、縫った傷口からも血が流れ出ており、両手も血だらけで、折れた肋骨が肺に刺さり、呼吸困難になっている」と認めただけでした。病院を出る時、医者の1人が同修に「家に戻ってからも何かあったらすぐに病院に戻って来なさい、実際、傷は重いのですから」。そこで、Bさんは心配して「『120番』を呼んで家に帰しましょう、4階(私の家)までは上がれませんから」。しかしAさんは「師父を堅く信じれば、必ず上がれます!」と確固として言いました。しかしそれでも「120番」を呼んだ時、120番は私を見て運ぼうとせず「病院には運べますが、それ以外の場所には運べません」。たまたまその場にいた医者が、家まで運んでくれる120番を知っている、と言ってくれましたが、どうしても連絡が取れませんでした。そこで、同修たちは「私達は病院の車に乗るべきではなく、同修の車で家に帰るべきなのだ」と悟りました。結局、同修たちは順調に私を車に乗せ、道中も調子が悪くはなりませんでした。
私の家の階下に着くと隣人達がそこで涼んでいるのが見え、同修達が支えながら私を車から降ろし、階段の前まで歩いていくと右足が動きました。しかし、左足は全く動きませんでした。階段の第1段目からは数人で腕を引っ張り、足を持ち上げ、全力を尽くしてやっと2段目を上りました。すると、後ろで見ていた同修のDさんとCさんが「こんな調子でいけると思いますか? 4階ですよ、この上り方でいつたどり着くのですか? 彼自身に上がらせるべきです!」。その同修の言葉を聞いて「私達には師父がいらっしゃる!」と私は悟りました。この念を発するとすぐに心身が軽く感じ、一気に2段上がり、一歩で2段も上がるなんて、今までなかったことなのではないか、と思いました。こうしてすぐに4階までたどり着き、我が家に帰りました。その時、私は誰かが後ろから押してくれているような感じがしました。そして、師父が私を押してくださったのだとわかり、師父に対してこの上なく感激しました。
家に帰ってベッドに横になると全身が痛み、呼吸が困難で、骨折した左半身は全く動かず、心の中で「早く起き上がって煉功し、学法し、正念を発せられるようにしてください」と師父に敬虔(けいけん・深く敬って態度をつつしむさま)にお願いしました。師父が本当に私の目の前にいらっしゃったので、こんなひどい目に遭っても煉功、発正念、学法を1日も止めませんでした。煉功している時は動作がうまくできませんでしたが、固い正念で自分を重症の人間として扱いませんでした。すると、大法が神威を表し、第二式の功法を連行していた時、今までは30分がとても長い時間に感じていましたが、この2日間の煉功では一瞬で煉功が終わったように感じたので「弟子が耐えられなくなるのを恐れ、師父が時間を進ませてくださったのだ」とわかりました。
煉功して3日目、左半身の脇の下から足までが全部、黒い布のように青黒くなり、青黒くなった皮膚が固く厚くなり、左足が腫れて直径が30cmくらいに太くなり、かかとも黒くなりました。しかし、私はそのことに影響されず、固く師父を信じ、心の中で全く恐れず「師父がいらっしゃるので、何事も起こるはずがない」と思いました。
体は1日1日とどんどん良くなったので、心の中で師父に「師父、私は病院へ行って法を実証しなければなりませんので、弟子にご加持をお願いいたします」と申し上げました。その結果、私は普通の人と同じようになれ、重傷を負ったようには全く見えませんでした。事情を聴いて知った人が次のように教えてくれました。あの日、強硬に退院したので医者は引き留めず、私達が帰った後で、医者と看護師は中国共産党のウソの毒害を受け、真相を知らないので師父と大法に対してネガティブな話をしていたそうです。そして私達が間抜けで車にぶつかり、もうダメなのに入院し治療さえしない、と言っていたというのです。また「彼自身の懐を傷めないために入院させなかったが、ここで治療して危険な状態から脱してから家に帰ればよいのに云々」と言っていました。
口々にあれこれ言い、言いたいことを言っていました。すると、ちょうど検査の仕事に来ていた正・副主任にばったり会いました。状況を理解すると正主任が厳粛に「あなた達はここで何をわめいているのですか? みんなが法輪功を修煉している人だったら、この社会はどれだけよくなるでしょうか!」と言ったそうです。すると、副主任が続けて「あなた達の誰があんなに大きなことができるのですか、1冊の本を出版して全世界の人が学んでいるのですよ!」と言ったそうです。2人の主任の話を聞いた後、医者と看護師は口を閉じて話さなくなり、主任の話が医者達の思考を引き付けたようです。
神の奇跡にみな心から敬服する
7日目、私は病院に抜糸(左眉の傷を7針縫う)に行きました。病院に行くと例の医者が私を見て驚き「ちょっと、どうしてこんなに早く良くなったのですか?」。そこで、私は医者達に真相を伝え「家に帰って法輪功を修煉してすぐに良くなりました。ここよりずっと早く回復したでしょう?」
それ以上、私が何かを言うまでもなく、現実的な事実の前で医者達は大法の超常さとすばらしさを承認せざるを得ませんでした! そして、私が医者達に「三退」を勧めるとすぐに三退してくれました。その時、外に治療に来た2人が、私の傷を負った時のCT写真を見て、すぐに加入していた共産党組織から脱退しました。
その後、私達は2階のICUに行き、ICUに着く前に当時私を看護していた看護師に会うと、私を見るなり驚きました。そして、私の体がこんなにも早く回復したのを見て喜びながらも驚いていました。私はこの機会に大法の真相を伝えると、看護師はすんなりと信じ、感動して「法輪大法は本当に素晴らしい!」と言って、すぐに「三退」しました。
同修は看護師に「もし退院していなかったら、7日間ここにいてこんなに回復しましたか?」と尋ねました。すると看護師は「とても無理です!」。そう言い終わると、看護師は子供のように跳んだり、はねたりしながら事務所まで走って行き、同僚たちに「あのおじいさんが来たわよ、こんなに早く良くなったんだって!」と伝えました。私達が呼び鈴を押すと、主任が喜んで出迎えてくれました。そして、同修は主任に「私達は感謝を申し上げに来たのです! あなた達は人々のためを思っており、ここには病院の良好な医療風土があり、私達はあなた達の善な心に感謝しています。しかし、超常的なことも時にはあり、あなた達は接触したことがないと思います。同修は当時、意識を失い病院に運ばれましたが、現在の状況をあなた達も見たと思います。外ではこのような事故が多く起きています。車にぶつかって複雑骨折しましたが、家に帰って法輪功を修煉するとすぐに回復しました。同修のように、ここで1カ月治療して回復する程度まで法輪功で回復できると、あなた達はどこでも喧伝しなければなりません。医学がどんなに発達していても、大法と比べることができますか?」と優しく言いました。主任はまじめに同修の話を聞いた後、うなずきながら「その通りです」。そして同修は「たった7日間でこんなに早く回復するなんて、すばらしいと思いませんか?」。すると、主任は何度もうなずき「その通りです!」と言って、この主任はすぐに「三退」しました。そして、大法を信じず、師父を誹謗中傷していた主任も、私達が別れを告げた時、満面に笑みをたたえて私達を見送ってくれました。
家の前に着くと、外では梨を買いに来た多くの隣人がいるのが見えました。隣人達はみな私達が法輪功を修煉しているのを知っており、以前は隣人達に真相を伝えても信じなかったのですが、今回は私のCT写真を見せ、私の状況を知るとみんな驚き「すばらしい」と言い、私達はすぐに4人を三退させました。以前大法に反対していた人も反対しなくなり、論争好きだった人も論争しなくなりました。そして、その路上で2時間で12人を三退させました。
今回のことを通じて、師父が説かれた「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[1]というこの法を、私は少し認識することができました。
抜糸して帰った後、顔をすりむいで傷跡が残った皮膚はすぐに良くなり、傷口を子細に見てもそこに傷があったことなど全くわかりませんでした。そして、私の顔を見た人は誰でも「すばらしい」と言いました。
ケガをして3日目に私は正常に学法と煉功ができるようになり、4日目には立ち上がって正常に煉功できるようになりました。約12、3日目に私は階段を降りて歩けるようになり、しばらくは外に出て真相を伝えることはできませんでしたが、それはオートバイが壊れてしまったことと、体がまだ少し痛かったからですが、家の中では正常な人と同じ状態に戻り、誰が見ても大法のすばらしさを称賛しました。
内に向けて探し 自分を正す
今回の事故で私はひどくケガをしましたが、師父の慈悲深い保護の下、すぐに回復しました。すべて相手側の責任でしたが、師父は私のために多くのことを請け負ってくださいました。今回のことを通じて「修煉とは自分をしっかり修めることで、必ずしっかり修めなければならず、そうしてはじめて本当に法を実証する役割を果たすことができるのだ」と私は深く感じました。師父が法を正す最後の時になっても、旧勢力に隙を突かれて迫害され、それは自分がまだ気づいていない大きな漏れがあったからです。ですから、私はすぐに自分を正さなければなりませんでした。
私は心を静めてまじめに内に向けて探し、長い時間ただ人を救っていただけだったのだと認識し、人を救った数を追求し、知らないうちに仕事に対する執着が起きていました。焦る心もあり、資料を配り終わらないと焦り、三退する人がいないと焦りました。真相を伝えた時に大法に不利な話をする人に会うと、その人達がよくない話をするとその人達が業を作ってしまうことを心配していると、口では言っていました。しかし実際には、心の中ではその人達を恨む心がありました。「三退」する人数が多いときは喜び、歓喜心がありました。三退する人が少ないときは心がつらくなり、真相を伝えるときに人に大法の真相を理解してもらうことを主とせず、「三退」の人数を重く見ていました。これらの法の要求に符合していない多くの執着があるのがわかりました。
不足を認識したので私は発正念の力を強め、今後の日々の中で必ず法を師として道を歩んでいきます。
保険会社が私の家に調査に来て、証拠を取りに来た時、私は保険会社の人達に真相を伝え、今回の事故に対する私達の態度を伝えると、保険会社の人達も大法にとても賛成してくれ「三退」しました。
交通警察隊が事故を処理した時に、事故を起こした張本人が地方の人であると知りましたが、すべて事故を起こした人の責任であるにもかかわらず、事故を起こした人は責任を負うことを嫌がり、入院費も払わず、私達が5千元以上も払ったのに、事故を起こした人は一言も話さず、ずっと顔を出しませんでした。事故を処理した時も私達を相手にせず、交通警察隊長とだけ話をしていました。そばで見ていた人も不満に感じ「あんなにケガをしたのに、事故を起こした人に向かって、賠償を求めないだけでなく、3級障害者にもなれるのに」と言い、さらに、私が顔を出す必要はなく、事故を起こした人にやらせればいい、と言いました。しかし、私は大法を修煉しているので、このようにはしませんでした。何をやるにしても人を思いやるよう師父は教えてくださっています。そして、事故を起こした人がわざとぶつかって起こしたのではないとわかっています。事故を起こした人も心の中ではつらいはずだと思ったので、私は事故を起こした人にお金を要求しませんでした。なので、手続きの時にも私は事故を起こした人に賠償を求めず、障害見舞金なども求めませんでした。すると、私の体はほとんど元通りに回復し、外に出て真相を伝えて人を救えるようになり、グクープ学法にも参加できるようになりました。これより良いことが他にあるでしょうか。
オートバイが壊れてしまったので、外に出て真相を伝えるために自分で4千元を出して、新しいのを買いました。本当に病院のあの主任が話していた通りで「もしみんなが法輪功を修煉している人みたいだったら、この社会はどれだけよくなるだろうか!」とつくづく思いました。もし法輪大法を学んでいなければ、また、修煉者でなければ、このような大事故に遭い、2、3カ月入院しても出てこられなかったでしょう。私は入院した日の6時間だけでも、5千元を支払いました。もし修煉していなかったなら、どれだけのお金を事故を起こした人は、払わなければならなかったでしょうか? さらに休業補償費、介護費用、オートバイの損壊賠償費なども加わり、いったいいくらになるでしょうか? 大変な額になります。ですから、事故を起こした人にお金を一切要求しませんでした。
この事故が起きてから、病院で実習していたあの小同修と私達は連絡を取るようになりました。学法と修煉の環境があの小同修にも出来上がりました。本当に並大抵でない師父のご苦心に、深く感謝申し上げます。
人々が私の経験を目にすることを希望します。そうすれば「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・人は素晴らしい」を必ずや覚えることでしょう。そうすることで大難がやって来た時に、はじめて平安を保てることができるからです!
慈悲で偉大なる師父に深く感謝の念を申し上げます! 師父の慈悲なるご加護に感謝致します! 師父の慈悲なる済度を無にすることなく、師父の要求通りに三つのことをしっかり行い、修煉の円満成就に達し、師父と共に自分の本当の家に帰ります!!
ありがとうございます、師父!
同修の皆さんのご協力に感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:《精進要旨三》「シカゴ法会」
(明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)