新疆の公安局長 「天安門広場の『焼身自殺』の現場に居合わせた」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年7月2日】私は新疆で60年間生活をしました。そこで数十年間の教員生活の後、会社経営もしました。2002年4月、用事があるため、私は夫と一緒に昔長く生活していた町に戻りました。この町の公安局長はわざわざ私達に会いに来ました。彼は運転手を退室させてから、私達3人は3時間ほど雑談しました。

 天安門の「焼身自殺」は自作自演であることを話した時、彼はとても納得した様子で「当時、自分達は天安門広場に居た」と言いました。2001年の天安門広場の「焼身自殺」の数日前、全国の県以上の公安局長は北京に集まって会議を開き、そのため、彼も参加しました。「焼身自殺」が起きた当日、ちょうど故宮博物館で見物していた彼らは、突然、早く天安門広場に来てほしいという知らせを受け、天安門広場に駆けつけ、「焼身自殺」の現場を目撃したとのことでした。

 この局長は漢民族で、当時50代でした。私達は仕事の関係で1997年に知り合い、その後、彼は夫ととても意気投合し、いつも一緒に雑談をしていました。1998年、私達が法輪功を学んでから、彼も私達と煉功のことを話し、法輪功を認めていました。

 1999年4.25以後、ある日、局長は夫に「全部調べたが、この町のこの地域に法輪功学習者が200人ほどいるが、犯罪者は1人もいないし、皆良い人だ。1人だけ煉功する以前に、男女関係のスキャンダルがあった者がいるが、煉功後はそれもなくなった。今回の会議で、ある会社の管理者が、『法輪功を煉功しても何も悪くないよ。医療費の面だけでも結構節約になっている』と話してくれたよ」と教えてくれました。

 1999年7.20に迫害が始まってから、地元では多くの法輪功学習者が連行されましたが、この局長は警官に「上の指示通りにやるんだぞ。自分勝手にしてはだめだ」と警告したそうです。そのため、この地域では連行された学習者は、15日間拘束されただけで全員解放されました。拘束期間中に、読書をしたり、煉功することも可能で、自白の強要や拷問なども一切なく、生活面においても一応規定通りにやっていました。

 それに比べると、新疆の多くの留置場の情況は大変悪いものでした。自白の強要や脅迫以外に、男性は丸坊主にさせられ、煉功は許されず、そして、留置場の規則を暗唱させられ、暗唱しなければ殴られ、強制労働もさせられました。生活状況も酷く、10平米の部屋に多い時には11人が寝泊まりし、飲食も、排泄もすべてこの部屋の中でした。食事に関しては、1日2食で、朝は小麦粉を水で溶いた糊状のものが1椀に蒸しパン1個、午後は野菜スープが1椀に蒸しパン1個だけの粗末なものでした。昼食を摂りたければ、自腹でしたが、5元のものを10元で、0、3元のものを1元で買わされ、家族からの生活用品と食べ物の差し入れも禁止されていました。その後、この局長は人民代表大会の副主任に任命されて異動となり、地元の迫害情勢はさらに悪化の一途をたどりました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/2/368327.html)
 
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